2015年12月6日、東京都新宿区にある新宿区立中央図書館で、優れたWikipedia日本語版執筆者の皆さんが参加したミーティングである、執筆者の集いが開催されました。このミーティングは私が提案し、実現しました。
Wikipedia日本語版では記事は一人で書き、完成させていくパターンが多いです。横のつながりが薄く、協同しながら記事を完成させていく雰囲気は強くありません。また多くのウィキペディアンは、他のウィキメディアの活動についてあまり関心を持っていません。ガラパゴス化とまではいいませんが、閉鎖的、閉塞的な印象はぬぐえません。その一方で、一人でコツコツ優れた記事を執筆している方々は謙虚な方が多いのですが、間違いなく全員負けず嫌いで研究熱心で、他の執筆者が書いた記事を結構読み込んでいます。執筆者の集いに声を掛けた皆さんは、自分が記事を読み込んでいて、一度ぜひお会いしたいと思っていた方々ばかりでした。
執筆者の集いが行われた2015年12月は、自分がWikipediaで記事を書き出してもうすぐ10年になる頃で、記事の書き方にも慣れてきて、執筆した記事の中から、月間新記事賞や月間強化記事賞、良質な記事に選ばれるようになっていました。そうなってくると優れた記事を書いている執筆者の皆さんはいったいどんな人なのか、そしてどんな感じで記事を制作しているのか、とても気にかかるようになってきました。
10年以上前の執筆者の集いで知り合った、優れた執筆者の皆さんは今現在もWikipedia日本語版で活躍をしています。中でも集い以降、参加された皆さんが積極的に各地で開催されるウィキペディアタウン、エディタソンで大活躍をされるなど、アウトリーチ活動に積極的に協力するようになったことは、執筆者の集い開催の大きな成果でした。私と皆様方との繋がりは10年以上経った今も続いていて、大切な友人としてWikipedia日本語版でお互い切磋琢磨しながら記事の制作を続けています。
今回、さかおりさん、アリオトさん、Swaneeさん、逃亡者さんから、執筆者の集いの思い出とともに、今後のWikipedia活動についての思いを寄せていただきました。
さかおりさん
さかおりさんとは、さかおりさんが主執筆者であるWikipedia日本語版を代表する記事であり、最も有名な記事のひとつである地方病 (日本住血吸虫症)の現地を2012年に案内していただいて以来、ウィキペディアンの中で自分と最も長い付き合いです。思い出としては2017年7月23日に山梨県立図書館で行われた執筆イベント、2017甲府ウィキペディアエディタソン「甲州事編 百科涼覧」で、お互いにチームリーダーを務め、謝恩碑 (甲府市)、山梨県庁舎別館 (旧本館) 及び県議会議事堂を作成したことが印象深いです。

10年前と大きく変わったことにAI技術の飛躍的な向上があります。今もまさに日々進歩していると言うべきでしょうか。ウィキペディア編集執筆の界隈もAI技術が少しずつ、確実に影響を受け始めています。ただ、私は一介のウィキペディアンとして「自分で調べて執筆する歓び」を失くしたくありません。カンファレンスに集まる皆様はウィキペディア記事の執筆編集に長けた方々と存じます。記事を書く、加筆する、自分自身で調べて形にする、それこそがウィキペディアの本質であると私は思います。その思いはウィキペディアン共通の理念として持ち続けたい、そんな思いをカンファレンスに集う皆様と共有できたら嬉しいです。カンファレンスが素晴らしいイベントになることを願っています。— さかおり
アリオトさん
アリオトさんは10年前のミーティングからの付き合いです。自分が執筆を狙っていた、地球の年齢を巡ってのダーウィンとケルビン卿との論争(進化論的に見てダーウィンは地球が出来てから億単位の年月が経っていると考えていたが、ケルビン卿は地球がまだ冷え切っていないことから、基本的に数千万年までのオーダーを考えていた。なお論争当時、まだ放射性崩壊に伴う崩壊熱の存在は知られていなかった)について、アリオトさんが地球の年齢という素晴らしい記事に仕上げ、やられた!と感じました。

長年、誰に言うこともなく1人でこっそりと記事を書いており、たまにはwikipediaの話をする機会があればいいなと思っていたので、喜んで参加いたしました。全員初対面でしたが、名前は全員存じ上げていましたし、話を聞いてみても、皆同じことを考えているのだなあと親近感を持ったものです。この会をきっかけにその後イベントに色々参加させていただき、ずいぶん世界が広がった感じがします。— アリオト
Swaneeさん
Swaneeさんも10年前のミーティングからの付き合いです。Wikipedia日本語版の中で、優れているばかりではなく、読みやすい記事を書かれる執筆者のお一人です。私とは桜木遺跡 (世田谷区)など、一緒に記事を仕上げる共同執筆を何回か行っています。中でもテレビ番組『ねぽりんぱほりん』でも紹介された、私の家族とSwaneeさんで糸魚川の現地取材を行って、糸魚川のヒスイを共同執筆したことが一番の成果で、思い出深いです!

2015年12月のあの日から、はや10年になります。この日に始まったWikipedia執筆者の方々との交流は、たくさんの学びに加えて広い世界への入り口を開いてくださるものとなりました。ときおり(随分遠くまで来たものだ)との思いを抱くこともありますが、まだまだ新たな記事につながる未知の領域が彼方に拓けています。今までの日々に感謝を、そして前に進む勇気と希望をもって新たな日々に歩んでいきます。これからもよろしくお願いいたします。— Swanee
逃亡者さん
逃亡者さんもまた、10年前のミーティングからの付き合いになります。原一男のドキュメンタリー映画、『全身小説家』の題名を借りると、まさに全身ウィキペディアン!美味しいお弁当を一緒に食べたら、しばらく後にそのお弁当屋さん、鳥久の記事が逃亡者さんによって立項されていました。中でも逃亡者さんが立てた記事、童貞を殺す服に写真が欲しいという話が良質な記事選考の場などで盛り上がっていた際、執筆者ウィキペディアンの負けじ魂を発揮して、ウィキメディアコモンズに写真掲載を了承してくださるモデル探しから、衣装や撮影場所の確保、実際の撮影など、逃亡者さんを始め、何名かのウィキペディアンの努力の結果、写真掲載に漕ぎつけたことが思い出深いです。

2015年10月頃に、新宿でのミーティングへのお誘いを受けました。ウィキペディアン同士での集まりは初めての機会で、ウィキペディアンに会った経験も皆無、さらにもともと人見知りの性格であり、初対面の人に会うのは大変苦手ですので、迷いに迷いましたが、「これが何かの始まりになるかもしれない」と直感し、思いきって参加を決意しました。
実際に参加してみますと、他の皆様がどのような思いでウィキペディアに参加しており、どういった経緯ですばらしい記事を書くに至ったか、たいへん参考になりました。何より、それまで他のウィキペディアンと交流が無く、1人で淡々と記事を執筆していた私にとっては、ウィキペディアは大勢の人間が参加して作り上げているということを、強く実感することができました。皆様から大いに刺激を受けたことで、当時まだ書きかけだった記事を、何としても書き上げなければとの思いにかられました。そして私も皆様のように、より良い記事をもっと書かねば、との思いを強くすることができました。 あのときの皆様の出逢いを機に、それ以降、ウィキペディアタウンを始めとする各種イベントの参加が増え、書籍のインタビューを受けたり大学での講師をつとめたりと、それまで人生になかった経験にもつながりました。また、新宿で出会った面々の数人は、私が北海道へ帰郷した現在でも、SNSでやりとりしたり、時に力を借りたり、時には私も微力ながら力を貸したりと、交流が続いています。思えばあの新宿でのミーティングが、私のウィキペディアンとしての真の始まりだったのかもしれません。— 逃亡者
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