
今年はウィキペディア25周年を祝う年です。それは単に「知識」を讃えるだけでなく、それを可能にした「人々」を讃えます。それは事実を熱心に集める人、誠実に出典をチェックする人、情熱的オーガナイザー、根気よくパトロールする人、そして意欲的に記事を書く人、こうした人たちの力を合わせることで、さらに素晴らしい成果が生まれるのです!
今年もまた、プロジェクトを支える人々を讃えます。長年親しまれている「ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー賞」は、傑出した個人に光を当て、その人を通して、ウィキメディア・コミュニティ全体を照らします。ウィキペディア創設者であるジミー・ウェールズから渡される賞には、長年の編集者で私たちのムーブメントの支柱であるウィキメディアンを讃える「桂冠賞(Laureate)」、ウィキ世界の人々、役割、領域を繋げる方を讃える、新規に創設した「コミュニティ・コネクター賞(Community Connector)」、そして「ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー賞」と並んで、「名誉賞(Honorable mention)」があります。
私たちはこの方たちを讃えると同時に、毎日毎日私たちのプロジェクトに出典を付け、事実を共有し、誤字を直し、記事を書き、荒らし行為を差し戻し、スクリプトを書き、キャンペーンを組織する、世界中の人々に敬意を表します。その成果はみなさんによるものです。
前置きはこれくらいにして、ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー2026受賞者を発表します。
ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー: ジュール*(Jules*)

今年は、ウィキマニアがパリで開かれるので、フランス語版ウィキペディアの信頼性を支える編集者の一人を称賛します。ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー2026に選ばれたジュール*さんは、百科事典の信頼性を保つ役割を仲間から託され、誠実さと質の維持に長年貢献してきました。
彼は自分の故郷と大好きなテレビシリーズについての記事を編集することで、2010年からのウィキペディアの旅を始めました。これらの最初の、彼が言うところの「不器用な」編集は、他の編集者たちから暖かく迎えられ、彼は留まることにしました。今や彼は、約40万回もの編集を重ねています。
彼が編集を始めてから丸1年がたったころ、コミュニティが彼を信頼し拡張権限を与えましたが、それはウィキペディアの質と安全を維持するためのベテラン編集者用の特別のツールでした。ジュール*さんがプロジェクトの維持に深く関わるようになったのは、信頼できる、中立的で検証可能な知識を維持するというウィキペディアの理念を、彼がとても大切にしていたからです。彼は多くの時間を、荒らし行為の差し戻し、新規投稿の改善、初心者のサポート、未開示の有償編集への対応、そしてコミュニティからの支援要請への対応に費やしています。
著者として、ジュール*さんは気候変動のトピックに注力しています。彼はそれぞれの記事を、質の高い出典を集め、事実を確認するという、本来のウィキメディアのやり方で取り組んでいます。1本の記事を書くのに数か月をかけることもあります。彼が特に誇りを持っているのは、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書や、チャーニ―報告書の記事です。
彼が喜びを感じるのは、「私より、あるいは私たちより大きいものの一部分になること」であり、「人間の平和と福祉に資するツールである、だれでもアクセスできる知識を創り出すことです」と語ります。
しかし、生活すべてがウィキペディアというわけではありません。ジュール*さんはハイキングも大好きで、鉄道にも興味があり、列車を運転したこともあるのです!
おめでとうございます、ジュール*さん、あなたの活動全てに感謝いたします!
名誉賞: マリ・アヴェティスヤン(Mari Avetisyan)

マリ・アヴェティスヤンさんが2018年に編集を始めた時、彼女はそこに馴染めるかどうか確かではありませんでした。しかし彼女は友人とコミュニティを見つけ、そこは深く馴染める場所になりました。本日彼女は、若い次世代の中東欧のウィキペディア編集者のために、まさにそうした場所を築き上げる一人になり、今年の名誉賞受賞者の一人になりました。
それは2018年、当時大学生だったマリさんが、アルメニアのユース・ウィキキャンプに参加したことから始まりました。彼女はウィキペディアの仕組みについて学び、確かな知識へのアクセスを英語だけでなく、彼女自身の言語でも可能にする術を知ったのです。
内気で人見知りのマリさんは、ウィキキャンプのグループに溶け込めるか不安でした。「私はグループに馴染めないだろうし、とても孤独だろうと思っていました」と、彼女は思い出します。しかし、編集ワークショップやボードゲームやカルチャーイベントに参加するうち、彼女は友人を見つけ、その後何年も親しくし、そしてコミュニティはすっかり彼女の居場所になりました。「アルメニアのウィキメディア・コミュニティに参加したことは、私の人生で初めてどこかに居場所があると感じたことでした」と彼女は語ります。
今日、マリさんは他の人々の居場所を作り出す役割を担っています。彼女はCEEユースグループの中心人物として、中東欧地域の若いウィキメディアンたちの能力構築(キャパシティ・ビルディング)、仲間同士の学び合い(ピアラーニング)、そしてリーダーシップ開発のグループ活動を行ってきました。グループの一員として、彼女は去年のCEEユース・ミーティングで重要な役割を果たしました。現在彼女は、学習交流プログラムを開発し、スロヴェニアのコミュニティで指導する予定です。
彼女が一番嬉しいのは、若者の参加を見ることです。「彼らは私たちのムーブメントの次世代のリーダー、トレーナー、そしてオーガナイザーであり、私の経験を彼らと共有しガイドすることで、彼らは孤独や迷いを感じたりしなくなるでしょう」。
アルメニアでウィキメディアが育つのを見るのは彼女の誇りで、彼女のコミュニティから他の人々が学ぶことを願っています。「小さなコミュニティの存在感を高めることは、協力、学習、そして成長の機会を創り出すことになると信じています」と、彼女は語ります。
彼女がウィキペディア、ウィキデータ、あるいはウィキメディア・コモンズを編集していないとき、マリさんは異なる言語の本を読んだり、アルメニア中をハイキングしたり、陶芸やバドミントンを楽しんだり、(ウィキメディアらしい過しかたですが)異なる言語の語源を学んでいます。
桂冠賞: ドリーミーシェイド(Dreamyshade)

ウィキペディアは今年25周年を迎えましたが、その最初期から活動している方をお祝いしたいと思います。ドリーミーシェイドさんは、2001年にウィキペディアが世に出た時以来、献身的に貢献している編集者です。
多くのウィキペディアンと同様、彼女の物語は「何かが欠けている」ことの発見から始まり、それを自分は修正することができるかもしれないと思いました。ハープ奏者を目指す若者として、彼女はハープについての記事を探しましたが、それはありませんでしたので、自分で書きました。そのころ書いた記事には、ブラウザーゲームや少年バンドがあります。他の編集者たちは彼女の活動を真摯に受け止め、彼女が若すぎるからと言って軽視するのでなかったことは、彼女にとって大きな意味がありました。
最初は、ウィキペディアは宿題を先延ばしにするための、楽しく有意義な手段でした。そのうちに、それはドリーミーシェイドさんの生活の重要な一部分になりました。現在では彼女は英語版ウィキペディアだけで13,500回以上の編集を行い、サンフランシスコ湾地域のイベントで多くの新人ウィキメディアンを指導しています。彼女は特に「質」を重視しています。貧相な記事を見つけると、それを完成させ、次にかかります。特に検証可能性に力を入れ、正しく見えても実は偽の出典であるサイトを見つける才能があります。
これまでの25年間ほぼ毎月編集してきましたが、彼女はまだやりきってはいません。「私は自分の最高の作品がこれから生まれると、心から感じているのです」と、彼女は言います。
ドリーミーシェイドさんにとって、ウィキペディアは楽しみと意義をもたらす偉大な資源です。「貢献するたびに、私はこの深く人間的で、協同的で、利他的で、グローバルで、非営利のプロジェクトの価値を証明するのをサポートしています。私は他の好奇心の強い人たちが何かを学ぶのを支援します!私は柔軟性に富み、意味深く、魅力にあふれ、挑戦しがいのあるものの一員でいられるのです」と彼女は言います。
彼女の助言はとても単純です。長期間関わり続けること、異なる貢献のやり方を試みること、そしてもし必要なら-一度休憩してから再開すること。彼女はまた、仲間と手を組むことも薦めています。「ムーブメントの中で他の人たちと過ごすようにしてください。できれば対面で会うのが理想的です。そうすれば、新しいやり方での貢献について、きっとヒントが得られるでしょう」と、彼女は付け加えます。
ドリーミーシェイドさん、これまでの活動に心から感謝します。次の25年間も貢献し続けてください!
桂冠賞: Barkeep49

Barkeep49さんは、ウィキメディア桂冠賞2026の受賞者です。彼は英語版ウィキペディアの熟練貢献者で、複数の拡張権限をコミュニティから委任され、ムーブメントの中で厚い信頼を寄せられてきました。彼は自分の時間を、ウィキペディアが誰にとっても安全を感じられる場所であることを確立することに費やし、また他の人たちがプロジェクトのなかでより重要な役割を果たせるように勇気づけてきました。そして何よりも、彼は4万回以上の貢献をし、質の高い記事と「秀逸な記事」リスト作成でウィキペディアの充実に尽力しました。
Barkeep49さんの活動は、ウィキペディアの真髄である「自由で信頼できる内容と、支え合うプロジェクト・コミュニティ」を具現化しています。
もし、あるアーティストが自分の宣伝のためにこれを利用していなければ、このお祝いはなかったかもしれません。2018年のこと、Barkeep49さんは丁度ショーを見たばかりのコメディアンについて、ウィキペディアの伝記記事を読んでいました。彼はいくつかの宣伝的内容を発見し、それを削除しようと、2005年以来眠っていたアカウントを呼び起こしました。高品質な情報を誰にでも届けるというウィキペディアの理念は、彼の価値観でありますが、彼がとどまっているのはコミュニティの存在によるものです。「私は複数の熟練編集者から支援してもらいましたが、(多分もっと)重要なのは、プロジェクトの中で手探りで道を見つけようとしているグループの仲間の存在でした」と彼は振り返ります。そして彼はウィキの活動を多くの場所に広げましたが、社会的な繋がりは決して途切れていません。
「私は仲間のウィキメディアンたちとやりとりするのが、大きな喜びです。彼らとはいつも学び合い、刺激を受け、そして様々なやり方と場所で共に協力し合えるという、素晴らしい特権を享受しているのです」と、彼は語ります。
Barkeep49 さんはコミュニティの中で、次のようないくつもの役割を果たしています。英語版ウィキペディアの管理者、英語版ウィキペディア仲裁委員会(プロジェクトの論争を解決する機関)のメンバー、そしてムーブメントの広範な敬意ある協同関係のための「ユニバーサル行動規範」のサポーター。
しかしながら何よりもあげたいのは、Barkeep49さんが自分をコンテンツ編集者だとみていることです。彼が特に好きなのはアメリカ合衆国の児童文学で、とりわけ好きなひとつが『黒と白』に関する記事です。これは彼が子どものころ大好きだった絵本で、ウィキペディアの編集者になって再び向き合ったのです。「大人になってここに戻ってきて、学術的な文学だけでなく、ポストモダン絵本の先駆であるこの本について、(ウィキペディアの)中心理念である「独自研究を載せない」に抵触することなく書くのを模索するのは、この上なく楽しいことです」。
でも、人生はウィキペディアだけではありません。編集しないとき、Barkeep49さんは読書を楽しんだり、映画を観たり、そしてお菓子を焼くのです。「もし丁寧に頼んでいただければ、私は飛び切りのバナナブレッドのレシピを共有しますし、オートミール・チョコレートチップ・クッキーのオリジナルレシピだって教えるかもしれませんよ」と彼は言うのでした。
コミュニティ・コネクター賞: クロド(Chlod)

新たに設けられたコミュニティ・コネクター賞は、人々を結び付け私たちのコミュニティを強化する人に授与されるもので、その最初の受賞者は、フィリピンの若い学生であるクロド・アレハンドルさんです。彼はまたウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーの歴史の中で、初めてのフィリピン人受賞者でもあります。
クロドさんの影響力は私たちのムーブメントの中で様々に見ることができます。彼は英語版ウィキペディアの熱心な編集者で、多彩な技術貢献者であり、多くのツールやスクリプトを整え、他の人々の仕事をサポートし、東アジア・東南アジア・太平洋地域においては情熱的オーガナイザーとして、次世代のウィキメディアンを結び付けています。
クロドさんの活動は人々を結び付けること、ウィキ世界の様々な領域を結び付けること、そして何よりも、ムーブメントを組織する真剣な取り組みと、ウィキメディアンであることの純粋な喜びを結びつけることです。
英語版ウィキペディアは、クロドさんがホームとしているところです。そこは彼が編集活動を開始し、最も頻繁に編集している場所だからです。ウィキペディアでビデオゲームに関する情報を次々たどっていけば、きっとクロドさんの記事に行きつけるでしょう!
彼の趣味の一つはソフトウェアプログラミングであり、クロドさんはウィキメディアの技術コミュニティにも精力的に関わっています。彼はメンテナンス活動に携わるウィキメディアンを助ける様々なツールやスクリプトを開発し、最初のころに彼を指導してくれた人々への恩返しとして、彼もまた後進を育てています。さらにそれに加えて、彼はオーガナイザーの役割を果たしているESEAP地域のコミュニティで、プロジェクトの組織や運営に尽力し、ウィキペディアの誕生日祝いの行事も開催しました。直近では、私たちのムーブメントの次世代を担う若いウィキメディアンのコミュニティの組織の主導者の一人でもあります。彼は音楽好きの家庭に育ち歌うのが大好きで、ウィキメディアコミュニティに親しまれているカラオケで、彼のパフォーマンスは知られています。
クロドさんが彼にとって重要なことをひとつに絞るのが難しいのは、不思議ではありません。「記事を書いたり、ツールを開発したり、コミュニティと関わっていると、どれが一番大事かを決めることは難しいです。なぜならこれらのことはみな、このムーブメントを一緒に作り上げるための歯車なのですから」と彼は言います。「しいて言うとしたら、私の主な貢献は、自分のままでいながら、力を発揮できる場所をみつけることかもしれません。私たちはそれぞれの強みがあり、それをどうウィキメディアムーブメントに役立てるかは、一人一人にゆだねられていると思います」。
これの活動全てについて一貫しているのは、クロドさんのウィキメディアの理念に対する献身的姿勢です。「ウィキペディア、そしてウィキメディア・ムーブメント全体は、人間の決意、不屈の忍耐力、そして精神の証であり、私たちが協同したときに何ができるのかを示しています。それは、無関心な宇宙に対する不屈の人間の精神の表明のひとつです。『人間の知識の総体』を目指して私たちが協同する姿には、深く心を動かされます。それは現在の、そして未来の人間に対する私たちの贈り物です。そして、手前みそに聞こえるかもしれませんが、これは私たちが他の人々に贈ることのできる最高の贈り物なのです」と、彼は振り返ります。
名誉賞: 聖(Hijiri)

ウィキペディアは25周年を祝いますが、それと共に、この影響力を真にグローバルに、多言語化した人々とコミュニティを讃えます。今年の名誉賞受賞者は、日本語版ウィキペディアの最初期の編集者である、梅本聖さんです。彼を讃えると共に、日本語版ウィキペディアのコミュニティと、世界で2番目に読まれているウィキペディアとなったその25年間の歩みを讃えます。
聖さんは、日本語版ウィキペディアの初期登録利用者のうちの一人で、彼のID番号は5番です。彼は日本語の文字入力(最初はローマ字表記だけでした)が可能なソフトウェアが出たすぐ後に、編集を始めました。すぐに彼はプロジェクトのメインスペースの管理を行うようになり、スタブと呼ばれる初期の短い記事を作りました。日本語をアルファベットで入力してウィキ記事を書いたのは多分自分が最初だと、彼は考えています。編集回数が多いわけではありませんが、今でも編集を続けている編集者の中では、たぶん最も古くからの参加者です。
2001年初頭にドイツ語、カタルーニャ語、アラビア語、中国語、フランス語、エスペラント語でウィキペディアのプロジェクトを始めた先駆者たちと同様に、彼もまた自分がサポートして構築したものが、世界最大の知識源となり、インターネットの基盤となることなど、まったく想像していませんでした。
彼は自分のコミュニティが成長し、新しい世代が貢献し始めるのを見ることができました。「プロジェクトが当初のメンバーの手を離れ、今や自律的に進んでいることを、私はとても誇りに思います」と彼は振り返り、「それはプロジェクトがより大きくなり、どんな個人よりも重要な存在になったことを意味します」と付け加えました。
彼はウィキペディアが、参加したいと思う人を歓迎する場所であることを、とても大切にしています。「新しい貢献者は、ウィキペディアの中で最も大切な資産であるということを、決して忘れてはなりません。彼らこそはウィキペディアの未来を形作り、忍耐、勇気、そして尊敬を受け取るのに値するのです」と彼は言い、経験豊かな編集者は初心者に優しく接するように、また初心者は思い切って行動し、失敗を恐れないように促しています。「ウィキペディアはいつでも、お互いに学び合う普通の人々によって作られてきました。この精神を決して忘れたくないと思っています」と聖さんは付け加えました。
ウィキ上で聖さんを見つけるだけでなく、ラジオ電波でも彼を見つけることができます。アマチュア無線に彼は情熱を持ち、4か国での無線免許を持っているのです。「無線でみなさんと交信するのが楽しみです!」と彼はウィキメディアンの仲間に呼びかけています。
ウィキメディアを支えてくださっている皆さん、特に今年のウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー受賞者の皆さんに感謝いたします。皆さんを今、そして年間を通してお祝いしましょう。
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