調査手法の一事例:些細な誤謬を訂正する

言うまでもないことですが、ウィキペディアには往々にして誤った記述が出てきます。それは別にウィキペディアに限った話ではありません。他のコンテンツと異なるのは、ウィキペディアのそれを発見した人はただちに記述に手を加え、訂正することができる点です。

この記事では、ウィキペディア日本語版のある記事に実際に存在した些細な誤謬を、私が発見し、訂正するまでのプロセスを述べてみることにします。このような何気ない作業の記録は逆に残りにくいものだと思うので、あえてやってみる気になりました。

誤りの発見

該当記事は作家・[[直木三十五]]です。最初に断っておくと、私は直木にとくに思い入れはなく、関連知識も皆無です。それでも直木三十五賞といえば日本大衆文学でトップクラスの栄誉ですし、「直木賞の直木だよ!」といえば大抵の日本人は思い当たるところがあるはずです。

ところがある日、この記事を訪れると、肖像写真が載っていません。たいへん意外に思ったので、適当な写真をアップロードする作業を始めたのです。直木が鬼籍に入ったのは戦前ですから、生前に撮られた(日本を本国とする)写真はすべてパブリック・ドメインになっています。つい興がのって、コモンズに10点以上の写真を上げました。

その中に、私の気を引いた1枚の写真があります。角川の『現代国民文学全集』から引用した写真です。そこではくつろいだ姿の直木が、自宅の一室で碁盤に向かって座り、石を動かしている様子をとらえています。詰碁でもしているのかもしれません。そしてその奥では、額縁入りの書状のようなものが壁に立てかけられています。その右端に「直木三十五殿」、中央に「日本棋院」と読める文字列があるのです。

[[File:Sanjugo Naoki playing go, 1932.jpg]]『現代国民文学全集 第28巻』角川書店、1958年、巻頭より

それらの間に小さな文字で何か書いてあります。不鮮明ですが、部分的にはどうやら読めました。

「貴殿……初段……上達之心掛可為肝要者也仍而……如件」

この時点でだいたい察しはつきますが、とりあえず判読部分の文字列を、国立国会図書館デジタルコレクション(以下「デジコレ」)の個人向け送信サービスで全文検索しました。すると果たして、日本棋院から贈られる囲碁初段の免状の文面がヒットしたのです。

貴殿、棋道執心、修行無懈怠、手段漸進、依之、初段令免許畢、猶以勉励上達之心掛、可為肝要者也、依而免状如件。日本棋院(朱印)

有光次郎「免状」『昭和34年度 有段者名簿』日本棋院、1959年、13頁

これで、写真の奥に写っているのが初段の免状であるとわかりました。直木の囲碁好きを象徴する面白い写真ですから、ぜひウィキペディアの記事にも掲載しようと考え、しかるべき位置を検討すると、「直木と将棋・囲碁・麻雀」という節が格好の掲載場所だと判断しました。

ようやく本番なのですが、ここでこの節に奇妙な記述を見つけます。「日本棋院からは葬儀に合せて直木に初段の免状が贈られた」というのです。葬儀に合わせて贈られたとなると、生前の直木と免状が一緒に写るはずがありません。

そこでこの記述の誤りをただすべく、直木が実際に初段の免状を授かった時期を調べることにしたのです。

調査:デジコレ編

正直な話、私はこういう調査の大部分をデジコレに依存しています。

最初は安直に、全文検索機能でキーワード欄に「直木三十五 初段」とか「直木三十五 免状」のように入力して調べました。しかしこうすると、検索結果が千を超えてきて多すぎます。そこで詳細検索メニューを開き、キーワードに「直木三十五」、タイトルに「碁」と入れてみたのです。こうするとむしろ、囲碁を主題とした書籍における直木への言及を見つけることができます。果たして検索結果は(館内限定資料を含め)47件。うまくいきました。

戦前、といっても昭和十二、三年ごろの話だが、直木三十五、甲賀三郎の二人だけが、初段であった。

野上彰「安永一対文壇1人一局 江崎誠致氏、善戦敢闘す」『囲碁春秋』18巻6号、1964年6月、8頁

それは昭和十一年のことだが、(中略)当時は現今のように碁も将棋も知名人なら見境いなく相当な段位を与える時代とは異なり、直木三十五氏が日本棋院から初段を許され、文壇ただ一人の囲碁初段というので威張っていたころで……

倉島竹二郎「近代将棋の父 関根金次郎物語 13」『近代将棋』25巻1号、1974年1月、63-64頁

これらは、さも直木が生前に初段だったように書いてはいますが、決め手に欠ける言及です。というのも直木がこの世を去ったのは昭和9年(1934年)なのです。

作家の直木三十五は碁の初段の免状をガクブチに入れてかかげていたが、それを知らない人が『碁はどのくらいお打ちで・・・・』というと、黙ってガクブチの方へアゴをシャくってみせたという。

藤沢秀行『碁に強くなる』報知レジャー新書、1963年、48頁

イヤミなエピソードが出てきました。免状を額縁に入れていたというのは、件の画像とも噛み合います。しかし、やはり入品の時期まではわかりませんし、どうやら又聞きのようですね。

結局私は、先ほどの「直木三十五 初段」で検索をかけるという原始的勝負に戻ってみました。すると、「適合度順」で並べた17番目に有力な手がかりが見つかりました。

菊池寛と直木三十五、この文壇の二巨匠が、碁盤をかこんでゐる姿をよく見かける。——碁はおそらく直木三十五の唯一の道楽で、日本棋院の初段。将棋では文壇随一の菊池寛も、碁になると、直木三十五に、三目と四目を行つたり来たりしてゐる。反対に、将棋では、直木は菊池に飛車角おとしてもらつても怪しい。

笹本寅「直木三十五・人と生活」『文壇手帖』橘書店、1934年、122頁(初出:『現代』同年1月号)

直木生前の言及です。これでようやく、生前に初段になったという事実の裏付けはとれたものと思います。

あと一息で時期まで分かりそうなものですが、デジコレでの成果はここまで。

調査:新聞編

さて、このような昔の些事を調べるならば、同時代の、かつ大きな情報量をもつメディアにあたるのが一番だと思います。そうとくれば、雑誌、そして新聞記事です。雑誌の渉猟にあたるならば、「雑誌の図書館」として知られる世田谷区の大宅壮一文庫が有用です。きっと成果が上がるでしょう。

だがその前に、私は大学や図書館が契約している新聞データベースを漁ることにしました。そもそも「日本棋院からは葬儀に合せて直木に初段の免状が贈られた」という記述には、「碁・将棋で文人たちのお通夜」なる東京朝日新聞の記事が出典として記されています(ただ、『昭和ニュース事典 第4巻』からの孫引きです)。この記事を「朝日新聞クロスサーチ」で探します。これがまた、そのままの記事名で探しても該当する記事がありません。そこで「直木三十五 通夜」と検索したところ、見つけたのは「文士らしい心やり 碁・将棋で直木氏のお通夜」という見出しでした。この記事は、直木の通夜において菊池寛や豊島与志雄、山本有三らが将棋や碁を打って追悼したことを報じ、次の文で締めくくっています。

祭壇の左手には、一昨年故人が日本棋院から授かつた初段の免状がかけてあつた

「文士らしい心やり 碁・将棋で直木氏のお通夜」『東京朝日新聞』1934年2月26日、朝刊、11面

これでやっと、直木が初段になった年がわかりました。この記事の一昨年といえば1932年です。

ただ、これだけだとちょっとまだ心許ないので、裏付けを得て補強したいところです。ひょっとすると1932年には、直木の入品を報じる記事が出ていないだろうか? 今度は「ヨミダス歴史館」で読売新聞のアーカイブを検索してみると、「直木三十五 初段」と入力するだけであっさり見つかりました。

貴殿棋道執心修行無懈怠手段漸進依之初段…後略
これは直木三十五氏が日本棋院から最近下付された免状の写しである。(中略)如何にも嬉しさうに、額を付けて文壇の棋客を招待する日を待つてゐる

「棋道初段を獲得した文壇の唯一人直木三十五氏」『読売新聞』1932年8月5日、朝刊、4面

そしてこの記事には、今回の調べ物の発端となった上記写真が掲載されているのです。写真の初出はこの読売新聞の記事だったのですね。

余談ですが、この写真は川端康成が『文藝』2巻5号(1934年5月)に寄せた「直木三十五氏と棋」(37頁)というエッセイにも転載されています。これは後から見つけました。

こうして、ウィキペディアの記述は「1932年には日本棋院から初段の免状を受けている」に書き改めることができました。

むすび

遠回りな過程を雑然と書き連ねたので読みにくかったでしょうが、調べ物の経過を細大漏らさず記録したら、大抵こうなるかなと思います。ご容赦ください。

調べ物のコツを私が語るのは烏滸がましいですが、答えに近づくために必要なのは、結局「総当たり」かもしれません。まずデジコレ、それがダメなら新聞や雑誌、先にGoogle BooksやGoogle Scholarを試してみることもありますし、いっそウィキペディアの全文検索や、マニアックな話題ならば𝕏(Twitter)での研究者のつぶやきから思わぬ収穫を得ることさえあります。図書館の参考図書コーナーに足を運んで、関係のありそうな本を1つ1つ紐解くのも楽しいです。

そして最後には(最初でもいいのですが)、レファレンスサービスを担う図書館員さんに気軽に質問してみるべきでしょう。たとえ興味本位の疑問であろうと、そうした質問が図書館員の仕事の邪魔になるとは考えないでください。むしろ調べ物は彼らにとって最も大切な業務の一つです。

このようにして「総当たり」をするためにはそれなりの熱量が必要ですが、調べ物自体を楽しめば大丈夫です。答えに辿り着くためのツールや手法を、ああでもないこうでもないと考えている時間は、ちょっとした探偵気分になれますし、目的を達成した時の喜びはどんな娯楽にも代えがたく、身体にいいような気さえするので。