名古屋市の大須はアーケード商店街が連なる繁華街であり、戦前には東京の浅草、大阪の千日前と並んで「日本の三大繁華街」に数えられていた町です。1970年代以降には電気街として発展し、東京の秋葉原、大阪の日本橋と並んで「日本の三大電気街」としても知られています。

大須の歴史
明治時代から大正時代の大須には遊廓の旭廓があり、また大正時代から1970年代には映画館街としても知られていました。私は様々な都市の映画館文化史や近現代史に興味があり、2025年1月以降には大須の映画館を重点的に調査しています。
この調査の過程において、大須の神社や寺院の石造物の寄進者の調査も行っており、「富士浅間神社」「北野神社」「七寺」「萬年寺」などの石造物についてブログ記事にまとめているほか、副産物としてこれらの寺社のWikipedia記事の作成も行っています。

北野神社の石造物の調査
一例として「北野神社」を紹介します。北野神社は大須観音の北側にある小規模な神社であり、旭廓に近かったことから妓楼の楼主による寄進物が多数存在しますが、これまで郷土史家による丁寧な調査は行われていないように思われます。
そこで、常夜燈、狛犬、鳥居、手水鉢、玉垣、撫で牛、社号標に刻まれている寄進者や寄進年をすべて調査し、テキスト化してブログに掲載しました。寄進者については国立国会図書館デジタルコレクションで検索し、経歴が判明した人物については簡単な紹介も添えています。また、画像編集ソフトを用いて境内に存在する石造物の位置を示した境内図を作成しました。
独自研究を行う意義
上記の調査はWikipediaにおいて「独自研究」といわれるものであり、大部分はWikipedia記事に反映させることができません。上記の調査と並行して、『名古屋市史 社寺編』などを用いてWikipedia記事も作成しています。上記の調査の際に撮影した石造物の写真についてはWikimedia Commonsにアップロードし、その一部はWikipedia記事にも用いています。なお、大須の調査で作成した記事の多くはWikipedia日本語版利用者間の選考を経てメインページに掲載されています。
三大方針のひとつに「独自研究は載せない」がある通り、Wikipediaに独自研究を書き込まないことは最も基本的なルールの一つです。とはいえ、独自研究をすることで題材に対する”解像度”が高まるのは明らかであり、独自研究と先行研究の違いについて考える契機にもなります。このルールを正確に理解した上で独自研究を積極的に行うことを常に意識しています。


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