地域の交流の場として今なお活躍する木造校舎を舞台に現役高校生がウィキペディアタウンを開催

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このワークショップはウィキメディア財団の助成金を受けて実施しました。

また、この記事は2024年8月21日にワークショップ主催者(映像ワークショップ合同会社)のウェブサイトで公開されたレポート記事を一部変更して掲載しています。


「私もウィキペディアタウンを開きたいので手伝って欲しい」

6月のある日、そんな言葉を地元の高校生から貰いました。橋立で開催したウィキペディアタウンに参加したことで、共同編集による地域情報のアーカイブ活動に興味を持ってくれたそうです。私たちの活動が地元の若い世代の創造的な活動に結びついたことは大きな喜びであり、希望でもあります。映像ワークショップでは準備からレポートまでを伴走。ここではそのレポートを掲載します。イベント開催を通して彼女が成長する様子をお伝えできればと思います。


寄稿文・イベントレポート「地域の交流の場として今なお活躍する木造校舎を舞台に現役高校生がウィキペディアタウンを開催」

概要

2024年7月20日に旧加賀市立瀬越小学校の施設を利用した地域交流施設である「竹の浦館」にてウィキペディアタウンを開催した。主催したのは加賀市在住の高校2年生で、友人や知人の協力により、約1ヶ月の準備の末に開催に至った。このレポートでは主催者である「私」の視点でイベントの準備や運営で得た気付きと、記事執筆者としてイベントに参加した感想を綴る。

ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真
ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真 / File:Wikipedia_town_in_takenourakan_report_photo_01.webp / Picture by Eizo Workshop G.K. / CC-BY-SA-4.0

背景

石川県加賀市は県の西端に位置し、中でも瀬越地区は福井県との県境にほど近いところにある。その瀬越地区に北前船主である大家七平と広海二三郎の寄贈によって1930年(昭和5年)に建てられた小学校が瀬越小学校である。瀬越小学校は1967年(昭和42年)に廃校となり、幾度か取り壊しの話が持ち上がったが、地元有志の尽力により、地域交流施設として存続してきた。現在は「竹の浦館」と言う名前で校舎や校庭をイベント会場やキャンプ場として活用している。
私は以前、竹の浦館にまつわる歴史を聞く機会があり強い感銘を受けた。そして他の人たちにも竹の浦館の持つドラマを知ってもらい、より好きになって欲しいと考えるようになった。そのために今年の2月から、竹の浦館の歴史について調べはじめ、アーカイブとして残していくことを目標に活動を行っている。

6月に加賀市橋立町で行われたウィキペディアタウンに参加したことがきっかけで、ウィキペディアに竹の浦館の記事を作ることが出来ないかと考えた。私と同じように竹の浦館に関心のある人を集めて、イベント形式で記事を作ることで、私一人で行うよりも多くの情報や視点を得られると考えたからだ。
そこで、橋立町のウィキペディアタウンを主催した映像ワークショップ合同会社に相談したところ、開催に向けて協力してもらえることになった。8月には私の海外留学が控えているため、7月中旬に開催することを目指して準備に取り掛かった。

ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真
ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真 / File:Wikipedia_town_in_takenourakan_report_photo_02.webp / Picture by Eizo Workshop G.K. / CC-BY-SA-4.0

事前調査

開催にあたり、竹の浦館に関する資料集めが必要となるが、まずは資料を探す手がかりが必要であることに気づき、事前調査として竹の浦館の整備と管理を行っていたNPO法人 竹の浦夢創塾の元・理事長にインタビューを行なうことにした。
急な連絡であったが快諾して下さった。しかし、インタビュー日時の最終確認を怠ったため、相手に不安を抱かせてしまった。
インタビューでは、NPO発足当時の体制や活動内容を聞くことができた。主な活動としては発酵食品の体験教室があった。「へしこ」というサバを塩漬けにした後に糠漬けにした郷土料理や、味噌、漬物などを作っていたが、長い時間がかかるために苦労があったという話も聞くことができた。
インタビューに向けて聞きたい事はまとめておいたが、質問を考えながら話を聞くことは難しく、いくつか簡単な質問の形式を用意し、話を広げられるよう準備しておくと良いと思った。

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ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真 / File:Wikipedia_town_in_takenourakan_report_photo_03.webp / Picture by Eizo Workshop G.K. / CC-BY-SA-4.0

資料集め

インタビューで得られた手がかりを元に加賀市立中央図書館で資料集めを行った。図書館の郷土史コーナーで1924年(大正13年)発行の「石川縣江沼郡 瀬越村誌」を見つけることができ、瀬越小学校の前史を得ることができた。その他に瀬越小学校や竹の浦館について書かれてる書籍は見つけることができなかった。一方で、新聞記事については12個の記事を得ることができた。加えて、ウィキペディア日本語版管理者のあらいしょうへいさんに協力してもらい、新たに17個の新聞記事を得ることができた。また、竹の浦館の事務室から改築工事に関する資料も得ることができた。
これで充分な量の資料を得ることができたと考えていたが、実際に資料を読み込んでみると記事にしたい情報が書かれている記事を入手できていないことがあった。記事にしたいことと、それを裏付けるために必要な資料との擦り合わせを事前に行う必要があったことに気付いた。
また当日、見学者から資料になりうる書籍の情報を得ることができた。資料集めの前に聞き取り調査をより多くの人に対して行っておけば良かったと思った。

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ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真 / File:Wikipedia_town_in_takenourakan_report_photo_04.webp / Picture by Eizo Workshop G.K. / CC-BY-SA-4.0

レクチャーの受講

ウィキペディア日本語版管理者のあらいしょうへいさんにウィキペディアの記事を書く上で気をつけるべき点についてレクチャーを受けた。ここで私が事前に学んだことを前もって参加者に伝えることで、開催当日はなるべく多くの時間を資料を読んだり記事を書いたりする時間に充てることができた。また、ウィキペディアの記事を書く上で重要になる「三大原則(中立的な観点であること、検証可能であること、独自研究は載せないこと)」を紙にまとめ掲示することで、参加者がいつでも振り返ることができるようにした。
レクチャーでは当日の進め方についても相談し、資料から読み取った情報を付箋にまとめる方法なども教えてもらった。以前行ったウィキペディアタウンの時間配分や様子などを詳しく教えてもらい、資料を読んで記事を書くまでの流れを作ることができた。

ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真
ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真 / File:Wikipedia_town_in_takenourakan_report_photo_05.webp / Picture by Eizo Workshop G.K. / CC-BY-SA-4.0

開催準備

開催準備のために用意できた期間は1ヶ月と決して充分ではなかったが、放課後の時間の使い方を工夫したり、友人や知人の力を借りて準備に取り組んだ。毎週打ち合わせを行うことで、進行状況を確認しつつ資料の準備や会場のセッティングなどを進めていくことができた。もちろんより多くの時間があれば当日の内容や資料集めはより充実したかもしれない。だが、期間が限られていたためメリハリをつけて準備することができたとも考えている。

広報

集客は開催予定日の2週間前から友人や知人を中心に声かけを行なった。インスタグラムなどでより長い期間告知を行なっておけばより多くの方に興味を持ってもらうことができたかもしれないが、結果的には今回のイベント規模に合った参加者を集めることができた。友人や知人への声掛けが主だったため、参加者や見学者の人数把握も容易にできた。

会場予約

竹の浦館には広さや用途が異なるいくつかのレンタルスペースがあるが、今回のイベントには「談話室 はまぼうふう」を選んだ。この部屋は冷暖房が完備されており、7月の気候でも快適に利用できる。
予約の際、竹の浦館の管理者と口頭で行なっていた。しかし、正しく伝わっていないことがあったため、改めて利用申請フォームから予約を行なった。たとえ管理者と顔見知りであったとしても、予約などの事務的なことは形式に則って行った方が管理者にとっても利用者にとっても都合が良いことがわかった。
チラシや会場案内などを玄関や部屋の扉に貼らせてもらうことができ、参加者が迷わず会場にたどり着くことができた。

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ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真 / File:Wikipedia_town_in_takenourakan_report_photo_06.webp / Picture by Eizo Workshop G.K. / CC-BY-SA-4.0

開催当日

当日、参加者は私も含めて4名、見学者は3名が集まった。午後1時から開始し、午後5時半に終了した。

記事執筆

資料からわかることを付箋にまとめる過程を実際にやってみて、一つの文章から情報を抜き取ることが意外と難しいことを実感した。付箋が言葉足らずになってしまい、他の人にわかりにくいメモになってしまった。付箋にメモを取る時には相手に伝えるつもりで書くことを心がけようと思った。
全ての付箋を分類した結果、4つの見出しを作ることになった。参加者の人数が4人だったため、一人1つずつ割り振った。
みんなから集めたメモを使って自分自身に割り当てられた部分を書き切ることができた。メモを文章にまとめることは、短い文であっても想像以上に時間を要した。
私の担当箇所の投稿が終わった後も他の人の投稿の手伝いをし、全員が各々担当した箇所をその日の内に投稿することができ、記事としての体裁を作ることができた。一つの記事をみんなで書き切ることができた時はとても嬉しく、達成感が感じられた。

ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真
ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真 / File:Wikipedia_town_in_takenourakan_report_photo_07.webp / Picture by Eizo Workshop G.K. / CC-BY-SA-4.0

進行

初めの挨拶や流れの説明などの時に、参加者に向かって堂々と話すことができた。また、当日のスケジュールを書いた紙を用意したことで、流れを確認しながら作業に取り組むことができた。
予定していた全ての作業を完了することができたが、予定していた終了時間から30分延長することになってしまった。当初、挨拶に15分、資料を読み付箋にまとめることに60分、付箋に書いたことを分類ごとにまとめ章立てすることに30分、記事を書くことに60分、投稿するのに60分という時間割を計画していた。
延長となった理由は2つ考えられる。1つ目は、資料を読むことに想定以上の時間がかかってしまったことが挙げられる。私自身が記事の執筆も行っていたため自分自身の作業に集中してしまい、次の作業に移るための声掛けが充分にできなかった。2つ目は、付箋を分類ごとにまとめる方法を事前に把握することができておらず、ここでも想定以上に時間がかかってしまった。
しかし、最初から延長することを見込んで予備の時間を用意しておいたことで、途中で終了する事態を避けられた。

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ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真 / File:Wikipedia_town_in_takenourakan_report_photo_08.webp / Picture by Eizo Workshop G.K. / CC-BY-SA-4.0

今回は時間がなく行なっていないが、投稿をする前に他の人の書いた記事を読む時間を取ることができればより完成度の高い記事を作ることができたと思う。
実際に作業をしてみて、進行と作業を同時に行うことがどれほど難しいか実感した。私自身も初めての作業が多く、進行どころではなかったと振り返ることができる。
今回は知人に進行をサポートしてもらい、なんとか進めることができたが、私一人だったらより多くの延長時間が発生していたと思う。
自分は作業に集中して、他の人に進行をお願いすることや、その逆で、自分は作業には参加せずに進行だけ行うという選択肢もあったと気付くことができた。

今後の展望

今回、竹の浦館を題材にウィキペディアタウンを開催してみて、誰でも気軽にウィキペディアの編集を行えることを知ることができた。また、資料を読んだり記事を書く際に大切な考え方も学ぶことができた。竹の浦館の写真をアップロードしたり、更に調べてわかったことを追加したりすることで、竹の浦館のページをより充実させていきたい。また竹の浦館だけでなく、ウィキペディアの他の記事にも関わっていきたいと考えている。今後も竹の浦館での活動を続け、新たな表現方法や保存方法を用いて、竹の浦館の歴史や、そこに集まる人の想いを残していきたい。

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ウィキペディアタウン in 竹の浦館 レポート 写真 / File:Wikipedia_town_in_takenourakan_report_photo_09.webp / Picture by Eizo Workshop G.K. / CC-BY-SA-4.0

竹の浦館 – Wikipedia

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