稲門ウィキペディアン会の Eugene Ormady です。本稿では、根本彰の著作『アーカイブの思想 言葉を知に変える仕組み』における、ウィキペディアに言及した記述を紹介したのち、簡単に感想を述べます。

書誌情報
- 根本彰 [著]. アーカイブの思想 : 言葉を知に変える仕組み, みすず書房, 2021.1. 978-4-622-08970-4. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I031206556

内容
本書では、ウィキペディアに言及した記述が2つ登場していました。以下、それぞれ引用します。
1つ目の記述
インターネットがビッグビジネスのインフラとなったために、アーカイブ装置としての問題が多々現れているということができるでしょう。既存メディアは商業資本によって維持され、歴史的にも知それ自体が大資本と結びついたことも多々ありました。しかしながら、複数の企業が就業することによって、相互にバランスが生まれることで知の中立性と知的源泉としてのアカデミズムやジャーナリズムとの良好な関係を保ってきました。しかしながら、現在起こっていることは基本的な知識と情報のインフラそのものが単独、あるいは少数の企業によって支配されるような構図です。検索エンジン市場がGoogleの勝利で終わったときから、WWW以外のプラットフォームが生成していると理解することもできますが、これらがアーカイブ的な知の構築にとってどのような作用をもたらすのかについてはよくわかっていません。
その意味で、ボランティアの執筆者が集合的に世界百科事典を作ろうとWikipediaや、インターネットコンテンツを定期的にアーカイブしてそれを公開しているInternet Archiveといった非営利ベースで行われているプロジェクトが、今後とも重要になると思われます。また図書館や博物館、文書館のようなアーカイブの公的セクターがどのように関与するのかが問われていると言えます。
上掲書、259-260ページ。
2つ目の記述
ここで、学校の教室で特定教科の探究学習をしている場面を想定してみましょう。学習者が課題に取り組んだときに分からない言葉があったとします。これを手元の辞書でもネット上のデータベースでもいいのでとりあえず検索してみます。その言葉の意味や用例が出てきます。また、Wikipediaを引くとさらにその背景の知識が書かれています。この場合に得られた「意味」は最初の主題となりますが、意味を調べて終わりにしません。意味とは言葉の使用者コミュニティによって構築されているとすれば、意味を構築しているコミュニティがどのような文脈でどのように使ってきたのか明らかにします。複数の意味があればその文脈を明らかにすることが音楽カノン的なずらしです。またWikipediaは記述の文献的根拠をつける決まりになっていますから、展開された説明の根拠の文献に遡ることができます。これだけでも、最初の主題からさまざまな展開が行われていることが分かります。
上掲書、286-287ページ。
感想
著者の意見には概ね賛成ですが、自分ならもう少し細かく補足するなと感じた箇所もありました。
1つ目の記述で示された「寡占された情報インフラにおける、非営利のウィキペディアや Internet Archive の重要性」については同意見です。一方、その前段で行われた既存メディアについての解説、すなわち「商業資本によって維持され、歴史的にも知それ自体が大資本と結びついたことも多々ありました。しかしながら、複数の企業が就業することによって、相互にバランスが生まれることで知の中立性と知的源泉としてのアカデミズムやジャーナリズムとの良好な関係を保ってきました」という記述は、やや物足りないかなとも感じました。自分だったら「既存メディアにも問題はあった」という点について、もう少し深掘りすると思います。というのも、「新興メディア」も間違いなく、「既存メディア」の問題点を幾らかは引き継いでいると思われるからです。
それに加えて、自分だったら最後に「ウィキペディアや Internet Archive 頼みになるのも本来は望ましいことではなく、これらはあくまで『次善の策』にすぎない」という指摘をしたいなとも思いました。理想を言えば、ウェブ上のページは全て無料で閲覧・二次利用できるべきであり、ワールド・ワイド・ウェブそのものが非中央集権的な巨大な百科事典となるべきです。ただし、残念ながらそのような状況にはなっていないので、良心的にアーカイブ作業を運営してくれると思われる機関・プロジェクトにリソースを(渋々)集中し、アーカイブの役割を担わせていると私は認識しています。そして、そのような批判精神のもとで私はウィキメディア・プロジェクトを編集し、ウィキメディア・ムーブメントに参加しています。ウィキペディアを運営するウィキメディア財団は比較的良い機関だと私は思いますが、ユーザーたちの努力によって巨大化するうちに「悪しき中央集権主義」に陥ってしまう可能性もゼロではありませんからね。
2つ目の指摘「単に意味を調べて終わるのではなく、他の文脈を調べたり、ウィキペディアの脚注等を辿ってみよう」には、完全に賛成です。「ウィキペディア以外のメディアも、参考文献をきちんと示してほしいものだ」と改めて感じました。また、余談ですが本書の出版は上掲のとおり2021年です。このブログ記事を執筆している2025年1月に、著者が本書を書き直すとしたら、出典明記を謳う生成AI「Perplexity」も具体例として登場させていたかもな、とも感じました。
まとめ
根本彰『アーカイブの思想 言葉を知に変える仕組み』における、ウィキペディアに言及した記述を紹介したのち、簡単に感想を述べました。本稿が何かの役に立てば幸いです。

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