稲門ウィキペディアン会の Eugene Ormandy です。本稿では、小説家の三浦しをんさんと、岩波書店辞典編集部課長の奈良原愛さんとの対談における、ウィキペディアに関連する記述を紹介し、簡単にコメントをします。

書誌情報
- 松井美緒「対談 紙の上ではばたく想像力の翼。」『東京人』第40巻第3号、2025年2月、都市出版、30-37ページ。
おことわり
本稿は、2025年1月4日に筆者 Eugene Ormandy が、X (Twitter) アカウント「稲門ウィキペディアン会」で投稿したいくつかのポスト (https://x.com/ToumonWikipedia/status/1875398823767683267) を加筆修正したものです。あらかじめお断りいたします。
内容
36ページから37ページにかけて、ウィキペディアが言及されていました。以下、引用します。
三浦:経済合理性を考えると、辞書はいらない、Wikipediaでいいだろ、ってなっちゃう。Wikipediaもいいものですけど、でも、辞書じゃなきゃいけないことが、絶対にあるんです。辞書がなくなったら、そこに詰まった楽しさも知恵も消失する。私たちの暮らしも、きっと不便になっちゃう。それに、実は辞書は非常に合理的な書物です。
奈良原:その通りだと思います。Wikipediaには集合知としてのよさがありますよね。世界各地の情報がローカルなものまで得られる。辞書にはそれはありませんが、代わりに運命的な言葉との巡り合いがあります。
子どもに辞書を引いてもらうと、パラパラめくっていって、そのときの気分にあった言葉が目に入ってくるみたいなんです。お腹が空いていたら天津飯、サッカーが好きだったらマラドーナ、みたいな。自分のほしいものを辞書が教えてくれる。辞書は関心を広げてくれる入り口でもありますね。
三浦:ランダムにいろんなものが並んでいるのって、大事ですよね。辞書は入り口であり、自分の知らない世界に通じている窓のようなもの。そこが電子辞書は弱いかなと思います。あと、Wikipediaだと、説明が冗長になりますよね。どんだけスクロールすればいいんだっていう(笑)。それに比べて、辞書の語釈は非常にコンパクトです。こうだよ、と一言で教えてくれる。その意味でも入り口なんですよね。一言の語釈をもとに、自分でもっと調べられる。
奈良原:紙というスペースの制約があるから、辞書の語釈はより研ぎ澄まされていると思います。
三浦:電子やネットだとその制約がないから、どうしても語釈は緩むんじゃないでしょうか。紙の辞書がなくなれば、語釈という技法もなくなってしまう。小説も、本一冊のサイズという制約がなかったら、ダラダラとしたつまらないお話になると思います。
感想
ウィキペディアは適切な比較対象なのか
私はウィキメディアンなので、まず「辞書 (Dictionary) の比較対象とすべきは、百科事典 (Encyclopedia) のウィキペディアではなく、辞書のウィクショナリーなのでは?」と感じました。ただし、奈良原さんが編纂する『広辞苑』が記事中で「国民的な『国語+百科』辞典」と紹介されていることや、子どもが興味を持つ項目として奈良原さんがあげる例が「天津飯」「マラドーナ」などいわゆる「百科項目」であることを踏まえると、ウィキペディアとの比較も妥当ではあるのかなとも感じました。とはいえ、ウィクショナリーとの比較についても読みたかったところではあります。

冗長性は可能性
「ウィキペディアの説明が『冗長』である一方、辞書の語釈はコンパクト」という趣旨の指摘については、私も全くもって同意見です。そして私は、その「冗長さ」ゆえにウィキペディアには可能性があると信じており、その発展のために自分のリソースを割いています。
具体的には、紙の辞書・事典には掲載できない量の脚注、参考文献をウィキペディアに列挙することで、特定主題に対するブックリスト、および拡張的なOPACを作成することができると私は考えています。また、例えば名曲喫茶ルネッサンスのような「個別の雑誌記事等ではそこまで深掘りされていないが、言及している記事はそれなりにある」主題についての、最も詳しい日本語テキストを作成することができるとも考えています。なお、このあたりの話は「ウィキペディアンの読書記録 #8 菊地成孔「YouTube的JAZZ入門」」などのブログ記事にも書いているので、ご興味ある方はどうぞ。
閑話休題。ウィキペディアの「冗長さ」を活用するという戦略を採用している以上、もちろんプロの辞書編纂者のような「コンパクトな名文」を書くことは、はなから諦めています。ウィキペディアの編集に要請されるのは、あくまで情報を淡々と要約して検証可能な形で配置することであり、それさえ達成すれば「名文」や「面白い文章」を書く必要はないですからね。これはある種の限界ではありますが、集合知に基づくプロジェクトにとっての希望でもあると私は感じています。
運命的な出会いはウィキペディアにも
蛇足ながらもう1点。奈良原さんが指摘する、紙の辞書がもたらす「運命的な言葉との巡り合い」について異論は全くありませんが、ウィキペディアも多少はセレンディピティを提供できるということは主張しておきたいと思います。たとえば日本語版ウィキペディアには「おまかせ表示」の機能がありますし、適当に開いた記事のハイパーリンクを辿って、思いもよらなかった言葉と出会うこともできます。また、カテゴリ機能やポータルを活用することで、「クラシック音楽にまつわる単語をブラウジングしたい」といった緩やかな制約があるニーズにも応えることができます。幸か不幸か、セレンディピティは紙の辞書・事典の専売特許ではないのです。
求ム相互理解
長々と述べましたが、伝統的な辞書・事典も、ウィキペディアをはじめとするウィキメディア・プロジェクトも私はそこそこ好きですし、適切な役割分担のもと、ともに発展してほしいと思っています。そのためにも、相互理解、特に辞書・事典編纂者によるウィキメディア・プロジェクトの理解が進んでほしいなと願うばかりです。もちろん「理解はしたが好きにはなれない」というスタンスも大歓迎です。
最後にヒールのプロレスラーのような憎まれ口をたたきますが、商売を行う以上、他社製品との差別化は必要不可欠であり、そのためには同業他社の情報を細かく把握することが重要なはずです。果たして2025年時点の日本の辞書・事典業界に、ウィキメディア・プロジェクトという「同業他社」を深く理解している人がどれほどいるのか、辞書・事典好きのウィキメディアンとして少しばかり不安に思っています。
まとめ
小説家の三浦しをんさんと、岩波書店辞典編集部課長の奈良原愛さんによる対談における、ウィキペディアに関連する記述を紹介し、簡単にコメントしました。本稿がどなたかのお役に立てば幸いです。
余談
「ウィキメディア・プロジェクトについて学びたいが、どこから手をつけていいかわからない」とお困りの辞書編纂者がいらっしゃいましたら、まず「Wikipedia:ガイドブック」をご覧になることをお勧めします。
また、レクチャーをご希望の場合、ご連絡いただければ可能な範囲で対応します。筆者 Eugene Ormandy がレクチャーを実施するか、知人の経験豊富なウィキメディアンたちにつなぐことになるかと。なお、筆者の実績は以下のとおりです。参考まで。
- Eugene Ormandy「ウィキペディアを編集する辞書マニア【ウィキペディアの歩き方】」『ENGLISH JOURNAL』アルク社、2024年5月31日。
- Eugene Ormandy「大宅壮一文庫でウィキペディア編集イベントを開催(2023年10月21日)」『Diff』ウィキメディア財団、2023年10月26日。
- Eugene Ormandy「三康図書館でウィキペディア編集イベント WikipediaSanko を開催」『Diff』ウィキメディア財団、2023年6月12日。
- Eugene Ormandy「東京外国語大学コモンズカフェ「もっと知りたいウィキペディア」開催記録」『Diff』ウィキメディア財団、2024年9月26日。
- Eugene Ormandy「東京国立博物館資料館でウィキペディア編集イベントを開催(2024年8月21日)」『Diff』ウィキメディア財団、2024年12月20日。
- Eugene Ormandy「東久留米市立中央図書館「ウィキペディア東久留米 ~まちの写真を載せてみよう~」開催記録」『Diff』ウィキメディア財団、2024年10月15日。
- Eugene Ormandy「早稲田Wikipedianサークルが飯間浩明先生を招いた勉強会を開催(第4回)」『Diff』ウィキメディア財団、2024年11月22日。

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