🌸さくら・サク🌸佐倉城下町・取材旅行

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(使用している写真は全て、CC BY-SA 4.0, Lin Xiangru)

Wikipediaの記事を書くとき、私は本や論文、ウェブ上の資料などを調べながら記事を組み立てています。ウィキデータ勉強会という用事があり、東京へ行くことになったため、どうせなら実際に佐倉へ行ってみようと思いました。(詳細はこちらのDiff記事に)

佐倉は東京からも京成本線で行きやすく、さらにその先には成田も位置します。成田山のお参りと同時に佐倉へも立ち寄り、佐倉藩の城下町を歩いてみました。

(ちなみに宿を千葉でとっていたのですが、佐倉旅行の前日(正確には当日)の夜、震度5弱の地震がありました。震度5弱は初めてで、怖くて眠れず若干の寝不足…。)

成田山新勝寺。メロい。

予定外の資料館との出会い

「鹿山文庫」のおかれている佐倉高校
もちろん藩校由来の学校。

最初に降り立ったのは京成佐倉駅。佐倉順天堂記念館へ向かう途中、「鹿山文庫」(=佐倉高校所蔵の古書群)の看板に気づきました。予定にはなかったものの立ち寄ることに。佐倉藩の藩校や学問に関する資料も多数展示されていました。

こういう場所は、実際に歩いてみないとなかなか見つけられません。藩校に関する資料や温故堂(佐倉藩の藩校)の看板などを見ることができました。佐倉高校は長嶋茂雄さんの母校らしく、その展示もありました。野球はさっぱりですが。

現地の資料館を見ると、「この話も記事に入れよう」と構成が変わることがあります。現地取材、現地の展示の見学は記事の構成に大きな参考になります。

佐倉順天堂と蘭学

佐倉順天堂記念館

次に訪れたのが佐倉順天堂記念館です。佐藤泰然が開いた蘭医学の塾兼診療所で、当時の医療器具などが展示されています。江戸時代の佐倉は「西の長崎、東の佐倉」と呼ばれるほど、蘭学や医学の重要な拠点だったことを、展示を見て改めて実感しました。

特に印象に残ったのは、診療内容と料金をまとめた江戸時代当時の看板です。現代にも通じる治療や外科的処置が記されていて、当時の医学もここまで進んでいるのだと気づきます。ボランティアガイドの方から直接お話を聞けたのも、現地ならではの経験です。ただ、話が弾んでしまい、予定が狂ってしまうのは難点です。この時点ですでに、最後の目的地に着く時間が少し心配になってきました。予定が狂ってしまうのは必然ですので、基本的に行く順番と帰りの交通手段だけを調べて、あとは行き当たりばったりにしています。

佐倉の城下町を歩く

松林寺

その後は旧堀田邸松林寺などを巡りました。旧堀田邸は佐倉藩最後の藩主・堀田正倫が明治時代に建てた邸宅です。今回は時間の都合で外観を見るだけにしました。

佐倉城下町商店街

佐倉城下町商店街を歩いていると、歴代の佐倉城主の名前が掲げられた旗も見かけます。もちろん全員知っている名前です。彼らの名前が、実際の町の風景の中に出てくるのは面白いものです。

甚大寺

甚大寺にも訪れました。佐倉藩主堀田家ゆかりのお寺で、大老堀田正俊以来の歴代堀田家当主が葬られています。佐倉藩の記事を書く中で、開国期の老中首座というイメージしかなかった堀田正睦について、藩主として藩政改革や洋学振興にも取り組んでいたことを知り、大きくイメージが変わりました。ご挨拶にいかなければ。歴史上の人物のお墓を訪ねるのが果たして「趣味」と言ってよいのか、いまだによく分かりません。ウィキマニアでもキュリー夫妻へのご挨拶(墓地はパンテオン)は欠かせなかった…。

のちに写真を整理していると、甚大寺の写真がウィキメディア・コモンズに複数枚上がっていました。投稿主を見ていると、User:Higa4さん。ちょうど前日、ウィキデータ勉強会の講師をされていました。佐倉藩の取材旅行に行くという話をしていたら、このお話を聞けたのかもしれませんね…(笑)

地図に載っていないもの

麻賀多神社や坂道を通り、佐倉城へ向かいました。途中には佐倉藩時代の武家屋敷や、成徳書院跡の石碑もあります。

特に石碑は、私が使っていた観光マップには載っていませんでした。こういうものを見つけられるのも、実際に歩く楽しさです。観光マップだけに頼るのではなく、町を歩きながら歴史の痕跡を探すのも面白いと思います。

佐倉城と国立歴史民俗博物館

天守があったらしい

ようやく佐倉城へ到着。日本100名城の一つなので、百名城スタンプも押してきました。スタンプの場所には訪問者のノートがあり、私も一言書き込んでみる。ボランティアの方々が作った資料もあり、こちらも記事を書くうえで参考になりました。

旅行は計画的に…(n回目)

そして、ようやく今回の本来の目的だった国立歴史民俗博物館へ。到着したのは15時半ごろで、閉館までわずか1時間半。いつものように早歩きで、気になる展示を中心に見て回りました。

特に印象に残ったのは沖ノ島の展示です。以前かいた白瑠璃碗という記事でも言及した(※)、沖ノ島出土のカットグラス碗の破片が展示されていて、「あなた、ここにいたのね」と思いました。いやーまさかまさか。

江戸時代の地図は私にとっては興奮モノ。これまで書いた藩の記事を思い出しながら見ていました。

※「日本でのササンガラス(主に後期)の出土例としては、6世紀後半ごろのものとされる福岡県沖ノ島8号遺跡でのガラス碗片や~(略)。」と言及しています。もう一つ、上賀茂神社の境内から出土したものもあるらしいですが、そちらはまだ。

おわりに

佐倉に滞在したのは数時間ほどでしたが、佐倉藩の記事を書くうえでは大きな参考になりました。

実際に現地へ行くと、資料館で思いがけない資料を見つけたり、ガイドの方から話を聞いたり、観光マップに載っていない石碑を見つけたりします。知らない土地の記事を書いてから、その土地を実際に訪れてみる。Wikipediaを編集する楽しみ方として、こういうやり方もなかなか面白いのではないでしょうか。みなさんもぜひぜひ。

ちなみに佐倉藩の記事ですが、この2日後に神奈川大学の日本常民文化研究所というところでエディタソンが開催されましたので、その際の加筆記事としました。自分だけ会場とは何も関係のない記事でしたが、書庫の本を活用させていただきました。また今回の記事執筆にあたって、VS Codeをテキストエディタとして採用してみたのですが、これが非常に楽。わかりやすい。

(※今回この記事を書くにあたって、佐倉でのことを自分の言葉で話してみて、その内容をChatGPTに要約してもらいました。記事執筆が大変楽になりますね。)

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