京大「メディア文化学」講義を聴講

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Wikimedians of Japan User Group の りん (User:Lin Xiangru) です。

6月26日(金)、京都大学の「メディア文化学 (特殊講義)」にて、ウィキペディアに関する講義が行われました。自分の所属する大学でこういった講義が開講されることも稀なので、現地にて聴講してきました。その模様について、簡単にご報告します。

学生さんや講師の顔が映ると問題ですので、写真は載せていません。悪しからず。

概要

本科目「メディア文化学 (特殊講義)」では、「インターネットメディアについて考える」という題で、インターネットメディアに関わる人々を毎時招待しているようです。過去の講義では、プラットフォームの設立・運営についても講義があったようです。

詳しくは当該科目のシラバス(KULASIS)をご覧ください。

なお講義当日は、台風が接近し、京都市内では短時間の停電が起こるほどでしたので、講師のお二人(Eugene Ormandy さん と Miya.m さん)はリモートでのご登壇でした。

Eugene Ormandy さん – 「Wikipediaの概説」

まずは Eugene Ormandy さんから、ウィキペディアの概要説明が行われました。

プラットフォームの整備・運用についての講義ですからでしょうか。「三大方針」や「5本の柱」など、ウィキペディアの基本的な方針などについての解説や、「運営方針」・「イタズラへの対処法」などについての説明が中心でした。

余談として話された、「AI時代のウィキペディア」については、先日参加した ESEAP Conference でもいろいろと話題に挙がっていました。アクセス数が減少する中で、ウィキメディア財団もいろいろ広報に苦戦しているという話は大変興味深かったです。

Miya.M さん – 「Wikipediaコミュニティの歴史」

つづいて、User:Miya.m さんから、「Wikipediaコミュニティの歴史」について。こちらも同じく、講義の目的がインターネットメディア上のコミュニティへの理解を深めるものである、ということから、コミュニティやその構成員に関するお話が中心でした。

まずは、ウィキペディアのコミュニティの「構成員」について。意外と投票においては一人一票、基本的に発言力は同じ。という基本原則を説明されていました。

続いて具体的なウィキペディアの歴史について。私は2019年からウィキメディア・プロジェクトに参加した人間です。ウィキペディアよりも後に生まれた人間ですので、ある程度舞台が整えられた時代しか知りません。

初期の立ち上げ時期の話や、運営元のウィキメディア財団の歴史など…。そして、記事の品質を向上させる仕組み=「執筆コンテスト」やFA・GAのお話…。

おそらく、参加者の方は、ウィキペディアを触ったという経験がなさそうで(アンケートを取るべきだった…)、前者や基本方針に興味があったのかなと思いますが、長らくウィキペディアを触っている私からすれば、執筆者のモチベーション維持のお話の方が興味がありました。

質疑応答

休憩時間を挟んで、4限目は質疑応答の時間。受講生や担当の先生方らとお二人のウィキペディアンで、議論が飛び交いました。先ほど言及したように、皆さん基本的な質問が多かったかな。メモ書きを残していたのですが、断片的すぎて、間違っていたら申し訳ございません…。私的に少し言及しておいた方がいいかも?と思ったテーマをいくつか。

「Wikipediaの社会的な意義は?」

Eugene ormandy さん : 「(整合性がある)最大規模のサイトで、かつ市民が参加できる」点。

Miya.M さん : ジミー・ウェールズの言葉より、「世界中の誰もがどこでもアクセスできる」点。

「Wikipediaはどこまで出典主義をとるのか?」

E: 常識っぽく聞こえることも、案外、百科事典や新聞にある。解釈が割れそうな文章は、自分で解釈せずに、基本的に論文などの解釈を使用する。参考までに、「Wikipedia:空が青いということに出典は要らない」/「Wikipedia:空が青いということに出典は要る」。

(補足; 最近記事を書くときには、定義文などのいわゆる「常識」的な情報の出典に百科事典を用いることが多いかな。わかりやすく書く=難しい単語をかみ砕くという作業はどこまで出典なしでやっていいのかが、私もいまいちわかっていないのですが。)

「一次資料の扱いについて。具体的に、バントメンバーのブログは使うべきでない?歴史学の情報をどう見るか?」

E: 一次出典は、基本的に使わない。

関連して先生から; 一次資料を読む訓練を行うことこそ、「歴史学の専門家」である。

(補足) 昔中国史を編集していたユーザーとしては、なかなか難しい問題なんですね。詳しくは、当時中1の僕がモチベを失うきっかけとなった[[Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/斉国 20200411]]をご確認ください。

一次資料とは話が変わりますが、私は「これこれはこう言っている」という表現をしがち。ちょっと信ぴょう性の怪しい・少し盛っているなという資料を見つけた時は(郷土史にありがち)、「~という。/~らしい。」という表現でごまかす。

まとめ

「ウィキペディアのコミュニティ」に関連する講義でした。まさか自分の所属している大学にて、そうした講義が行われるとは思いもせず。

もっとも私は、次の日にウィキペディアのイベントを予定したため、そちらで頭がいっぱいいっぱいで、いまいち頭に入りませんでしたが…。またご機会があればと思います。

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