戦争が文化財を破壊する: ロシアのウクライナ侵攻によるウィキ・ラブ・モニュメント破壊の特別カテゴリー

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2023年にウクライナのウィキ・ラブ・モニュメント運営チームは「戦争が文化財を破壊する」という特別カテゴリーを設け、ロシアによるウクライナの文化財破壊を記録することにしました。ここにウクライナの破壊された文化財の15枚の受賞写真を掲げます。

ウクライナのウィキ・ラブ・モニュメントは2023年10月に開催され、2012年以来12回目のイベントになりました。これは2022年2月にソ連がウクライナに全面戦争を始めてから、2回目のコンテストでした。

プロジェクトの目標のひとつは、文化財の現状に対する認識を高めることにありました。これは常に重要ですが、特に戦時中において大事で、ウクライナの数百もの文化財がロシアの攻撃により破壊されたり損傷を受けたりしたのです。

2024年3月6日現在、ユネスコは2022年2月24日以来損害を受けたウクライナの345の文化財を確認しています。ウクライナ文化情報政策省によると、945の破壊または損害を受けた文化財があります。また残念なことに、その数は日々増加しています。

私たちはこの特別カテゴリーを、ウクライナの文化財がロシアにより破壊された証拠記録として設定し、ウクライナの読者だけでなく世界に向けてウィキペディアで共有します」と、運営委員会メンバーのオルハ・クレズブは語っています。

北はチェルニーヒウから南はオデッサまで、東はハルキウから北西はジトームィルまで、ウクライナの様々な地域のコンテスト参加者がこの特別カテゴリーに417枚の写真を投稿しました。 

受賞者は次の審査委員会により選ばれました。

  • エフニー・ヴァシュコフ:建築家、写真家、プロジェクト『ムィコラーイウの建築物』の共著者
  • ナディア・リシュトヴァ:ドニプロ出身の建築家、文化財保護専門家
  • セライ・ペトロフ:歴史家、ジャーナリスト、写真家、ハリコフ地域のロシア戦争犯罪記録者、ウクライナのウィキペディアン 

第1位 

Photos by Oleksandr Malyon, CC BY-SA 4.0

第1位には、ジトームィル州(ウクライナ北西部)ヴィアジフカ村にある、聖母マリア降誕教会の破壊された木造建築の写真シリーズが選ばれました。これは2022年3月7日にロシアの砲撃で破壊されました。撮影者はオレクサンドル・マリヨンです。

聖母マリア降誕教会は国の重要建築物で、1862年の建造です。1930年代にはソ連当局により閉鎖され、部分的に解体されました。ドイツ占領期に教会は礼拝所として修復され、第二次大戦後に地元の人々により修復工事が完了しました。2022年に160周年を祝うことになっていましたが、ロシアの全面侵攻開始により破壊されました。 

シリーズ写真は2023年5月27日撮影です。

第2位 

Photo by Mykhailo Titarenko, CC BY-SA 4.0

第2位になったのは「ストア」の写真で、ハルキウ(ウクライナ東部)の憲法広場にある歴史的建物であり、2022年3月2日のロシアによるミサイル攻撃で被災しました。撮影はミハイロ・ティタレンコです。

ハルキウの住民には「ストア」の名前で親しまれている建物は、憲法広場に面して建てられたハルキウの建築記念物です。1894年の建造で、ウクライナの建築家ヴィクトール・ヴェリチコが鉄器店として設計した建築です。1954年に元の建築に2階分が加えられ、ソ連期には「ルクス」店がはいっていました。

写真は2022年3月28日の撮影です。これはまたウクライナのウィキ・ラブ・モニュメントの「ハリコフのランドマーク」特別賞の審査員にも認められています。

第3位 

Photo by Nataliia Lastovets, CC BY-SA 4.0

第3位はハルキウの労働宮殿の写真で、2022年3月2日のロシアによるミサイル攻撃で被災しました。撮影はナタリア・ナストヴィエツです。

労働宮殿、または「ロシア」保険会社歳入庁の建物は、地元の建築記念物です。これは1914年~1916年に建築家ヒポリット・プレトリウスにより建てられました。ソヴィエト政権樹立後、建物は国有化され、国民労働庁の本部として、また全ウクライナ労働組合評議会の本部建物となりました。ハルキウでの戦闘中、ロシアは市の中心部を攻撃し、労働宮殿を含む多くの歴史的建造部に甚大な損害を与えました。

写真は2022年6月18日撮影。これはまた「ハルキウ・ランドマーク」特別賞第3位にもなっています。

第4位 

Photos by Serhii Tarabara, CC BY-SA 4.0

2022年3月11日のチェルニーヒウへのロケット砲撃で部分的に破壊された、タルノフスキー・ハウスの写真シリーズです。撮影はセルヒイ・タラバラ

タルノフスキー・ハウスは、地主で芸術パトロンであった有名な収集家ウラジミール・タルノフスキーの私的コレクションに基づく、ウクライナ古美術のチェルニーヒウ美術館として1902年に建てられました。19世紀末に、タルノフスキーの事業が悪化し始め、収集家は古美術コレクションをチェルニイーヒウ・ゼムストボへ遺贈しました。ソ連時代になると、建物は第一ソヴィエト美術館と改名され、1923年から1925年にはチェルニイーヒウの他の美術館と合併してチェルニイーヒウ国立美術館となりました。1980年からは、建物は児童青少年のための地域図書館として使われています。

写真は2022年4月10日撮影。

セルヒイ・タラバラは、「新しい情報でウィキメディア・コモンズとメディアを豊かにしたかった」と参加の動機を語っています。

第5位 

Photo by Serhii Tarabara, CC BY-SA 4.0

第5位もセルヒイ・タラバラの撮影による、チェルニイーヒウの破壊された地方裁判所ビルです。

この地域の歴史的建造物は2022年2月25日のロシア空爆により被災しました。建物は1904年に地方裁判所として建てられ、1917年まで使われました。その後ソヴィエト・ウクライナ政府が短期間置かれました。総攻撃の際にはチェルニイーヒウ州のウクライナ保安局本部として使われていました。

写真は2022年4月10日撮影。

第6位

Photo by Serhii Tarabara, CC BY-SA 4.0

チェルニイーヒウへの攻撃で被災したイエレツ修道院の写真が6位になりました。撮影はセルヒイ・タラバラ 

イエレツ聖母被昇天修道院は正教会修道院で国定重要文化財です。1060年にキエフ大公スヴャトスラウ2世により、男子修道院として建てられました。1239年には蒙古襲来により破壊されました。1680年代、ウクライナ教会で有名なジョアンニシウス・ガラトフスキーのリーダーシップにより、修道院はウクライナ・バロックスタイルで再建されました。ソヴィエト連邦が発足すると、修道院は閉鎖されました。ウクライナの独立後に、女子修道院して再開されました。

写真は2022年8月19日撮影。

第7位 

Photo by Mykhailo Titarenko, CC BY-SA 4.0

第7位はハリコフのパブロフ家邸宅の写真で、2022年7月6日にロシアのミサイル攻撃で部分的に破壊されました。撮影はミハイロ・ティタレンコ

パブロフ家の邸宅は、地元でも重要な新古典主義様式の建造物で、イェゴール・パブロフのために1832年に建てられました。20世紀初頭には、ホテル「ハスト」として使われました。1919年に国有化され、反ボルシェビキ隊と闘うための特別部隊のハリコフ本部として使われました。

屋根、ほとんどの天井構造、壁、玄関は完全に破壊されました。

写真は2023年4月23日撮影。 

第8位

Photo by Mykhailo Titarenko, CC BY-SA 4.0

2022年3月2日のミサイル攻撃で破壊された、労働人民委員会の建物の写真が8位になりました。それもミハイロ・ティタレンコの撮影です。

労働人民委員会の建物は、地元で重要な1910年代のアールヌーボー様式の建造物です。建てられた正確な年代は不明ですが、一説によると1916年には第1小学校として建設され、1925年から1927年には労働人民委員会(省)行政機能のため拡張されています。ロシアのウクライナへの全面侵攻前は、V.N.カラジン・ハリコフ国立大学経済学部が置かれていました。

撮影は2022年3月16日。

第9位 

Photo by Serhii Tarabara, CC BY-SA 4.0

2022年5月12日のロシアによる空爆で破壊された、チェルニーヒウ州ノーウホロド=シーヴェルシクィイにある旧男子ギムナジウムの建物の写真が、第9位になりました。建物の窓は割られ、屋根と正面の一部は完全に破壊されました。撮影はセルヒイ・タラバラ

ノーウホロド=シーヴェルシクィイの旧男子ギムナジウムの建物は、19世紀半ばに新古典主義様式で建てられた、地元の重要な歴史的建造物です。それは公共建築の例でもあるのですが、重要部分はソヴィエト時代に失われました。1階の窓はより大きくするために削り取られ、1階玄関上の石と2階窓の装飾は失われています。

この建物は、歴史家で民俗学者のミハイロ・マクシモヴィッチのような著名人物の母校でもありました。ソ連時代には、ウシンスキー寄宿学校として使われ、現在はウシンスキー・ノーウホロド=シーヴェルシクィイ国立大学となっていました。

撮影は2022年7月15日。 

第10位 

Photo by Serhii Tarabara, CC BY-SA 4.0

2022年2月27日のチェルニーヒウ市議会議事堂への空爆で部分的に破壊された、青少年センターの写真が第10位に入りました。撮影はセルヒイ・タラバラ

チェルニーヒウ青少年センターの建物は、チェルニーヒウにおける記念建造物でした。建築家ペトロ・サビッチのプロジェクトに基づき1935年に建築が始められ、1939年からはショールシネマとして使われましたが、それは市内で3番目に大きい映画館でした。第二次世界大戦中に破壊され、1947年に再建されました。その年にハンガリーとドイツの戦争捕虜の裁判がそこで行われました。1962年に建物は改造され、「赤」と「円形」のホールが加えられました。映画館は2017年に閉鎖され、建物は地域の青少年センターとなりました。

撮影は2022年4月14日。

戦争による破壊: インテリア 

Photo by Oleksandr Levytskyi, CC BY-SA 4.0

審査委員会は2023年7月23日のオデッサへのミサイル攻撃で損傷した科学者の家のインテリア写真に注目し、特別カテゴリーを設けました。撮影はオレクサンドル・レビツキー

科学者の家は国定の建築記念物で、1896年から1897年にかけてトルストイ伯爵の美術ギャラリーとして彼の住まいの隣に建てられました。デザインはフランシスコ・ボッフォとジョルジオ・トリチェッリによるものでした。

窓ガラスは粉々になり、19世紀の家具とインテリア、温室も被災しました。写真の部屋だけでなく、建物全体が被災しています。オレクサンドルは攻撃の2時間後に被災を記録しました。

撮影は2023年7月23日。オレクサンドル・レビツキーの作品は過去のコンクールにも入賞しています。彼は「(写真が)公共の文化遺産になるであろうから、写真をコンクールに提出する意味があるのです」と考えています。 

戦争による破壊: エクステリア

Photo by Serhii Tarabara, CC BY-SA 4.0

審査委員会が設けたもう一つの特別カテゴリーを受賞したのは、攻撃で大きく損傷したチェルニーヒウ消防協会の写真です。撮影はセルヒイ・タラバラ

消防協会の建物は、チェルニーヒウ地域の記念建造物です。1893年に自主消防組合の組合員のために建てられました。建物は歴史的様式とゴシック要素の混在したスタイルで、銃眼付塔舎と鋭尖窓があります。1941年のドイツ占領期に、火災で焼け落ちました。第二次世界大戦終戦後、建物は元の役割ではなく、セルゲイ・キーロフに因んで名づけられたチェルニーヒウ市印刷局となりました。現在では建物にいくつもの事務所と小売店が入居しています。本格的侵攻が始まった時に、チェルニーヒウ近郊で軍事活動が行われ、被災しました。前面だけでなく、建物のインテリアも損害を受けました。

撮影は2023年4月20日。

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