早稲田Wikipedianサークルが飯間浩明先生を招いた勉強会を開催(第3回)

2024年2月13日、早稲田Wikipedianサークルはオンラインにて国語辞典編纂者・飯間浩明先生をお招きしての勉強会を行った。飯間先生をお招きしての勉強会は、3回目となる。

国語辞典における図版

Lakka26は、国語辞典における図版についての発表を担当した。

国語辞典の図版というと、多くの人が白黒のイラストを思い浮かべるだろう。実際にほとんどの辞書が白黒イラストを収録しているが、中には図版を全く載せていない辞書やカラー写真が中心の辞書も存在する。特に小学生向けの辞書は写真とイラストが混在している場合が多く、どちらを選択するべきかの判断が難しいのではないだろうか。

発表内では「あやめ」の項目において、写真を載せる『例解学習国語辞典 第十二版』(小学館,2023年12月4日)とイラストを載せる『例解小学国語辞典 第八版』(三省堂,2023年1月10日)を例に、写真とイラストそれぞれのメリットを説明した。写真はよりリアルな質感を伝えることに適しており、本物を見たときに認識しやすくなると考えられる。対するイラストは細かいところを再現することができ、よく似た「はなしょうぶ」「かきつばた」との違いがわかるように3つのイラストが並べて掲載されていた。別の例として、「ETC」を挙げた。これも『例解学習国語辞典 第十二版』に写真が掲載されているものである。「ETC」のような固定のイメージがあるものは、イラストではかえって伝わりにくいと考えられる。飯間先生はこのことに同意した上で、「あやめ」「はなしょうぶ」「かきつばた」のような僅かな違いは、イラストであるからこそ説明できると指摘した。イラストは注目してほしいところに焦点を当てて描くことができ、そのために他の情報を削ることもある。つまり、描き手の作意が大きく反映されるのである。写真は良い意味でも悪い意味でもそれができないため、どこに注目すればよいのか、受け取る側に伝わらない可能性があるという。

イラスト制作の工夫のひとつとして飯間先生は、実在する数種類のコンバインを組み合わせて描いた『三省堂国語辞典』の「コンバイン」を挙げられた。このような工夫は映像作品の小道具と近いものがあると感じた。例えば、ドラマ「レンアイ漫画家」で「旺省堂」という架空出版社の国語辞典が映ったことがある。三省堂の『新明解国語辞典』のような装丁の、旺文社の『旺文社国語辞典』のような厚みの、“ありそうでない国語辞典”である。国語辞典が好きな私はこのドラマを何度も再生し、どの国語辞典を組み合わせたものなのか予想して大いに盛り上がった。コンバインに詳しい人は、『三省堂国語辞典』の「コンバイン」を見て、似たような楽しみ方ができるかもしれない。

「『三省堂国語辞典』はどのような人にとって100点の辞書か」というEugene Ormandyの質問に対して飯間先生は、「辞書を使ってわからないことをわかるようにしたい人」と回答した。一方で「さらに高度なことを求める人」にとっては60点の辞書であるかもしれないとも述べられた。作り手と使い手の間に齟齬を生じさせないことが、これからも重要になってくるのではないだろうか。

ウィキペディアにおける図版

Uraniwaからは、「図版を自作するウィキペディアンたち」と題して、Lakka26の発表に関連する報告をおこなった。ウィキペディア日本語版で使用されている(写真以外の)図版について、それらがどのようにして制作・投稿され、活用されているかを紹介した。前提として、ウィキペディア日本語版で使用される図版のほとんどはウィキメディア・コモンズにアップロードされ、そこから呼び出されて使用されている。そして、ウィキペディアをはじめとするウィキメディア・プロジェクトの図版の特色として、3点を挙げて説明した。1.動く図版があること、2.一度投稿した図版に変更を加えることができること、3.言語間の翻訳によって図版を作成できること、である。

まず図版の形態としては静止画が一般的であるものの、デジタル百科事典であるウィキペディアには動く図版(主にGIFファイル)が掲載でき、実際に多くのGIFファイルが活用されている。ファイルの例として[[File:Konami Code 2023-08-11.gif]]や [[File:Moonwalk 2014-11-13.gif]] などを紹介し、またGIFファイルがふんだんに生かされている記事として[[ボルスタアンカー]]を共有した。静止画だけで描写するには限界のある動作を、いずれのファイルもうまく伝えている。

次に、ウィキメディアならびにその姉妹プロジェクトは、デジタルである上にフリーコンテントであるという利点をもっており、これも図版の管理に活かされている。ウィキメディア・コモンズに投稿されるファイルには、後から新しいバージョンを投稿して上書きすることが可能であり、これにより初版作成時の軽微なミスなどが修正できる。例に挙げた[[File:Live load example.png]]では、最初の版よりもやや字を大きく修正して見やすく改良した画像が、新しくアップロードされた。それぞれのファイルには履歴が残っており、過去のバージョンを閲覧したりダウンロードしたりすることも可能である。

最後に、言語間の翻訳によって図版が作成される例を取り上げた。たとえば、 [[File:Fussballfeld mit Erläuterungen.png]]は当初ドイツ語でサッカーフィールドの構成を解説した図としてアップロードされたが、これを日本語に翻訳した[[File:Football Field (ja).png]]も別の作者によって制作され、日本語を母語とする人々の役に立っている。逆に「水槽の中の脳」という思考実験の模式図である[[File:Brain in a vat (ja).png]]は、当初日本語で制作されたのち、同じ作者によって英語ほか12言語に翻訳されている。これらは、ウィキメディア・コモンズに投稿されたファイルがフリーコンテントであることを活かした事例である。

発表を受けて飯間先生からは、ウィキメディア・ムーブメントにおける図版の扱いに対する懸念点がいくつか指摘された。第一に、図版には正確性に疑問があっても示しにくいという点である。例えばウィキペディアの場合、出典が明記されておらず信頼性が担保できない文章には出典を求めるテンプレートを貼り付けて読者に注意を促すことができる一方で、記事中に挿入された図版に関してはこれに対応するようなテンプレートがない。また、特にGIFファイルなど動く図版については、ファイルに描写されたような動作をするということの検証可能性の確保が課題である。第二に、図版は文章に比べてなかなか変更がきかないという点である。図版に誤りが含まれていることが判明したとしても、正しい情報を反映した図版を再制作するのに要するコストや技術は、文章に比べて高くなるだろう。

Eugene Ormandyは、ウィキメディア・コモンズのアーカイブ性について言及した。たとえばある駅の様子を調べるとき、コモンズにアップロードされている写真を参照しようとすると、長い期間にわたるさまざまな写真を確認することができる。あくまで現況を知りたいとき、その中の古い写真を参照してしまって誤りを起こすリスクがあるが、その一方で、撮影の日付を正確に把握すれば、かつての駅の様相や現在との違いに気づくことができ、新たな発見を得ることがある、と述べた。ちなみにOrmandyはDiffに「ウィキメディア・コモンズにおける BIG BOX 高田馬場」を寄稿したことがあり、商業施設であるBIG BOX 高田馬場の建物外観の変遷を、コモンズに存在する画像をもとにたどることを試みている。

ウィキメディア・コモンズにおける BIG BOX 高田馬場

ウィキメディア・コモンズにアップロードされる図版の信頼性についての問題は重要に思われるが、取り沙汰された例は寡聞にして見たことがない。今後方針の整備と普及が必要になるのではないだろうか。現時点でできることは、各自がコモンズにアップロードする図版のファイルページに可能な限り原典や情報源を明記し、検証可能性を誠実に確保することであろう。

ウィキペディア記事の改名議論

Takenari Higuchi (以下、樋口)はウィキペディアにおける記事の改名の議論について発表を行った。

ウィキペディアにおける記事の改名は、誤字脱字の修正に対して行われる即時改名を除けば提案と合意形成が必要とされ、記事によっては非常に活発な議論が行われる。しかし、そのことはウィキペディアの外部ではあまり知られていないだろう。そこで、今回の発表では改名提案における議論をテーマに選び、改名提案で類型を提示した上でそれらに対応する4つの議論について取り上げた。

まず樋口は改名提案の類型として以下の4つを示した。なお、ここで挙げる類型はあくまで一部であり、全ての改名提案にこれらのどれかに当てはまるわけではない。また、ここで言う「専門的」や「一般的」は議論の中で便宜上用いられているものであり、特定の呼称が「専門的」、「一般的」であるとするものではない。

  1. 「専門的」とされる呼称から「一般的」とされる呼称へ改名された例
  2. 「一般的」とされる呼称から「専門的」とされる呼称へ改名された例
  3. 「一般的」が変化して改名された例
  4. 提案自体がうやむやになり改名されなかった例

発表の中で樋口は最初に[[イスタンブール]]の改名提案について紹介した。これは2016年の改名提案によってトルコ語表記である「イスタンブル」から「イスタンブール」に変更された事例であり、「専門的」とされる呼称から「一般的」とされる呼称に変更された改名提案の一例と言える。その次に樋口は、逆に「一般的」とされる呼称から「専門的」とされる呼称に変更された例として[[国民社会主義ドイツ労働者党]]について紹介した。これは「国家社会主義ドイツ労働者党」から「国民社会主義ドイツ労働者党」に改名された事例で、白熱した議論が行われ改名まで9か月が要された提案である。この提案では議論による合意形成を成すことができず、最終的に投票によって改名が決まった。

同様に白熱した議論が行われた提案であり、「一般的」が変化して改名された例として樋口は[[ジョージア (国)]]を紹介した。これはかつてグルジアと呼ばれた中央アジアにある国家であるジョージアが対外的な国名を変更したことに始まる議論で、断続的に議論が行われ改名までおよそ2年が要された提案である。そして最後に、提案自体がうやむやになり改名されなかった例として樋口は[[カーブル]]を紹介した。「カーブル」を「カブール」に改名しようという提案で、2021年に始まり約半年議論されたが、議論はしだいに低調になりやがて停止し、提案が失効した。

樋口の発表を受け、飯間先生は外国語の音写が議題となっている事例が多いことを指摘し、外国語の音写の難しさについて樋口を含めた参加者と議論を行った。また、議論の白熱や改名まで時間がかかってしまうことに対して飯間先生は、少数の編集委員によって見出し語の変更が決定される国語辞典と対比するかたちで、合意形成や議論を尊重するウィキペディアならではの「民主主義のコスト」と指摘した。そして、こうした議論においては他者の意見に耳を傾け真摯な姿勢で議論に参加する利用者の存在が重要だと指摘した。外国語の音写にも記事名にも明確な正解がない中で、議論参加者に必要なのはまさに飯間先生が指摘するような真摯な議論姿勢だろう。自分の過去の言動を振り返るとともに、まず自分がそのような姿勢を持つ利用者でありたいと思う。