ウィキペディアという墓標

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自身が雑誌で連載している記事について、編集者から「読み終わったら駅のゴミ箱に捨てられるくらいのつもりで書いてください」と言われたと太田光は語っている。そして太田は「それがずーっと俺の中にある」と続ける。これはとても潔い、美しい姿勢だと思う。

ただ、ウェブ記事のライターは、太田以上の覚悟をしないといけないのだろうなと思う。すなわち「しばらく経ったら記事の存在ごとゴミ箱へ」という覚悟を。

紙の雑誌は売れないかもしれないが、筆者が現在暮らしている日本であれば、国立国会図書館に納本する限り後世に残る。一方ウェブ記事は、ドメインの期限切れや、ホスト機関および各種ステークホルダーの気まぐれによって、簡単に消える。

もちろん、国家体制が揺らいで国立国会図書館が消える可能性もあるし、そのリスクはウィキペディア記事「カンボジア国立図書館」や「2005年のトルクメニスタンにおける図書館の閉鎖」を書いた人間として常に意識しているのだが、いち民間企業のウェブマガジンのドメイン切れよりは、実現可能性が低いと判断していいだろう。

カンボジア図書館 (Gonzo Gooner, CC BY 3.0)

ウェブアーカイブの試みは、官民を問わず存在する。ただし、網羅的に遂行できるわけではないし、何より特に Internet Archive をはじめとする民間の団体は、常に存続の危機と戦っている。

そんな状況下で、自分がウィキメディア・プロジェクトにボランティアとして参加しているのは、結局「ウィキメディアが一番まともそうなウェブアーカイブ機関だから」だ。

理想を言えば、紙の資料とウェブ資料の双方を対象とした、各種課題をクリアしたデジタルアーカイブを作りたいとは思うのだが、そんな技術や政治力はない。また、特定の団体を「最高のアーカイブ機関」にしようとする姿勢が、本来は非中央集権的であるべきワールド・ワイド・ウェブの理念からすればあまり好ましくないこともわかっているが、そんな理想郷を作り上げるのはほぼ不可能になってしまった現実も知っている。

他にも、検索アルゴリズムゆえに現在の地位を築いたといっても過言ではないウィキペディアが、AIによる「生成」が検索エンジンを凌駕するであろう時代に存続できるのかなど、不安材料をあげればキリがない。とはいえ、他の選択肢はそこまで多くない。doiなどの有望な制度はあるものの、一市民がどうこうできるものではない。ため息をつきながらウィキメディア・プロジェクトを編集するのが関の山なのである。

3Dプリンタで作成されたウィキペディアのトロフィー (Fawaz.tairou, CC BY 4.0)

紙の資料やウェブ記事をウィキペディアの出典として活用し、その書誌情報やリンクを記入する際、自分は心の中でこう呟いている。

「お前たちが存在した事実は、今のうちにウィキペディアという墓標に刻んでおくよ。まあ、この墓もいつブッ壊れるかわからないけど、なんとか頑張って保守するわ。とりあえず、頼むから長生きしてくれよな。」

参考資料

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