2025年2月、「100人カイギ」というコミュニティ・イベントでウィキペディアタウン活動を紹介した際、私のプレゼンから約30分後の登壇者に、自己紹介をWikipedia風に「じょじペディア」と題したスライドで発表し、会場の笑いを誘った人物がいました。ジョージさんの通り名で知られる彼から、彼の生まれ故郷でのウィキペディアタウン開催について相談されたのは、その直後。すでに企画されていた地域の歴史を学ぶ勉強会のプログラムに、ウィキペディアタウンを追加したいと考えて、声をかけてくださったのです。もちろんOK!と快諾したものの、スケジュールなどの詳細も決まり、いざ参加者募集が始まったときになって、私は度肝を抜かれることになりました。
企画名称「晋ちゃんげ改装して何するだ? 完成説明・見学会と『遊』を知る勉強会」…………このイベント名からウィキペディア編集を想像する人は、ウィキメディア界隈には100人に1人もいないに違いありません。本稿では、まさに「何するだ?」と脳内を「?」でいっぱいにしながらWikipediaガイダンスを担当した、素敵なウィキペディアタウンを紹介します。
edit Tango参加イベント2025/4/20 京都府京丹後市網野町掛津「遊」地区
「晋ちゃんげ」の「げ」とは、京都府北部(丹後地方)の方言で「家」を意味します。少子高齢化の著しい丹後地方では、住む人がいなくなった住宅の維持や管理は大きな課題です。そこで、他地域から移住してきた人々や企業を積極的に迎えていますが、土地の人々と思い出を共有していない移住者との間には、予期せぬ軋轢が生じることもしばしば。だからこそ、「記憶をつなぐ」手段として、ウィキペディアを活用する意味があると感じています。
しかし、少子高齢化のすすむ地方でのウィキペディア認知度はまだまだ低く、他のウィキメディア・コンテンツにいたっては聞いたことすらないという人がほとんどです。「編集できる」と言われても、ではやってみよう!という気持ちになってもらえるまでのハードルはひじょうに高く、多くあります。そのため、まず、初めての土地では参加者集めが難航するのですが、この時も事前の参加申し込みはほとんど無く、「何人来てくれるんだろう……」「どういうプログラムにすればいいだろう……」と不安に思いつつ、いざとなれば私ひとりで黙々と編集するしかないかと思ってもいたのですが、当日になってみれば、びっくりするほどたくさんの方が参加してくださいました。
主催のジョージさんと「あんたの企画やけん、当然、みんな来るに決まっとろう!」と談笑していた地元の方々の様子を見ながら、改めて、ウィキペディアタウンに大切なものは何よりもその地域でそれまで育まれてきたコミュニティのつながりなのだと感じ入りました。
編集作業をリアルタイムで体験!
イベントでは、まず、主催者から「“晋ちゃん”が老人ホームに入居するため空き家となる家を、モデルルームを兼ねた宿泊施設とすることで、“晋ちゃん”がいつでも帰ってこられるようにした」という説明がありました。続いて、その帰って来られる故郷について学ぶというねらいで、edit Tangoのメンバーのひとりでもある福知山公立大学の小山元孝教授の講演が行われ、最後にWikipedia編集ガイダンスが予定されていました。小山教授の講演は、参加者とのディスカッションも交えながら、数多くの文献や一次資料を提示する視覚的にも楽しい雰囲気で進められ、学校の授業のような長時間の座学には馴染みの薄い高齢者や子ども、専業主婦らしき人々も集中して聴講されていました。会場は70~80歳代の地元のおじいさんたちの思い出話が挟まった時が、特に雰囲気がよく、そんな講演の様子を見ていて、当初私が予定していた30分のWikimediaガイダンスも、一方的に説明する内容はできるだけ短くまとめ、その場の空気に合わせて、より実践的な見本を提示するスタイルで進めることにしました。
そこで役に立ったのが、Wikimedia Commonsの写真です。僻地ながら、丹後地方の写真はedit Tangoが活動を始めた2018年以降、user:VinayaMotoが多数撮影してアップロードしてくれており、遊地区についても漁港の写真が何枚かありました。エディタソンでは、これらの写真から記事に使いたいものを参加者のみなさんに選んでもらい、あらかじめ下書きしておいた新規の地区記事「遊(京丹後市)」に挿入したり、内部リンクを付けたりといった編集を、作業説明をしながらこまめにアップロードし、参加者自身のスマートフォンで、リアルタイムで編集内容が反映されていく記事の変化を見てもらう形で、およそ2時間のガイダンスを行いました。実際にアカウントを取って自分でも編集してみたい!という人は、この当日にはいませんでしたが、終始なごやかに、和気あいあいと進行することができ、参加者のみなさんにもウィキペディア編集の楽しさと可能性を実感していただけたと思います。イベント後、配布していた編集マニュアルや資料を持ち帰ってくれた人も数名いて、後日にはこの時立項した記事に、IP編集ながら地区民によると思しき加筆があったことも、うれしい結果となりました。
このイベントに参加してくださったみなさんと、またどこかのウィキペディアタウン、あるいはWikipediaのどこかの記事など、編集の現場でお会いできることを楽しみにしたいと思います。

(漱石の猫, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)
“あたりまえすぎて書いていなかった”マニュアル問題
イベント後は、地元の区長さんからは「講演もwikipediaもとてもよかった」とのお言葉をいただき、さらに「若い人にもぜひやらせたい」と、私の著書『ウィキペディアでまちおこし』も手に取っていただけました。他者とディスカッションを重ねながらの編集活動は、単純に編集作業だけのことなら自分一人で記事を書くよりもはるかに苦労が多いのですが、こういったリアルな反応は本当に励みになります。
そんななか、最後の最後に、まさかの事態が発覚しました。
「アップロードってどうやるの?」という質問をいただいて、「配布した編集マニュアルの〇ページに……」と紹介しようとしたところ、なんと、Wikipediaには編集方法が2種類あることや、新規立項の手順や各ソース記号などについて基本的なことはちゃんとマニュアル化していたのですが、「変更を公開する」の最後のステップが、どこにも書いていなかったのです。灯台もと暗しとはまさにこのこと。今まで何度も自分でも読み返し、過去数年間で2,000部以上配布し、Web上でも確認できるだけで800回以上はダウンロードされている編集マニュアルでしたが、ウィキペディア編集慣れしている私には基本中の基本であるあまり、書き漏れていたことにも気づいていなかったのです。Wikipediaではしばしば、ウィキペディアンたちのノートでの注意喚起や様々な方針やガイドラインの説明が、新規参入者にはそもそも使われている用語や指摘の意味が理解できなかったり、ページが見つけられないなどの原因にすぎないことが、「議論に応じない」とみなされてしまうといった不幸な誤解がありますが、私が見落としていたこの件も、そうした「自分にとって当たり前の知識が、他の人にとっては当たり前ではない」という、当たり前の認識を欠いた結果なのでしょう。
自分自身が元々ウィキペディアンではなく、何も知らないところから参入した初心者だったころの「困った」を改めて振り返り、アウトリーチではその頃の気持ちや経験を忘れないようにしたいと改めて心に刻む経験となりました。
編集内容まとめ

(VinayaMoto, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

Can you help us translate this article?
In order for this article to reach as many people as possible we would like your help. Can you translate this article to get the message out?
Start translation