渋沢敬三と集合知:日本常民文化研究所エディタソン参加記

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2026年8月25日、神奈川大学日本常民文化研究所(常民研)で開催されたエディタソンに参加しました。常民研は日本各地の民具や古文書を収集整理し、漁業史を始め日本の常民(普通の人々)社会を対象に研究を進めている機関です。

常民研の看板

常民研のルーツは1921年に渋沢敬三が創設したアチックミューゼアムソサエティで、これは後にアチック・ミューゼアムとなり、戦中1942年に日本常民文化研究所と改称しました。渋沢敬三は祖父渋沢栄一の要請で第一銀行の経営を引き継ぎ、戦中戦後には国の要請で日銀総裁、大蔵大臣を歴任しました。しかし元来は学問を志していたので、その情熱を民俗学者をはじめ多くの研究者の育成に注いだのです。

渋沢敬三

私は以前、渋沢敬三を研究する米国の研究者の話を聞いたことがあります。渋沢の活動は学問から実業まで実に幅広く、彼の研究者もテーマに応じて多くの分野にまたがっていたのです。その時、渋沢を研究する手法として「集合知」が使われている、と知りました。ひとりひとりの研究者が知識を持ち寄ると、当初は不完全であったものが次第によりよいものになっていく、という話に惹きこまれました。後に集合知の一例がウィキペディアであると知ったことが、私がウィキペディア編集を始めた大きな理由です。

さて、常民研のエディタソンで私は、常民研そのものの記事を加筆しました。もともと立項されていた記事に、よく知られた事項を加筆し、出典をつけていったのです。常民研の書庫には出典となる資料が数多くありましたので助かりました。またいくつかの書籍はNDLデジタルコレクションで公開されていたので、詳細なリンクをつけることもできました。

ほかの参加者たちはそれぞれの興味に応じ、書庫から数多くの資料を取り出し、記事を執筆していました。なかでもさえぼーさんが執筆された『古文書返却の旅』は、この分野で広く知られている書籍であり、翌々日にはウィキペディアの「新しい記事」に選ばれてなによりでした。常民研のスタッフのみなさんも何人か編集を初体験され、ウィキペディアに大きな興味を持ってくださったようで嬉しかったです。渋沢敬三が蒔いた学問への情熱の種が、絶えることなく引き継がれ成長しているのを実感した思いでした。

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