2025年3月8日、大阪府大阪市中央区の北浜にあるエル・ライブラリーで「ウィキペディア in エル・ライブラリー」に参加しました。
エル・ライブラリーとは
エル・ライブラリーは労働を題材とする専門図書館です。正式名称は大阪産業労働資料館であり、エルとはLabor(労働)を意味します。通称にはライブラリー(図書館)とありますが、英語名称はOsaka Labor Archiveであるように、Library(図書館)だけでなくArchive(アーカイブ)の特徴を有しています。
専門図書館としての専門性の高さが評価されており、2016年には知的資源イニシアティブが主催するLibrary of the Yearにおいて優秀賞を受賞しました。この2025年2月26日に京都地方裁判所で無罪判決が言い渡された関西生コン労組の裁判では、組合側の担当弁護士にエル・ライブラリーの所蔵資料が活用されるなどしています。

書庫ツアー
今回のイベントはエル・ライブラリーが所蔵する資料を用いてWikipediaを編集するイベントです。午前中は講師である青木和人さん(福井県立大学地域経済研究所教授)、Miya.mさん(ベテランウィキペディアン)によるWikipediaの説明を聞いた後、谷合佳代子館長の案内で書庫ツアーが行われました。
エル・ライブラリーの所蔵物として文芸誌『戦旗』1929年6月号などがあります。この号には小林多喜二『蟹工船』などが掲載(初出)されており、編集部による「××」という伏字も多数見られますが、結局は伏字もむなしく発禁処分を受けてしまいました。この号を所蔵している公共(系)図書館はエル・ライブラリーのみとのことです。戦後には伏字部分が公開された『蟹工船』も出版されているため、『戦旗』1929年6月号を使った単語当てクイズなども行っているようです。

定員は会場の広さの関係で12名と少なめでしたが、参加者には大学図書館司書や学校図書館司書、図書館情報学を始めとする大学教員がそれぞれ複数いました。これらの方々がWikipediaの意義や特性を知り、自身の専門分野の記事を編集したり、自身が担当する授業で学生に対してWikipediaの扱い方を教えたりすることは、ウィキメディア財団のプロジェクトにとって必ず良い結果をもたらすのではないでしょうか。大阪府内の大学に在学する学生もいましたが、学生のうちからこのような課外活動に参加できる意欲が素晴らしいです。
なお、谷合佳代子館長は司書であるだけではなく学芸員でもあります。書庫ツアーでは図書館の蔵書ではなく博物館の展示品を見学している気分になりました。

Wikipedia編集
午後は閲覧室を会場としたWikipedia編集の時間です。主催者からいくつかの題材が提示されており、参加者が自身の希望する題材を選んだ後に、数グループに分かれて文献調査とWikipedia編集を行いました。
私は他の参加者に対して多少のフォローを行いつつ、明治後期から昭和初期に鐘紡社長を務めた武藤山治の加筆に取り組みました。武藤は温情主義を掲げて女工を尊重した経営者であり、武藤の在職中の鐘紡では一度も労働争議が起こらなかったそうです。
私には労働問題や社会運動の知識が全くありません。主催者から提示された題材には日本労働組合総評議会や藤永田造船所争議などもありましたが、予備知識のない状態でこれらの題材に取り組むと、不正確な記述をウェブ上に垂れ流すことになりかねないと考え、予備知識が少なくても取り組みやすい人物記事を選びました。
なお、武藤山治は(私の居住する)愛知県出身であり、かつて海津市平田図書館で郷土の偉人として武藤山治を紹介する説明を読んだことがあります。平田図書館がある複合施設の敷地内には武藤山治の銅像があり、銅像の写真を撮ってWikimedia Commonsにアップロードしたことがあります。

武藤山治の既存記事は14年前の2011年になされた大幅加筆が記事の核となっています。14年前の加筆者は武藤山治の経歴をよく知る方であるようですが、2025年現在のWikipediaに求められる出典明記の基準と比べると、出典の付け方が甘い印象を受けます。
Wikipediaにおいては、全ての文章に出典を付けるのが原則であり、学術論文とは異なる基準が求められます。国立国会図書館デジタルコレクションから武藤の経歴を年表形式で説明した『武藤山治全集』を見つけたため、既存の記述に出典を補いながら文章を追加していきました。
海津市にある武藤の銅像は著名な彫刻家である朝倉文夫が製作したものですが、既存の記事には銅像の説明がありませんでした。朝日新聞クロスサーチで銅像に関する記述を探したところ、鐘紡の業績悪化など様々な経緯があって海津市に移された銅像であることがわかったため、経歴節の末尾に文章を加えました。
ジャーナリストでもあった武藤は政財界に敵が多く、1934年に失業者に銃撃されて死去しています。神戸大学附属図書館新聞記事文庫のサイト内で武藤が銃撃された際の記事を探し、銃撃の際の状況を文章で加筆したほか、パブリック・ドメイン(PD)である新聞記事の画像を添えました。朝日新聞クロスサーチ、神戸大学図書館新聞記事文庫とも、他の参加者が行っていた調査手法の真似をしたものです。 情報検索のプロが多数いるイベントからは多くのことを学べます。
参加者全員の編集記事
加筆:大阪産業労働資料館、日本労働組合総評議会、藤永田造船所、武藤山治 (実業家)
意見交換
編集終了後の意見交換の場では「Wikipediaに単独記事を作成できる人物はどのような人物か」という質問が出て、講師や他のウィキペディアンとの間で白熱した議論となりました。講師であるMiya.mさんは「Wikipedia:独立記事作成の目安」を提示し、「対象と無関係な、信頼できる情報源において、有意な言及がある」人物であれば作成できると回答していますが、質問者は完全に納得されたわけではないようです。
「独立記事作成の目安」は「特筆性」と言い換えられることもあります。Wikipediaのルールにおける「ガイドライン」であり、「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されるもの」とされています。このガイドラインの下で、分野ごと、議論ごとにそれぞれの人物の特筆性が判断されており、場合によっては整合性が取れているとは言い難いと感じることもあります。
日本語版の各分野においては、アナウンサー、サッカー選手、AV女優などはウェブメディアで取り上げられることが多く、データベース的な記事が多数作成されている一方で、研究者はどれだけ多くの論文を書いていたとしても、第三者からの有意な言及が少ないという点で特筆性のハードルが高く感じられることがあります。ある意味では一貫性がないとも言え、新規参加者を戸惑わせる原因にもなっていますが、Wikipediaの特性を考えると最善のガイドラインであると考えます。


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