稲門ウィキペディアン会の Eugene Ormandy です。本稿では、滑川海彦さんの図書『ソーシャル・ウェブ入門 Google, mixi, ブログ…新しいWeb世界の歩き方』における、ウィキペディアに関連する記述を紹介します。
書誌情報
- 滑川海彦 著. ソーシャル・ウェブ入門 : Google,mixi,ブログ…新しいWeb世界の歩き方, 技術評論社, 2007.5. 978-4-7741-3081-1. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008512936
内容
第2章「とうとう世界が変わり始めた」の第2節「群衆の英知--知恵の民主主義が機能するのはゆるぎない現実」にて、ウィキペディアが取り上げられていました。
まず著者は、ウィキペディアが市民権を獲得してきたと述べます。本書の出版が2007年であることにご留意の上、下記引用をご覧ください。
Wikipediaは2006年8月、記事の合計が500万件に達したと発表した。訪問者も世界のWebサイトのアクセスランキング20位以内に入っている。
わが国(引用者註:日本のことと思われる)でも2006年に入ってユーザーが急激に増加している。ネットレイティングスの調査によると、2006年11月の利用者数は1,296万人で、前年同月(596万人)の2倍以上と、急成長を続けている。これはYahoo!がニュースにWikipediaの関連エントリへのリンクを貼っていることがかなり影響しているようだが、それにしても数年前にはほとんど誰もWikipediaを知らなかったことから考えるとたいへんな訪問者数ではある。
前掲書、46-47ページ。
続けて著者はウィキペディアの創立者ジミー・ウェールズを紹介し、ウィキペディアはジミー・ウェールズの作品であると指摘します。個人的には少々違和感を覚える記述ですが、まずは引用します。
Amazonがジェフ・ベゾスの作品である以上に、Wikipediaは創立者ジンボことジミー・ウェールズの作品である。ある意味でわが国の巨大掲示板2ちゃんねるが西村博之氏の個性を抜きに考えられないのと比較できるかもしれない。
ジミー・ウェールズは1966年アラバマ州生まれのビジネスマンで、ベンチャー企業の経営である程度の財産を作った後、2001年初頭にユーザー投稿で編集される無料オンライン百科事典をスタートさせた。現在Wikipediaを運営するNPO財団Wikimedia Foundation名誉理事長としてWikipediaの運営と普及に専念している。
ただし、Wikiというプラットフォーム自体はジミー・ウェールズの考案ではない。Wikiはハワイ語のウィキウィキ(速い)が語源で、Webサーバ上の文書をブラウザなどを利用してリモートで書き換え可能にする、ないしサービス全般を指している。ほとんどのWikiは誰でも自由に利用できるオープンソースのフリーウェアだ。
通常のウェブサイトの文書は基本的にサイトの運営者しか更新できない。Wikiプログラムをサーバに置くことでインターネット上のユーザーなら誰でもブラウザだけを利用して文書を更新できるようになる。
ジミー・ウェールズがユーザーの共同作業のプラットフォームとしてWikiを採用したことが成功につながった大きな要因といえる。
前掲書、47ページ。
その後著者は、ボランティアのウィキペディアンたちによる修正作業を紹介したのち、ウィキペディアの特異性を指摘します。
Wikipediaではこういったマイナーなトラブルは常に起きている。しかしマイナーなトラブルが絶えないことを理由にWikipedia自体を否定する声もあるが、これは明らかに極論だ。ブリタニカ百科事典であろうと朝日新聞であろうと、記述内容に百パーセントの正確性、中立性は期待しえない。単一の情報源を鵜呑みにすることを避けるべきなのはWikipediaに限らない。
いずれにせよ、ユーザー登録も資格審査もなく、誰もが書き込めるというシステムでいったい百科事典など作れるのか?Wikipediaというものが目の前にこうして現実に存在しなければ、誰が考えても答えはノーだろう。Wikipediaはジミー・ウェールズの夢想、ビジョンが起こした奇跡--それも決して小さくない--というしかない。
前掲書、49ページ。
感想
先述のとおり、「Amazonがジェフ・ベゾスの作品である以上に、Wikipediaは創立者ジンボことジミー・ウェールズの作品である。ある意味でわが国の巨大掲示板2ちゃんねるが西村博之氏の個性を抜きに考えられないのと比較できるかもしれない」という記述に個人的には少々違和感を覚えました。
たしかに、ジミー・ウェールズの個性を抜きにウィキペディアおよびウィキメディア・プロジェクトの歴史を記述することは不可能です。例えばシェイクスピア研究者で、ウィキペディアでは「利用者:さえぼー」として活動する北村紗衣さんも、ウィキメディア・コミュニティ内でジミー・ウェールズが持つ影響力について以下のように述べています。
オープンソース系プロジェクトなどでは、コミュニティ全体に影響力を持つ開発者を「慈悲深き終身独裁官」(Benevolent Dictator For Life)などと呼ぶ習慣があるのですが、ウェールズはウィキペディアにおける慈悲深き終身独裁官と見なされています(ウェールズ本人はこの呼び方を嫌がって「立憲君主」という呼び方を好んでいるようですが)。
別にウェールズがウィキペディアにおいてシステム上絶大な権力を持っているわけではないのですが、どのコミュニティでも一目置かれており、発言は重視されます。東日本大震災が発生したときには、編集の過熱ぶりに「東北地方太平洋沖地震」の記事がほぼ何もない状態で保護されてしまいましたが、ノートでウェールズが情報提供は必要なので半保護でいいのではないかとコメントしたところ、雰囲気が一気に変わって半保護になったということがありました。
北村紗衣「ウィキペディア~インターネット最後の最高で最低な(官僚制の)ユートピア【北村紗衣】」『ENGLISH JOURNAL』2023年11月1日。https://ej.alc.co.jp/entry/20231101-wikipedia-05(2024年6月10日アクセス)
また、今回取り上げた書籍が出版されて15年以上が経過した本稿執筆時点でもなお、ジミー・ウェールズはウィキメディア・コミュニティ内においてカリスマ的な存在感を放っています。実際、2023年にシンガポールで開催された国際会議「ウィキマニア2023」では、ジミーと記念撮影を行いたいウィキメディアンたちが長蛇の列をなしていました。
また、ウィキメディア・コミュニティ外におけるジミー・ウェールズのプレゼンスも高いように見受けられます。実際、ジミーは各国の要人たちとウィキペディアやインターネットの自由についての意見交換を行っていますし、イーロン・マスクとの論争は様々なメディアで報じられています。
市井の人々の間でも、ジミーはそれなりに知られているように思われます。個人的な経験で恐縮ですが、私はウィキメディアンではない友人たちから「ジミー・ウェールズって、ひたすらウィキペディアで寄付のお願いしてる人でしょ?」と言われたことが何度もあります。
このように、ジミー・ウェールズはウィキメディア・コミュニティ内外に影響力を有しており、ウィキペディアの創設者の1人として一定の知名度があります。しかし、今回取り上げた書籍における「Wikipediaは創立者ジンボことジミー・ウェールズの作品」という記述は、いちウィキペディアンとして違和感を覚えます。というのも、我々ウィキペディアンは、「ウィキペディアは誰かの所有物ではない」ということを意識しながら編集を行っているからです。以下、日本語版ウィキペディアのガイドライン「Wikipedia:記事の所有権」より引用します。
ウィキペディアの記事に所有者はいません。これらは全人類の共有財産であるのです。これは、ウィキペディアが採用しているクリエイティブ・コモンズ表示-継承ライセンス (CC BY-SA) とGNU Free Documentation License (GFDL) で保証されていることです。記事に所有者がいるという考えはよくある間違いの一つです。
日本語版ウィキペディア [[Wikipedia:記事の所有権]] 2024年1月19日 (金) 02:06 (UTC)
たしかに、このガイドラインはウィキペディアの「記事」を対象としたものであり、ウィキペディアというメディアそのものにどの程度適用できるかについては議論の余地があるでしょう。ただ、このガイドラインに沿って編集を行ういちウィキペディアンのひとりとしては、「Wikipediaは創立者ジンボことジミー・ウェールズの作品」という記述にはあまり共感しないということは記しておきます。
なお、私の感覚としては「素敵な公園 (Wikipedia) を設計したジミーさんは素晴らしい人だし、とても尊敬しているけど、『この公園はジミーさんの作品だ』と言うのは違うと思う。公園の維持・改善・管理はわれわれボランティアや市町村(ウィキメディア財団)が行っているからね。それに公園は『誰かのもの』ではなく『みんなのもの』だよね」といった感じです。あくまで一意見ということでご笑覧くださいませ。
また、個人的には、果たしてジミー・ウェールズがいなければ、ウィキというシステムに準拠した百科事典は生まれなかったのか?とも思います。実際、ウィキペディアの前身であるヌーぺディアにウィキを導入しようと提言したのはラリー・サンガーだとする説もありますし、ウィキペディアの歴史におけるジミー・ウェールズ個人が果たした役割を評価する際は、注意する必要があるでしょう。
まとめ
『ソーシャル・ウェブ入門 Google, mixi, ブログ…新しいWeb世界の歩き方』におけるウィキペディア関連記述を紹介しつつ、「ウィキペディアはジミー・ウェールズの作品」という主張を取り上げ、徒然なるままにコメントを行いました。
ウィキペディア記事、およびウィキメディア・プロジェクトそのものにおける「所有」の概念、そして作品観はきわめて複雑で、おそらく利用者ごとに考え方が相当異なります。今回示した考え方は、あくまで筆者 Eugene Ormandy の一意見に過ぎませんのでご留意ください。本稿がウィキペディア、ひいてはウィキメディアについての議論を深める契機となれば幸いです。
余談という名の言い訳
コモンズ(「ウィキメディア・コモンズ」ではなくいわゆる共有財としてのコモンズ)に関する議論を私がきちんと勉強していれば本稿はもっと深掘りできたと思うのですが、かなり時間がかかりそうだったので泣く泣くこの状態で公開しました。不完全燃焼ではありますが、少なくとも『ソーシャル・ウェブ入門 Google, mixi, ブログ…新しいWeb世界の歩き方』という図書におけるウィキペディア関連記述を、ウィキメディア・プロジェクト上に記録できただけでも意義はあるのでは……と自分に言い聞かせています。
ということで、「コモンズ」に関する議論や、ウィキメディア・プロジェクトにおける所有概念、そしてジミー・ウェールズの役割などについて知見のある方は、ぜひ Diff や利用者ページなどに本稿の補足・批判記事を書いていただけると幸いです。
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