「近頃の若者はウィキペディアを知らない」ウィキメディア・プロジェクトの活動に関わるようになってから、このようなことを聞くことが増えた。
では、私がウィキペディアを知ったのはいつだっただろうか。ウィキペディアに限らず何に対しても、初めて知った時のことなど私は覚えていない。しかし、ウィキペディアに関しては、遅くとも高校2年生の時には知っていたと思う。
当時図書委員長だった私は、2学期の末、冬休み直前の企画として「1年を振り返る写真展」を開催した。1年のうち各委員にとって印象深かった出来事を表す写真を選び、オリジナルのキャプションを添えて展示する、というものだ。
この企画を発案した背景には、ウィキペディアというモデルの成功、言い換えると「個々の興味を活かせる場所を提供し、成果をまとめることで大きなプロジェクトを成し遂げる」活動の成功があった。トップダウンで何かを押し付けるのではなく、各自がやりたいことをやるような企画に挑戦してみよう、ウィキペディアだってそうやってできたんだから、と。
遡って同年度の夏休み、英語のリスニングに苦手意識を持っていた私は、TEDの動画を毎日1本ずつ視聴してはノートに単語の意味や要約を書きつけていた。具体的に何を観ていたかの記憶はおぼろだが、どこかのタイミングで、おそらくキャリアアナリストのダニエル・ピンク(2009)による”The puzzle of motivation” (邦題:『やる気に関する驚きの科学』)に触れたのだと思う。この動画の中では、金銭的報酬などの外的動機づけに対する内的動機づけの重要性を主張する文脈で、ウィキペディアが言及されていた。
ほんの10年前に経済学者のところへ行ってこう聞いたとします
「ねえ 百科事典を作る2つのモデルを考えたんだけど 対決したら(筆者注:マイクロソフトのエンカルタとウィキペディアでは)どっちが勝つと思います?」
10年前 この地球上のまともな経済学者で ウィキペディアのモデルが勝つという人は1人もいなかったでしょう
なぜ急にこんなことを思い出したかというと、大学で借りた本に同様のエピソードが書いてあったからである。『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である こころの資本の経済学』(樋口耕太郎著、ダイヤモンド社)にて、ウィキペディアは内的に動機づけられた参加者が外的動機づけを受けた者より高い成果を収めた事例のひとつとして挙げられている。
怖れを手放して、自分の心の中から湧き上がってくる情熱に従うとき、人と社会は実存的な変容を遂げる。(樋口 2025: 331-332)
そういえば、つい最近読んだばかりの『新・哲学入門』(竹田青嗣著、講談社現代新書)にも似たようなことが書いてあった。竹田はハンナ・アレントの「公的領域」の概念を元に、特定の対象に興味を持つ者が集まる場を「公共のテーブル」として示し、近代の文化で「公共のテーブル」が持つ意味について以下のように説明する。
近代社会における文化はまったく新しい性格をもつ。つまりそれは、各人が、それぞれの個性を通して、人間性やその生活上のエロスを表現しあう公共のゲームとなる。すなわち哲学、思想、科学、芸術、技芸、競技などといった多様な文化的な「公共のテーブル」が現れる。
この公共のテーブルにおいて、人々は、より優れたもの、「ほんとうのもの」を求めて自由に競いあい、切磋琢磨する。そこで人々は、互いに自己の生を表現し、その表現を互いに「結びつけあう」。(中略)そして、「公共のテーブル」は、アレントが言うように、ただ社会から「暴力」が排除されている限りで可能となる。(竹田 2022: 330)
高校生の時は、自分がウィキペディアを書く側、そしてこのような形で発信する側になるとは思いもしなかった。それから、記事の品質評価、国際交流、諸機関との連携など、ウィキペディアの多様な面を見てきたし、今後さらに私の知らない一面も見えてくるのだろう。それでも、私がウィキペディアに対して持っていた初期の印象は「個々人が自分らしさを表現できる場所」だったことは確かだ。その時の気持ちを、私はずっと覚えていられるだろうか。
参考文献
- 竹田青嗣(2022). 『新・哲学入門』. 講談社現代新書.
- Daniel Pink (2009) . The puzzle of motivation. TED. https://www.ted.com/talks/dan_pink_on_motivation. (Yasushi Aoki訳. Masaaki Ueno監修. (n.d.). 『やる気に関する驚きの科学』. TED. )
- 樋口耕太郎(2025). 『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である こころの資本の経済学』. ダイヤモンド社.
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