東京23区の公共図書館をウィキペディアの編集に活用するシリーズ第2弾。今回は荒川区立町屋図書館を訪問しました。
執筆にあたって
図書館の意義が問われる時代です。出版不況が続き、オープンアクセス化が推進され、人工知能が台頭する現代において、図書館はどのような存在であるべきなのでしょうか。
それを探るためには、図書館の活用記録、すなわち「図書館のおかげでこんなことができた」という記録が、様々な観点から作成される必要があると私は考えています。未来像を描くためには過去を知る必要がありますし、過去を知るためには資料が必須だからです。
そのような思いで「東京都の公共図書館をウィキペディアの編集に活用する」シリーズを立ち上げました。このシリーズの目標は、ウィキペディアンによる図書館活用記録を1つでも多く作成することです。この目標を達成するために、私 Eugene Ormandy が東京都の様々な公共図書館を訪問し、所蔵資料を活用してウィキペディア記事の加筆修正を行い、その模様をウィキメディア財団のブログ Diff の記事としてまとめます。このシリーズが、図書館の意義や未来を探るための参考資料となれば、これほど嬉しいことはありません。
調査方針
図書館を訪問する前に、その土地に関するウィキペディア記事にいくつか目を通し、図書館資料を用いて加筆修正できそうな箇所の目星をつけます。また、図書館を訪問した際は、レファレンスカウンターで加筆修正したい箇所を示し、役立ちそうな資料を教えていただきます。
事前調査
今回は荒川区立町屋図書館を訪問することにしました。訪問にあたっては、事前に下記のウィキペディア記事に目を通しました。
- [[尾久の原公園]] – 町屋図書館の近くにある公園。参照した版は 2022年8月19日 (金) 07:24 (UTC) 版。この時点で出典なし。
- [[町屋 (荒川区)]] – 町屋図書館がある街。参照した版は 2022年12月9日 (金) 16:10 (UTC) 版。
- [[町屋駅]] – 町屋図書館の最寄駅。参照した版は 2023年3月22日 (水) 04:44 (UTC) 版。
今回のテーマは「ウィキペディア記事 [[尾久の原公園]] に、何が出典を追加すること」とします。
図書館訪問
荒川区立尾久図書館から20分ほど歩いて町屋図書館へ。外観のレンガ模様が印象的な図書館です。年季の入った建物ですが、整頓されていて過ごしやすかったです。また、広い図書館ではないのですが、動線に余裕があり、ゆったりと過ごすことができました。

入口付近には、区議会だよりなどの各種フリーペーパーがありました。また、ヤングケアラーや就業相談についてのチラシもあり、福祉活動も意識した図書館なんだなと感じました。
- 荒川区の区議会だより
- ヤングケアラーの相談窓口として紹介されている荒川区若者相談「わっか」
- 55歳以上の方のための就職支援講習を行う東京しごとセンター
なお、私が愛するプロレスの本もある程度ありました。最新の本はあまり置かれていない印象ですが、2021年に発売された『誰も知らなかったジャイアント馬場』はありました。
さて本題へ。図書館のレファレンスカウンターで「尾久の原公園についての資料があれば教えて欲しい」と伝えたところ、地図や DVD を示していただきました。ただし、これらのメディアをウィキペディアの出典として利用するのはあまり好ましくないと私は考えているため、郷土資料コーナーにある本を確認することにしました。
- 荒川区編『荒川区史 下巻』荒川区、1989年。
- 池享、櫻井良樹、陣内秀信、西木浩一、吉田伸之編『みる・よむ・あるく 東京の歴史 8』吉川弘文館、2020年。
- 『日本歴史地名大系 第13巻 (東京都の地名)』平凡社、2002年。
- 浅井建爾『東京の地理と地名がわかる事典 : 知れば知るほどおもしろい』日本実業出版社、2018年。
- 松平康夫『荒川区の歴史』名著出版、1979年。
上記の本に目を通したものの尾久の原公園に関する記述はなかったため、新聞データベースを利用することにしました。その結果、なんとか朝日新聞クロスサーチで、公園に関する記事を発見。2012年のダイオキシン検出について、ウィキペディアに加筆しました。編集の差分はこちら。
ちなみに、図書館はあまり新聞データベースの活用実績がないようで、手続きにやや時間がかかってしまいました。また、どの新聞データベースを使えるのか質問したところ、回答をいただけるまで数分ほど待つことになったのは少し残念でした。
なお、図書館での作業を終えたのち、実際に尾久の原公園を訪れました。夕立でずぶ濡れになりながら撮影した写真は、ウィキメディア・コモンズにアップロードしています。


まとめ
「次は何をすればいいのか」と考え続けた回でした。行き詰まった状況で苦しみながら打開策を考えるのも、たまには悪くないなと感じました。