兵庫県丹波篠山市は、江戸時代に篠山藩の城下町として発展した篠山町を中心に、多紀郡の4つの町が20世紀末に合併して誕生した自治体です。当初は篠山市と呼ばれていましたが、2019年に丹波篠山市と改称。時代劇を彷彿とさせる城下町の風情ある街並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、丹波栗、丹波黒、牡丹(イノシシ)肉など美食で知られた特産品が多く、人気の高い観光地です。
そんな町で、初めてのウィキペディアタウン開催と聞けば、美しい街並みや文化財、美味しい特産品が題材になりそうなところ、「怪談」「七不思議」とはまさかのキーワード。検索してみると、「篠山の怪談七不思議」は100年の歴史を持つ地元メディアの丹波新聞や地元・丹波篠山市の公式サイトには詳しく紹介されていましたが、その出典元といえるのは奥田楽々斎という昭和初期の郷土史家が残した文献くらいでした。
これはWikipediaの単独項目に成り得るのだろうか? せっかくウィキペディアタウンを開催して、Wikipedia編集者を増やそうと名乗りを挙げてくれたのに、手掛けた項目が早々に削除されたり、Wikipedia内から厳しく何か言われるようなことになってはもったいない……と少々心配していた矢先、たまたま筆者が仕事で登壇した図書館大会で企画の主催関係者と知り合う機会があり、陰ながらサポート参加することになりました。本稿では、良い意味で想像を超えた公共図書館職員主導のWikipediaエディタソン「ウィキペディアタウン in 丹波篠山~篠山の怪談七不思議~」について紹介します。
(怪談スポットを巡る 漱石の猫, CC BY-SA 4.0 ウィキメディア・コモンズ経由で)
edit Tango参加イベント2024 / №20 兵庫県丹波篠山市 ウィキペディアタウン in 丹波篠山~篠山の怪談七不思議~
2024年11月24日、兵庫県丹波篠山市で開催されたウィキペディアタウンについて、私が最初に情報を得たのはおよそ1年前、2023年秋のことでした。日本では何人ものウィキメディア・ユーザーがウィキペディアタウンの講師をしたりしていますが、残念ながらそれらの情報はWikipedia日本語版のプロジェクトページで共有されていないケースも多く、例えば「全国のウィキペディアタウンの開催状況と図書館のかかわり」などについて研究したい大学や研究機関の人々(近年多いのです)が、簡易にデータ分析に使ってウィキメディア運動の発展に貢献できるような情報源としては網羅されていません。そこで、筆者や筆者の友人は定期的にGoogleやSNSで「ウィキペディアタウン」という用語を検索して、Wikipedia内のプロジェクトページから漏れているイベント情報を蒐集しているのですが、そのなかで閲覧した図書館協議会の議事録に、「来年秋にウィキペディアタウンを実施」という丹波篠山市立図書館の提案を見つけたのでした。
発起人は丹波篠山市立中央図書館の図書館司書。図書館内で、職員による新規企画のアイディア提出が求められており、図書館として読書週間など様々な企画を提案したうちのひとつが、「ウィキペディアタウン」だったのだそうです。その時点で、少なくとも図書館協議会側にはWikipediaのコミュニティはいわゆる企業のような組織であり、投稿には査読が必要なのではといったような誤解があったことが読み取れ、ウィキメディアの普及啓発活動のなかで説明しておくべきポイントなどについていくつか気付きを得ることができました。企画の発起人は今年に入ってからWikipedia を勉強し、本人曰く「編集活動の過程で、Wikipediaの中の人から多くの指摘を受けたり、記事を削除されたりした」とのことですが、挫けることなく取り組まれ、ほぼ完璧な方針理解で2024年11月24日のイベントを迎えられました。
この取り組みには、今年新規に採用された若手職員も中心的に関わっていました。イベント当日には、参加者の市民にWikiedia講習を行い編集方法を教えたり、資料を紹介するスタッフとして少なくとも3名の図書館職員が活動し、編集内容のアドバイスやどの項目に何を加筆するべきかといったことも彼らが相談して決めていきました。まちあるきではさらに2名の職員が同行し、参加した市民の安全に気を配っており、このウィキペディアタウンにかける市の意気込みを感じました。
私がこの企画に関わり始めたのは、2024年夏。といっても、ほんの数回、メールで相談に応じた程度です。企画を主導していた図書館司書が作成したガイダンス資料の監修を頼まれたのがきっかけでした。メール送信されてきたテキストは、製作者自身がウィキメディア編集者でなければ到達できないと思われる、ポイントをおさえた理解度の高いもので、私から指摘すべきようなことは、Wikipediaの編集方法は1種類ではないこと、編集競合や、初参加者もアカウントはなるべく事前に取得しておくように、といった、グループで活動していなければ通常は問題にならないことくらいでした。その後、なんとなく流れで当日もオブザーバー的に参加することになりました。この頃、他にも丹波篠山市の企画を気にかけていたウィキペディアンが数名いたのを把握していたので、私は彼らにも情報を共有しました。その結果、1名のウィキペディアンがサポート参加してくれることになったので、その交通費は私が受給しているウィキメディアの一般支援基金でサポートしています。
さて、ウィキペディア編集者として参加するとなれば、イベント当日に手ぶらで参加するだけでは、できることは限られています。そこで、前日以前に独自に丹波篠山市立中央図書館で調査を行い、イベントのまちあるきスケジュールには入っていなかった題材の関連地も全て巡って写真を撮ったり、それらをマッピングしてWikipedia項目に挿入できる地図を作成したりと、私たちはそれぞれできる準備をしたうえで当日を迎えました。
イベントでは、図書館の主担当者に「もし、思い込みで間違ってたことを言ってしまっていたら、そういう時は『それ違う!』って強く言ってください」と私は監督的な役割を依頼されましたが、そのような必要性はまったくありませんでした。図書館が用意していたガイダンス資料は、多様な視覚特性のある人にも読みやすい、いわゆる「読書バリアフリー」対応を意識したようなUDフォント(ユニバーサルデザイン・フォント)の大活字で、漢字にルビをふり、簡易な文章で「五本の柱」や「検証可能性」の大切さ、「信頼できる情報源」とは何かを解説し、Wikipedia編集方法についてはスクリーンショットを多用して万人に理解しやすく配慮されていました。当初は小学生の参加も予定されていたため、子どもから高齢者にまで理解しやすい解説資料となるよう、表現やフォント、文字の大きさなど細部まで配慮し、何度も練り直して完成させたのだそうです。この普遍的な、どこのどのようなイベントでも通用するだろうWikipedia解説テキストを参照できただけでも、私の方が学ばせていただいたように思います。また、当初は丹波篠山ならもっと他に良い題材があるのでは……と思った怪談七不思議も、ガイドがいなければまったく認知されないようなスポットばかりで、こうしたイベントで取り上げる意義を感じ、地元主催者ならではの深い視座を理解できました。
(読書バリアフリーにも配慮されたテキストでのガイダンスの様子 漱石の猫, CC BY-SA 4.0 ウィキメディア・コモンズ経由で)
編集活動では、やはり「独立記事作成の目安」に照らして単独項目の立項ではなく「篠山町」あるいは「丹波篠山市」の伝承項目への加筆をしたいと思う、と、主催者側から確認がありました。Wikipediaの方針ページを熟読したうえで単独項目として立項すると言われれば、それは私たちが反対する筋のことではありませんが、やはり文献情報が少ない段階では編集成果として後世まで残る安全性が高いのは既存項目への加筆ではないかと私たちも考えていたので、正直ほっとしました。また、既存項目に加筆するにしても、Web上の記述を要約するだけではあまりWikipediaに書くメリットのない情報の劣化版になってしまいますから、できるだけその他の書籍等の情報を取り入れた「解説」ができることを期待しましたが、そうしたことも企画を主導した図書館のみなさんや参加者の皆さんもただちに理解してくださり、本当に関係者全員が事前によく勉強されたうえでのウィキペディアタウン開催であったと思いました。
そのような様子だったので、私たちウィキペディアンのオブザーバー組は、イベントのメインの加筆記事となった「丹波篠山市」の項目には基本的に関知せず、イベント参加者が編集しないウィキソース、ウィキデータ、ウィキメディアコモンズに「篠山の怪談七不思議」を立項したり、Wikipediaの他の関連項目8記事にせっせと「篠山の怪談七不思議」ワードを盛り込む編集に専念しました。「篠山町」や「河原町妻入商家群」といった関連地の項目、「怪談」や「七不思議」をはじめ、「のっぺらぼう」、「一つ目小僧」、「釣瓶落とし」、「大入道」といった妖怪の項目です。通常、アウトリーチ活動では、一般に知名度が高くニーズの多いWikipediaでテーマとなった題材の項目に専念することが多い(その他の項目や姉妹コンテンツを手掛ける余裕がない)ので、こうしたウィキメディアンらしいウィキメディア活動に、エディタソンで取り組めるのは新鮮で、とてもおもしろかったです。
(既存のWeb情報との差別化を意識して「丹波篠山市#篠山の怪談七不思議」を編集中 漱石の猫, CC BY-SA 4.0 ウィキメディア・コモンズ経由で)
日本ではこれまで、多くの公共図書館などGLAMイベントのエディタソンでは、GLAM関係者はあまり企画の前面に立とうとせず、Wikipedia編集についてはウィキペディアンに任せようとする傾向がありました。適材適所と言えば聞こえはよいですが、アウトリーチ活動に関わるウィキメディアンの人数がウィキメディアン全体から見れば1パーセントにも及ばない現状で、ウィキメディアンを講師にしなければエディタソンが開催できないと考えられていては、ウィキメディアの普及啓発活動は、人口減少その他の理由で先細りするWikipedia日本語版等の維持と発展に必要な編集者数の確保が、到底追いつかないでしょう。
イベントを開催して第三者にウィキメディア編集に参加させるというのは、ある種の責任を伴う活動でもあり、勇気が要ることと思います。慎重さと相応の準備はもちろん必要なのですが、多くの人々が臆することなくそれぞれのコミュニティでウィキメディアの様々な活用の可能性を模索し、自らエディタソンを開催し、多くの編集者仲間を獲得していってくれたらいいなと思いました。
(河原町妻入商家群を歩く参加者たち 漱石の猫, CC BY-SA 4.0 ウィキメディア・コモンズ経由で)
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