原宿のファッション史とウィキペディア

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2023年7月、[[原宿のファッション史]] というウィキペディア記事を立項したのりまきさんにオンラインインタビューを行いました。

対談

Eugene Ormandy

本日はよろしくお願いします。まずは、[[原宿のファッション史]] というウィキペディア記事を立項された経緯について教えてください。

のりまき

友人の逃亡者さんが立項した [[童貞を殺す服]] というウィキペディア記事が「良質な記事」に推薦された際、他の方から「画像がほしい」という指摘がありました。そこで原宿などで「童貞を殺す服」を探したりしたのですが、その中で「原宿のファッションは面白そうだから、いつかウィキペディアにまとめてみよう」と感じたのがきっかけです。ただ、私はファッションに疎いので、作成には少々時間がかかりました。

Eugene Ormandy

個別のファッションブランドや店舗の記事ではなく、「原宿のファッション史」という大きなテーマで記事を書こうと思ったのはなぜでしょうか。

のりまき

文化は突如として現れるわけではなく、歴史の流れの中で登場します。私は歴史が好きで、ウィキペディアの歴史記事もいくつか作成したことがあるので、はじめから「原宿のファッション史」を書こうと決めていました。流れが解れば個別のファッション関連の記事もやりやすくなりますし。

また、「原宿のファッション」という記事にすることも考えましたが、難しいだろうと判断しました。表参道のハイソなファッション、竹下通りのファッション、裏原宿の古着のどれに重きを置くかで、内容が大きく異なりますからね。

Eugene Ormandy

ひとくちに「原宿のファッション史」と言っても、その執筆はかなり難易度が高いのではないでしょうか。例えば、原宿に隣接する渋谷のファッションにも言及するのか、原宿に同居する古着文化と高級ブランドのどちらに比重を置くのかといった、執筆対象を絞る作業にかなり苦労しそうです。

のりまき

書けなかったもの、および書かなかったものは山ほどありますね。具体的には、古着文化や音楽文化です。裏原宿における音楽文化や、1980年代のピテカントロプス、1970年代から1980年代にかけての芸能人と原宿の関係など、あげればキリがありませんが、これらの情報は今後、個別のウィキペディア記事に反映していければと思います。

Eugene Ormandy

読むのを楽しみにしています!

のりまき

なお、記事の執筆にあたり、原宿に思い入れのある方々のお話を伺いました。東京都の大田区から自転車で原宿に駆けつけ、ピンクドラゴンという大好きなブランドの服を購入した方のお話は、特に心に残りましたね。また、今はもう存在しないブランドに関するお話も数多く伺いました。長く商売を続けるのは大変なのだなあという思いを新たにしましたね。

Eugene Ormandy

執筆のための資料は、どのように探されましたか?

のりまき

CiNii Research および NDLサーチで「原宿 and ファッション」と検索し、ヒットした文献を入手しました。特に役立ったのは以下の文献ですね。

・アクロス編集室『ストリートファッション1945‐1995 若者スタイルの50年史』株式会社パルコ、1995、ISBN 4-89194-419-6

・ACROSS編集室『ストリートファッション1980‐2020 定点観測40年の歴史』株式会社パルコ、2021、ISBN 978-4865063677

・三田知美『グローバル化するアパレル産業と都市 裏原宿・表参道の都市社会学』花伝社、2022、ISBN 978-4-7634-2019-0

Eugene Ormandy

ご教示ありがとうございます。『グローバル化するアパレル産業と都市 裏原宿・表参道の都市社会学』は私も昔読みましたが、面白い本ですよね。本書では、どのエリアが「原宿」なのかという整理がなされていたと記憶していますが、[[原宿のファッション史]] のウィキペディア記事においても、それを踏襲していますか。

のりまき

基本的にはそうです。ただ、やはり原宿と渋谷青山千駄ヶ谷は厳密に区別するのが難しいですね。これらの街にもアパレルブランドが多くあるので。

Eugene Ormandy

なるほど。千駄ヶ谷は意外でした。てっきり私は「神南(渋谷と原宿の間にあるエリア)を原宿文化圏とみなすか否か」が鍵になると思っていました。

のりまき

神南も、渋谷のファッション史を描く上では重要ですよね。原宿とみなすかと言われると、微妙ですねえ。

Eugene Ormandy

素人感覚ですが、私も神南は原宿に入れませんね……。私はクラシック音楽ファンなので、あそこは「NHKホールの庭」という文化圏だと勝手に思っています(笑)

のりまき

原宿に通う方々にも「どこまでが原宿だと思いますか」と聞いてみたのですが、例えば「表参道は原宿ではない」という方もいれば、表参道を含める方もいて、バラバラでしたね。

Eugene Ormandy

やはり私は、古着を買うために原宿へ通っていた人間なので、表参道は入れないですねえ……。

のりまき

そういう方の声は結構聞きますね。ただ、原宿に住む人たちに「どこまでが原宿だと思いますか?」と尋ねたアンケートがあるのですが、実は表参道が最大公約数なんですよ。

Eugene Ormandy

なんと!

のりまき

原宿はファッション街ですが、もともと原宿は明治神宮の門前町であり、東郷神社もあります。そのため、ファッションの街としての性格と、門前町としての性格を兼ね備えた表参道が最大公約数としての「原宿」になるわけですね。

Eugene Ormandy

なるほど。ところで [[原宿のファッション史]] という記事には、銀座みゆき族や渋谷の「渋カジ」といった、原宿のファッションに影響を与えた「原宿以外のファッション」についても書かれていますが、記事に盛り込めなかったものはありますか。

のりまき

巣鴨です。

Eugene Ormandy

なるほど。巣鴨の異名「おばあちゃんの原宿」ですね。

のりまき

はい。「原宿」という言葉の重みを感じるネーミングですよね。「原宿」のイメージがないと生まれないですし。また、「おばあちゃんの原宿」については、研究も蓄積されているんですよ。

Eugene Ormandy

ほう。それは知りませんでした。

のりまき

他にも、原宿と並ぶファッション街として著名な代官山についても気になりますね。今度行ってみようと思っています。また、記事の内容からは少し離れますが、新宿新大久保にも興味があります。街を歩いているとわかるのですが、渋谷・原宿よりも「これから新しいことが始まりそうだ」というワクワク感があるんですよね。

Eugene Ormandy

それは私も体感的によくわかります。正直、渋谷と原宿はどんどんつまらない街になっている気がしますね。若者がいなくなっていると指摘する記事も、最近いくつか目にしますし。

のりまき

閉店するお店も多いようですしね。原宿に通う方も、同じような店が増えたとおっしゃっていました。

Eugene Ormandy

同感です。正直、どの古着屋も「セカンドストリート(古着チェーン)」のようになっています。中に入っても、エドウインラルフ・ローレンのような、有名なものしか置いてなかったりして……。なので、数年前から原宿には通わなくなりました。

のりまき

原宿や渋谷は、これからが正念場かもしれませんね。

Eugene Ormandy

新しい文化が生まれる街であり続けてほしいですね。

MILK原宿店。Wikimedia Commons [[File:Harajuku-MILK1.jpg]] (のりまき, CC0) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Harajuku-MILK1.jpg

のりまき

記事に話を戻すと、アクセサリーや美容院、ピアスや香水の話は、文献がなくて書けませんでした。ファッションは「服を着ること」だけではない以上、盛り込みたかったのですがね。

Eugene Ormandy

ファッションは「生き方」そのものですからねえ。

のりまき

あとは「時代」ですね。記事の執筆にあたっても、時代背景は意識して書くようにしました。

Eugene Ormandy

必要な知識がきちんと把握できる、とてもわかりやすい構成でした。

のりまき

ありがとうございます。歴史の記事は今までにもいくつか書いているので、その経験が活きたのだと思います。なお、原宿に通う人たちに行ったインタビューの内容も本当は書きたいのですが、ウィキペディアは「独自研究の禁止」や「検証可能性」を掲げるプロジェクトなので、もちろん記載しませんでした。ただ「なぜ原宿はこれほどまでに人を惹きつけるのか」がわかるウィキペディア記事にしたいなという思いで執筆はしました。

Eugene Ormandy

今回執筆された [[原宿のファッション史]] と、今までのりまきさんが作成された歴史記事で、何か違うところはありましたか。

のりまき

文献です。政治家にも同じことが言えますが、ファッションは「見せる仕事」です。そのため、例えば川久保玲山本耀司も、見られることを前提として文章を書いているように感じます。そのため、本人が書いたもの、いわゆる一次資料を扱うのは、普段以上に注意しなくてはいけないなと思いました。

Eugene Ormandy

エンタメ業界にも同じことが言えますね。

のりまき

そうですね。

Eugene Ormandy

余談ですが、ファッションのウィキペディア記事で一番難しいのって「日本中心にならないように」書くことだと思うんですよね。実際、私はとある帽子について書こうとしたのですが、日本以外での動向をどのようにまとめてよいか判断できず、執筆を断念しました。それに、日本語のファッション誌を読んでも「〜が流行っている」としか書かれておらず、「〜が日本で流行っている」とは書いてありませんからね。ウィキペディアン的には困ってしまいます。

その点 [[原宿のファッション史]] は、テーマ設定の時点でその問題を解決してるんですよね。もちろん、その分「原宿以外のことをどこまで書くか」などの別種の問題が生じるわけですが。

のりまき

今回は慣れない題材について執筆したので、実は構成面ではあまり冒険してないんですよね。

Eugene Ormandy

なるほど。本日は貴重なお話をありがとうございました。大変勉強になりました。

まとめ

のりまきさんと私のスタンスは真逆です。

のりまきさんが「執筆対象への興味」から執筆をするのに対し、私は執筆テクニックや方法論への興味から、執筆対象を消極的に選択します。テクニックの有用性を測定するために、あえて「興味のないもの」について書くことも多々あります。この違いは、お互いの執筆レポートにもはっきりと表れています。

「日本語版ウィキペディア屈指の優良執筆者であるのりまきさんには、絶対にインタビューをしなければいけない」と思いつつも、実はしばらく二の足を踏んでいました。なぜなら、のりまきさんの興味・情熱をさらに深掘りできるだけの準備をしなくてはいけないとわかっていたからです。

そんな折、のりまきさんが [[原宿のファッション史]] を立項され、今がチャンスだと感じました。なぜなら、私も原宿のファッション史に強い興味を抱く人間の1人だからです(自宅にいる時間よりも、原宿の古着屋にいる時間の方が長いのでは?と思うほど入り浸っていました時期もありました)。また、東京の土地勘も多少あるので、記事には組み込まれなかった、原宿以外の動向も聞き出すことができるのではないかと感じました。

このような問題意識のもと、インタビューを実施し、本稿を作成しました。目標を達成できたかについては、読者のみなさまの判断に委ねたいと思います。なお、本稿における瑕疵などは全て筆者 Eugene Ormandy に責任がある旨、ここに明記いたします。

末筆にはなりましたが、今回快くインタビューを引き受けてくださったのりまきさんに、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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