横浜中華街の歴史:中国料理のテーマパークと日中/日台関係の鏡として

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はじめに

2025年12月29日、Wikipedia日本語版に横浜中華街の歴史を立項しました。記事制作の過程、自分なりの記事執筆のノウハウ、そして記事を書く中で見えてきたこと、感じたことを紹介したいと思います。

横浜中華街の牌楼「善隣門」

執筆のきっかけ

記事執筆のきっかけは、2025年10月1日から11月24日にかけて行われた、プロジェクト:アウトリーチ/ウィキメディア・ワールドin図書館総合展2025/WLF2025エディタソン「横浜」です。10月初めに自分も何か記事を書いてエディタソンに貢献したいと考え、題材を考え始めました。当初、候補だったのが保土ケ谷区にある、とある歴史的建造物でした。しかし下調べを始めたところ、特筆性には問題が無かったものの参考文献となる資料が少なそうでした。そこで他の執筆候補を考え始めたのですが、やはり資料が十分になさそうで、立項しても貧弱な記事になってしまいそうでした。そのような中で浮かんだのが横浜中華街の歴史でした。まずは簡単な文献調査をしてみたところ、立項できるだけの参考文献が集められそうでした。

しかしここで問題となったのが記事のスケールです。当初、執筆予定であった題材はさほど大きなテーマではなかったため、11月24日までの会期中には完成できそうでした。しかし横浜中華街の歴史クラスのスケールとなると、自分のやり方では多分2か月前後かかってしまうので、会期中の完成は難しくなることが予想できました。かなり迷いましたが、テーマ自体に興味があったこともあって、横浜中華街の歴史の記事を立てることに決めました。記事の執筆開始は2025年10月15日でした。

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資料集めと執筆

資料集めは自分としてはいつもの記事執筆の場合と同じく、国立国会図書館の遠隔複写と、一部の文献は日本の古本屋で購入しました。そして今回は横浜中華街を擁する横浜市中央図書館で横浜中華街関連の文献を入手しました。やはり地元の図書館らしく横浜市中央図書館には有益な文献が所蔵されており、地元の図書館を当たるというオーソドックスな手法の大切さを再認識しました。

執筆は幕末の横浜開港時から年代順に進めていきました。当初、日本史分野の記事になるかと思っていたのですが、思いのほか経済史的な面が強く、また中国、台湾の情勢と日本との関係性の影響が、執筆前に自分が想定していたものよりも遥かに大きく、半ば近現代の中国、台湾史の復習、学習をしながら記事を書き進めていく感じになりました。

記事は年末ぎりぎりの2025年12月29日にほぼ完成し、アップしました。アップ後、記事に必要な写真でコモンズにまだ無かった写真を撮るためにすぐに横浜中華街に向かい、同日中にコモンズにアップして記事に載せました。

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商業地域の通史執筆

地域の通史系の記事として以前、原宿のファッション史を立てたことがありました。原宿と横浜中華街の共通点として、ともに商業地域であることが挙げられます。実際の資料探しをする中で原宿も横浜中華街も、域内の著名な店舗についての資料が営業中のみならず、すでに営業終了したお店に関しても山のように出てきました。地域の名店に関する多くの資料はその店を愛好する人たちの熱量が感じられ、面白くかつ興味深いものではありますが、通史を執筆するにあたり邪魔になってしまう面も大きいです。日本有数の観光地ですので全国区的な名店もあるのですが、あまり各店の沿革の紹介などに踏み込むと、通史ではなくて店舗ガイドのようになってしまいます。通史を書く場合、基本的にその地域の成り立ちに大きな影響を与えたと考えられる店舗や、時代性を代表する店舗の記載に止め、あとは思い切り外すのが良いと考えています。

むしろ重要となるのが、時代の流れに伴う店舗の形態、営業内容の変遷を書いていくことだと考えています。商売ですので各店舗は時代の流れを敏感に捉え、消費者のニーズを掴みながら商売を展開していこうと心がけるのが通例です。従って店舗や営業形態の変遷は、その時代を反映したものとなっていきます。つまり地域の営業形態の変遷に大きな影響を与えた時代のあり方、事件を記述し、その上で店舗の形態、営業内容の変遷を記述していくことが通史執筆の要点となります。横浜中華街の場合、開国後、時代の変化を受けつつ、どのような変遷を経て、様々な形で中国料理を楽しめるテーマパークとなっていったのかについて書いていくことが記事のひとつの柱となります。

また執筆する中で、横浜中華街の歴史は外国絡みの商業史ですので、諸外国との通商条約、欧米諸国との間の不平等条約の改正とその影響についての記述の必要性も当初の予想以上に大きく、初めての経験でかなり戸惑いました。

横浜中華街の光景

日中・日台関係の執筆と中立性

横浜中華街の歴史のもう一つの柱は、これまで中華街を誕生・発展させてきた中国人系の住民についての記述です。記事を書く中で重い問題として浮かび上がってきたのが、中華街の宿命として日中、日台関係の影響をもろに被ってしまうことでした。開国以降、日清戦争日中戦争など、日中関係は順調ではない時期が長く続きました。日台関係についても日中国交正常化後の日華断交など、順調とは言えない事態が起きています。日清戦争、辛亥革命関東大震災時の中国人虐殺問題、日中戦争、そして戦後の中華人民共和国と中華民国とのいわゆる二つの中国問題といった近現代史の重要な出来事によって、横浜中華街が受けた影響の記述は避けて通れないものです。また一方で横浜在住の中国人の犯罪問題に対し、日本政府が対応に苦慮していたこともあって、中立性の確保が非常に難しい、デリケートな題材であることが見えてきました。

重たい問題ですので仕方がないところもあると思いますが、それぞれの出来事についての取り上げ方について、文献によってかなりの温度差がありました。記事執筆にあたり、特に論争の的となりそうな部分に関しては可能な限り複数の文献を当たり、基本的には専門書、専門家が執筆している文献を中心にまとめて行く方法を採り、記述も各事項とも横浜中華街に関連があるものに絞ることにしました。かつて自分は蒋経国の加筆を行った経験があり、台湾の戦後史はかなり把握できていたのは助かりましたが、前述のように中国本土の近現代史は執筆しながら学び直しをした感がありました。

後述のように、横浜中華街の歴史は中国語(繁体字)版Wikipediaに翻訳されましたが、自分ができる限り中立性を守りながら執筆したことが報われた気持ちがしました。

横浜中華街の横浜媽祖廟

中国語(繁体字)版Wikipedia[[橫濱中華街歷史]]

文献を読み進める中で強く感じたことが、日本人が書く文献と中国人系の著者が書く文献との温度差です。中国人系の著者の文献の方が明らかに当事者性が強く、自らのアイデンティティ、進むべき道筋を踏まえながら書いていました。特に戦後の中華人民共和国系、中華民国系との対立の歴史以降に関する文献に強く感じられます。横浜中華街の歴史は、日本人が執筆である文献とともに、中国系著者の文献を使いながら執筆していくことが必要不可欠な題材でした。

記事制作後、横浜中華街の歴史は中国語(繁体字)版Wikipediaに翻訳されました(橫濱中華街歷史)。抄訳ではなく全体をきちんと訳していて、しかも中国語、英語の文献で出典の追加、加筆を行っています。翻訳者の熱意に感謝するとともに、中国語、英語文献を用いて加筆まで行っていることに、言語版、国を越えてウィキペディアン魂を感じ、感動しました。

加筆部分を確認すると、主に現代史の部分で中国、台湾との関係性についての追加や、阪神・淡路大震災後、横浜中華街華僑神戸の中華街華僑に支援を行った、在日華僑のネットワークについての記述などがなされていました。日本語文献で執筆を行った自分にとって、これらの加筆は大変に興味深い内容です。また中国語文献の内容を少し確認してみましたが、やはり日本語文献と資料利用や捉え方に違う面が見られ、興味深いものでした。横浜中華街の歴史は本来的には中国語、英語文献も利用しながら書くべき題材である気がします。横浜中華街は日本を代表する観光地のひとつ、そして日中・日台関係の鏡として今もって変化をし続けています。日本語版Wikipedia記事としてアップしましたが。主執筆者として記事としては未完であり、今後とも加筆修正していく必要性があると考えています。

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