2026年1月10日に行われた、Wikipedia25周年記念エディタソンで立項した市川少女歌舞伎について紹介します。市川少女歌舞伎は戦後まもなく愛知県豊川市で誕生した少女たちによる歌舞伎劇団で、今やその名を語られることも少ないですが、市川宗家の当主、市川三升の強力なバックアップもあって、東京、大阪、名古屋、京都の著名な劇場で公演を行うなど、一世を風靡した時期もありました。

市川少女歌舞伎の執筆の動機ですが、2025年11月頃、歌舞伎には女性役者が存在せず、女性を排除している芸能であるという意見がX上で唱えられていて、議論が起きていました。この議論を見ながら、かつて日立鉱山の鉱山劇場であった共楽館の記事を執筆した際にその名を知った、少女たちによる歌舞伎劇団であった市川少女歌舞伎のことを思い出して、執筆しようと思い立ちました。また、ちょうどWikipedia25周年記念エディタソンが企画されていたこともあり、エディタソンで立項する記事として、記事のボリューム、内容の重要度から考えてもちょうど良いのではないかと考えました。
執筆を進める中で、少女たちによる歌舞伎劇団ですので、やはり基本的に女性の演者を認めなかった時期が長かった歌舞伎の歴史の中で、どのように捉えられるのかが焦点となる題材であることに気づきました。論者によっては歌舞伎が女性を排除していたわけではないことの一例として挙げることもありますが、記事を書きながら、市川少女歌舞伎はやはり本流の歌舞伎からは受け入れられなかった面が強いと感じました。また団員の少女たちが大人になるにつれて、マスコミは足並みを揃えるように団員の結婚問題を取り上げていたなど、女性の劇団であるがゆえの難しい問題が多かったこともまた印象深かったです。
記事を書きながら難しかったのが、市川少女歌舞伎に関する著作や論文が少なく、参考文献の中で雑誌記事のウエイトが高くなってしまい、文献集めに相当苦労しました。また戦後の話ですので著作権の絡みで写真の使用が難しく、当時の写真が使えなかったことが痛かったです。そこで市川少女歌舞伎の像が豊川市にあることを知り、午後の仕事を休んで、豊川市の現地で写真を撮り、記事に載せることができました。
なお、3月1日に行われたWikipedia25周年記念講演会の場で、市川少女歌舞伎の執筆について発表を行いました。発表内容については下記スライドをご覧ください。
Wikipedia25周年記念交流会とある記事制作の中で考えたこと – Google スライド
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