ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー2023の受賞者を表彰します

ウィキメディア・プロジェクトを維持するためには、宇宙規模の膨大な努力が必要です。そして、実際の宇宙に数多の星が輝くように、私たちの宇宙にも沢山のスターが存在します。ウィキメディア・ムーブメントは毎年、そのような並外れた参加者たちをたたえています。

ウィキペディアの創設者ジミー・ウェールズが授与するウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーは、素晴らしい貢献をした様々なウィキメディアンを表彰する賞です。新しくコミュニティに参加した方や、長年活躍しているベテラン、さらにはメディアで活躍した方や技術面で貢献された方が表彰されるほか、最も名誉あるウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーが選出されます。

ウィキメディア・ムーブメントは、様々な背景や経験を持つ世界中の人々による、無数の貢献によって存在しています。知識を共有したいという意欲を永く持ち続け、すべての人類があらゆる知識を自由に共有できる世界を想像するという大胆なビジョンによって、ウィキメディアンは団結しているのです。このような人々をお祝いすることができて、我々は非常に光栄です。

前置きはこれくらいにして、さっそくウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーの受賞者をご紹介しましょう。

ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー

Taufik Rosman、利用者:Tofeiku さんは、2023年のウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。本賞が創設された2011年以来、主要なカテゴリで東アジア・東南アジア・大洋州地域(ESEAP)所在のウィキメディアンを初めて表彰します。これまでを振り返ると、2021年にこの地域の出身者に新人賞を贈りました。Tofeiku さんはまた、全カテゴリを通して初のマレーシア出身者です。

Taufik さんは幼少期から知識の共有に情熱を燃やせると自覚したそうです。8歳で自分が通う小学校の記事をウィキペディアで編集したといいます。その数年後、地元の学校図書館で図書館員の仕事を担当していたときに、たまたまマレー語版ウィクショナリーに出会いました。マレー語とマレーシア先住民族言語を主題にして、知識の表現をもっと豊かにしたい、拡大したいという望みに促され、ウィキメディアの旅はそれまでとは変わり始めたといいます。

「たくさんの辞書や本に囲まれていたので、放課後は毎日、編集していました」と当時のことを語ります。自分史上の最高記録はこの時期に、3年間、1日も欠かさず編集したことだそうです。Taufik さんはウィキメディアにマレー語のコンテンツを寄稿し、コミュニティ参加者のサポートや編集初学者の歓迎に熱心に取り組んできました。

Taufik さんの勤勉さと献身的な努力は実を結びます。知識の格差を埋めよう、無料の知識を促進しようと努める思いと活動は、ウィキメディア・ムーブメントと母国のマレー人コミュニティに広く響きました。サポート活動は自身のコミュニティにとどまらず、マレーシアおよび地域全体のさまざまな提携先機関との協力に及び、ウィキメディアの普及と影響力を高めたと誇らしげに述べたTaufik さん。その言葉は、改めて私たち全員に思い出させてくれました。

「だれの貢献もとても重要です。たとえ、どんなに些細でもね」

2018年、地域単位のESEAPカンファレンスに参加したところ、ウィキメディア人生を変えるような出来事がありました。Taufik さんの活動はウィキメディアンの仲間とともに、より広大なムーブメントの一部だということに開眼したのです。それからはひたすら、前だけを見てきました。ウィキメディア・ムーブメントに参加していない人にも、もっと伝えたいと望みました。こういうものがあるんだ、世界の知識の形成にこんなに大きな影響を与えている、こんなユニークなコミュニティの評価がもっと高まれば、もっと多くの人がグローバルに貢献するようになると信じています。Taufik さんはウィキメディアならではの独特のやり方、つまり利用者トークページで長いおしゃべりをするのがお気に入りだと認めています。それこそコミュニティの本質が光る空間です。最近の最優先プロジェクトを尋ねるとウィキデータだそうで、クエリ・サービスにすっかり魅了されているとのこと。

Taufik Rosman さんという献身的なウィキメディアンの旅は、退屈とは無縁でした。知識の共有、他の人を励ましたりデジタル領域と対面型活動の接点作りに情熱を燃やし、地域の先駆者として無料の知識の世界的な大使を務めてきた Taufik さん。そのアプローチは分け隔てがなく励ましを重視して誰をも歓迎する環境作りに役立ち、参加してみたら他の人に自分の価値を認められたと感じて、貢献する意欲が湧くのです。Taufik さんは教え手の素養を活かして、間もなく教師として就職する予定です。教壇に立った時、きっとウィキメディアへの貢献が授業にも不可欠な要素となるだろうと容易に想像されます。

桂冠賞

Siobhan Leachman さんがウィキメディア・ムーブメントに寄せる献身と貢献は他の人の心を動かし、私たちの運動とプロジェクトに消えることのない足跡をつけてきました。2023年の桂冠賞として、アオテアロア・ニュージーランド協会ならびにESEAP 地域で初めての受賞者になります。

最初に編集を始めたときの職業は弁護士でした。最初の記事が削除候補に指定されたSiobhan さんは、それでも投げ出しませんでした。編集仲間のリーダーとして、特に生物多様性と自然史における女性の貢献を汲み上げ、脚光をあてるよう努めてきました。投稿先はウィキペディアとウィキデータ、ウィキメディア・コモンズで、Siobhan さんの活動のおかげでそれぞれの分野で著名な女性とニュージーランドの生物多様性に関する記載が大幅に強化されました。情熱はウィキメディアの編集を超えて広がり、ウィキバースとのより良いつながりを構築するようにと自然史分野の図書館司書や博物館専門職ほか、知識資源機関や協会の専門家を相手に頻繁に奨励しており、これには使用許諾の条件を開放したコンテンツの寄贈が含まれています。Siobhan さんはまた、積極的にウィキメディア・ムーブメント全般への関与を促そうと、数多くのカンファレンスで講演をしてきました。

ウィキメディアのプロジェクト群に寄せる貢献とは、満足感を得られるが孤独な作業であり、同時に社会とも強く結びついた活動でもあります。Siobhan さんはご本人が投稿回数の多い個人投稿者であり新人編集者の指導役、また影響力のあるイベント主催者であり、また妹さんのヴィクトリア・リーチマンと共同で定期的にウィキ交流会を催し、対面型のイベントとして郷里のウェリントンで開催するほか、アオテアロア・ニュージーランド協会の編集コミュニティ参加者を対象にオンライン開催もしています。これらミートアップ(オフ会)を通じて新しい友人がたくさんできたし、他の編集者と一緒に得た機会は多く、共同作業でさまざまな Wiki イベントの企画を支援した実績があります。Siobhan さんはウェリントンおよびアオテアロア・ニュージーランド協会の編集コミュニティに根ざしつつ、ウィキデータの生物多様性プロジェクト、脚注を増やす#1Lib1Ref、さらに学術専門機関を対象とするグラムウィキ(GLAMwiki)などのコミュニティ類にも居場所を見つけてきました。

Siobhan さんは信頼できる情報へのアクセスを支援するとき、世界から集まる編集者仲間からインスピレーションを得ています。アドバイスするときは相手の編集者が新人でもベテランでも同様です。

「自分の仲間を見つけてください。世界のどこかに、あなたの好きなトピックにあなたと同じくらい情熱を注ぐ編集者がいますよ、必ずね」

Siobhan さんの旅は一つの力の証拠であり、集団活動とは多くの人が目的意識や友情を見つけたり、開かれた知識のどこに情熱を注ぐのか、共通点が見えてきます。Siobhan さんは言います。

「私たちのコミュニティが生成したコンテンツがどのくらいの頻度で、またどの程度の範囲で再利用されているか。ほとんどの人は自覚していませんよね。デジタルで情報にアクセスする人なら全員、ウィキメディア編集者の仕事から抽出された知識に触れているのです。」

多様性の喪失、生息地の破壊、気候変動などの問題の広がりと緊急性を考察するとき、Siobhan さんはウィキメディアのプロジェクト群が果たす役割の重要性を頼もしく感じており、情報環境において信頼できる情報源であること、世界の人々に情報を提供すること、政策や行動に影響を与えることが該当します。それら多くの功績を認め、2023年の年間ウィキメディア賞を贈って讃える私たちは、世界中の多くの人に知識へのアクセスを提供する上でウィキメディアのボランティアの皆さんが多大な影響を与え皆さんのだと思い出します。Siobhan さんの旅は共同作業を受け入れて、私たち一人ひとりが前向きな変化とコミュニティの原動力となるよう、励ましてくれます。

Siobhan さんが知識の共有に注ぐ熱意と献身には際限がありません。ウィキやその他の分野で複数のプロジェクトを同時に進行させ、実にウィキメディアらしい方法で取り組むこともしばしばです。開花植物の属に献名された女性を研究しないとしても iNaturalist(アイナチュラリスト)を閲覧したり、BionomiaTracker.org(バイオノミア・ドット・オルグ)では学術系収集家と個別のコレクションをリンクさせたり、好きなワインを飲みセラーに貯蔵することにも喜びを感じているのです。

新人賞

日本語版ウィキペディアの利用者:Eugene_Ormandy さんは、ウィキメディアのコミュニティブログ「ディフ(Diff)」に、ウィキメディアンたちの様々な物語や、ご自身の活動記録を投稿し、世界中のウィキメディアンに向けて発信してきました。その結果、Eugene さんは2023年の新人賞を受賞することになりました。なお、日本のウィキメディアンがウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーに選ばれるのは、今回が初めてですが、もちろんこれで終わりなはずはないでしょう。

2018年12月、ベテランウィキメディアンの北村紗衣さんが開催した講習会に参加したことで、Eugene さんはウィキペディアの虜となり、早稲田Wikipedianサークル稲門ウィキぺディアン会を設立しました。これらのグループは日本国内で発展していきましたが、それと並行して、Eugene さんは日本のウィキメディアンたちの活動記録を Diff に作成し、世界中のウィキメディアンたちと共有するようになりました。日本語コミュニティの豊かな歴史を、他の地域のウィキメディアンにも知ってもらいたいと考えたEugene さんは、日本のウィキメディアンたちの情熱やモチベーション、興味をまとめた記事を作成し、Diff を通してそれらを共有知としたのです。このような活動の核にあるのは、コミュニティがもつ力です。Eugene さんは、このようなコミュニティの力が日本で今後も栄え、強化され続けるよう望んでいます。

Eugene さんは、世界を改善する最良の方法の1つは、ウィキメディア・プロジェクトを編集することだと信じ、こう語ります。「ウィキメディア・ムーヴメントは、知識、創造性、インスピレーションの導き手です。私はその無限の可能性に、希望を抱いています。」

お察しの人も多いとは思いますが、2023 年の新人ウィキメディアン賞受賞者は、クラシック音楽の大ファン。特にユージン・オーマンディというハンガリー系アメリカ人の音楽家の録音に、極めて大きな影響を受けています。また、大のプロレスファンでもあります。

Eugene さんの投稿や日本の最新情報を見逃さないように、公式ブログ「ディフ(Diff)」を必ず購読してくださいね。

メディア投稿者賞

Pax Ahimsa Gethen さん、利用者名 Funcrunch さんをご紹介しましょう。疎外されたコミュニティの熱心な擁護者として、ウィキメディアに熱心に投稿しています。2023年メディア投稿者賞に選ばれました。ご本人のストーリー、実践主義と表現、包摂性を追求するその姿勢は、私たちがウィキメディアのプロジェクト群に貢献する方法を変革した実例の1つです。その決意と情熱を知ると、ひるがえって包摂性はいまだに探求の途上であること、世界の知識をもっと社会の全体に反映する活動とは取り組む価値があることに思い至ります。

Pax さんがウィキメディア コモンズに寄稿する写真は、LGBTIQ+ の主題とイベント、社会正義の集会に焦点を当てています。英語版ウィキペディアの「プロジェクト:LGBT研究」に積極的に参加して、他のウィキメディアンの皆さんと協力しながら反トランスの破壊行為に対抗したり、ウィキメディアのプロジェクト群でトランスジェンダーの主題を協議する場で敬意を示すようにガイドラインの改訂に参加しました。

「近年の主な焦点は、英語版ウィキペディアで

疎外された人々の表現を改善することであり、特に重点を置いているのは

トランスジェンダー、ノンバイナリー、黒人の伝記にいます」

パックスさん述。

Pax さんの写真により記事が充実し、主流の物語から隠れがちなストーリーや人物像は視覚という要素を得ることができました。ご本人お気に入りのメディア投稿には、、、、、、、ラケル・ウィリスなどが含まれます。記事で頻繁に使用されるコモンズの他の写真には、アリア・サイードフェリシア・エリゾンドイマニ・ルパート・ゴードンアイボリー・アキノジャネッタ・ジョンソンミーガン・ローラーラクエル・ウィリスなどがあります。記事に使われることが多い画像は警察の暴力スタンディング・ロックDACAだそうです(※=DACA:アメリカ合衆国に不法滞在した小児入国者に対する国外退去の猶予)。

ウィキペディアは検索エンジンの結果において上位に表示され、歴史や権力と特権の構造から疎外されたコミュニティを公正に表現するプラットフォームとして、ウィキペディアは不可欠になりました。Paxさんはすべての人を公平かつ正確に代表することと、ウィキメディアのプロジェクト群とを分けて考えることはできまません。「私たちが住む多様な世界をより代表するものとしてウィキペディアを進めるには、トランスジェンダー、ノンバイナリー、黒人の投稿者に参加してもらうのが極めて重要」と強調します。貢献の動機は ハラスメント(嫌がらせ行為)と闘うインスパイア・キャンペーンなど、オンラインで味わった個人的な経験に基づいているそうです。Paxさんは語りました。

「ヘイトスピーチは社会から疎外された人々に脅威を感じさせ、百科事典に不信感を与え、編集に参加したくないのです。」

Paxさんの旅は2008年、 音楽作品一覧にレッド・ツェッペリンの曲を追加するという、パッと見は気まぐれな編集から始まりました。この小さな投稿から火が付いて、ウィキペディアの可能性、人類の知識の総体を収集すること、疎外された声を代表するプラットフォームへの情熱が燃え上がるとは、予想もしていなかったそうです。Paxさんは経験豊富な編集者に対し、「特に物議を醸すテーマに関しては、他の編集者に敬意を払って協力的に相対すること。撤退する時期を意識した方が良い」とアドバイスするPaxさん。新人編集者には「ウィキペディアの方針と文化に慣れるまで、議論を呼びそうなテーマの編集や、新しい記事の作成はやめておくこと」がお勧めだそうです。誤字の修正とか、明らかな破壊行為を元に戻すことから始めてください。」 

ウィキペディアはPaxさんの毎日に欠かせないものの、生活のバランスを取ることの重要性も強調しています。ウィキメディアの外では、ビデオ・ゲーム、歌を歌ったりピアノを弾いたりすることが趣味です。

技術者賞

User:Zabe さんは、 2023年の年間最優秀技術貢献者です。拡張機能の展開、バグ修正および事故事案全般のサポートにおいてウィキメディア仲間の皆さんから称賛され、中でもチェックユーザー・コードと一括認証コードの保守、コメント・データベースのリファクタ移行更新のサポート、さらに新規ウィキ立ち上げを支える技術的な作業に注目を浴びました。つまりZabe さんはウィキメディア・プロジェクトの運営とユーザー体験と切っても切れない、ウィキメディアの技術インフラに関して並外れた貢献をした人物です。

Zabe さんがウィキメディアの寄稿者になる道のりは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによってロックダウンされた状況で独特の変化を遂げました。家にいる時間はたっぷりあるから、子供の頃に頻繁に使ったプラットフォームに貢献してみようとエネルギーを注ぎ始めたのです。そういえば、2022年の年間メディア貢献者の表彰を受けた人もパンデミック中にウィキメディアに貢献し始めたそうです。ウィキメディアンの皆さんにとっても、ロックダウン期間は昔、大好きだった娯楽に戻るチャンス到来を意味したでしょうし、初めてウィキメディアを発見した人もいます。

Zabe さんは当初、主にパンデミック関連の記事を編集していました。そしてすぐにウィキメディアの技術面に魅力を感じ始め、規模は編集者コミュニティと比べると小さいものの、技術面はZabe さんにとって、プロジェクトを成長させ学びの環境をよりよく育てているものとなります。より包摂的な空間作り、新規にきた人が参加しやすいかどうかの重要性を強調し、また編集初学者の皆さんには運動の複雑さや貢献の難しさにめげずに活動を始めるように勧めています。Zabe さんはウィキメディアがムーブメントとして取り組むべき顕著な課題として、特に技術プロジェクトにおいて、新たな貢献者を引きつけて定着できるようにする必要性を考えてきました。コミュニティの参加者には、シンプルですが奥深いアドバイスがあるそうです。

「常に自分の価値観に従ってください」。

今年のウィキメディア・ハッカソンではついに、これまで長い間、技術分野で協力を重ねてきたバーチャルな知人たちと直接、つながることができたZabe さん。ウィキメディアへの貢献以外にも、政治活動や環境活動にも熱心に取り組んでいます。

奨励賞

アントン・プロチュクさん(Anton Protsiuk)をご紹介しましょう。ウィキメディア・ウクライナ協会のプログラム・コーディネーターで編集歴も長く、公開された知識に注ぐ情熱と社会奉仕への献身は世界の仲間から称賛され、ウィキメディア・ムーブメントにインスピレーションを与える人物です。奨励賞部門ではネサ・フセインさん、カルメン・アルカサルさん、ジェス・ウェイドさんなど、すでにムーブメントの外部で認められたウィキメディアンの皆さんや、提携団体の職員で職務を越える貢献をしたアンナ・トーレスさんなども忘れるべきではありません。提携団体職員として発揮した並外れた貢献に対し、今年はアントンさんをお祝いしたいと考えます。

アントンさんにとってウィキメディアという旅は、ウィキペディアで自分の出身校の記事を改善した2011年に始まりました。それ以来、さまざまな立場でローカルおよびグローバルに捧げた貢献は多大であり、ウクライナ語版ウィキペディアではボランティア編集者であり管理者でありビューロクラットという立場にあり、新しく立項した記事は300超ですし、プロジェクトの重要なメンテナンス作業を担当してきました。ウィキメディア・ウクライナ協会のマネージャーという役割では組織のプログラムを指揮し、コンテストやキャンペーン、メディア活動や編集者の評価、新規参加者を増やす活動などに目を配っています。

アントンさんにとってウィキメディアの旅の転換点になったのは、モントリオールで開かれたウィキマニア2017だと考えています。あの場所でウィキメディア・ムーブメントの巨大さと多様性に目覚め、組織であり国際的な活動であるウィキメディアにさらに深く関与するきっかけは、あのイベントでした。2018 年からウィキメディア・ウクライナ協会の職員になり、2021年以降は複数のプログラムでリーダーを務めています。ロシア政府のウクライナ侵攻という事情を背負うアントンさんは提携団体のプログラム類調整をやめなかったし、実際に戦争中のボランティアの話を聞き、その人たちの物語を語るうち、もっと勇気を得てコミュニティを支援するパワーになりました。

ウクライナ語版のコミュニティでは、コンテンツ・キャンペーンがとても人気で、これを継続的に盛り上げて拡大を保証するのが提携団体です。「ウィキは記念物が好き」(Wiki Loves Monuments)というプロジェクトはその最大規模の活動に数えられ、これからも強力に進んでいきます。国際的な写真投稿大会の「ウィキは地球が好き」(Wiki Loves Earth)は、10年近くもこの提携団体が主催し、世界規模の参加は記録を更新し続けています。(ウクライナ語コミュニティとしては戦禍の2022年は中止、2023年は投稿範囲を侵略前の写真に限定しましたが。)アントンさんは脚注を増やす「#1Lib1Ref」プロジェクト にも参加してローカルに広げてきました。「ウクライナ文化外交月間」には60言語版のウィキペディアに掲載されたウクライナの掲載記事を改善しています。キャンペーンを動かしてウィキペディアにあるジェンダー格差を埋めました。これら全てを進めながら、アントンさんは1月30日のウクライナ版ウィキペディアの誕生日には仲間やコミュニティの参加者とともにウィキ・マラソンで祝いました。

アントンさんのやる気の源は、公開された知識の力、ウクライナの言語と文化を保存して世界に広めること、そしてボランティア仲間同士、想像を絶する困難な状況下でも貢献の手を止めることはない信頼感です。私たちのウィキメディア・ムーブメントが実存できるかどうかという課題に直面している点を警戒しています。その脅威とは情報戦や生成型AI、さまざまな政府が技術系の大手を規制しようと試み、その害は私たちの生存に深刻な脅威となっていく点です。それでも、例えば知識を動画や音声で消費したいニーズにもっと適応すると、ウィキメディアのプロジェクト、特にウィキペディアを意図的に操作してプロパガンダに利用しようとする工作に立ち向えるのではないか、それが運動の進む道ではないかとお奨めするアントンさん。

「ウィキペディアに投稿していると話すと、百科事典にふさわしい記事を書いているのかなとよく思われがちで、それも活動の重要な部分ではあるけれども、貢献はそれだけではないのです。ウィキペディアには弁護士や広報専門家、イベント主催者やガバナンス専門家、ソフトウェア開発者やSNS(ソーシャルメディア)のコンテンツクリエイターなど – あらゆる人々が参加できる場所が用意されていますから」とアントンさんは語りました。

アントンさんの貢献は、特に最も悲惨な状況にあっても知識と支援インフラを保つとは地域の健全さと回復力の中心となる、それが自分たちの取り組みであったと私たち一人ひとりがインスピレーションを授かり、改めて思い返すことができたことをを称えたいと考えます。ボランティアとしてご本人が最も誇りに思う功績の1つは、ウクライナ語版ウィキペディアでスタブ記事から育てた「アメリカ合衆国大統領の一覧」です。アントンさんが好きなものはウクライナの映画や音楽、建築やネット文化であり、好きなポッドキャストを聴きながら自然の中を散策する歩くことだそうです。

謝辞

この度は活気に満ちたウィキメディア・ムーブメントというタペストリーを支える素晴らしい人々をご紹介しましたが、皆さんにはお祝いしていただきありがとうございます。受賞者の皆さん、おめでとうございます。知識の世界には境界がないはずですから、それを隔てる障壁をこれからも克服していきましょう。一息ついて、今年の受賞者を祝います。ウィキメディアというモザイクは今日も形を成し続けています。それはひとえに、これらの稀に見る人々が私心なく自分の力や時間を差し出しておられるおかげではないでしょうか。