イベントレポート2024 / №6 ウィキペディアタウン知夫里島・プレ

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島根県の隠岐諸島は、本土から遠く離れた4つの島・4つの自治体で構成された地域です。そのうち隠岐で最も小さな有人島の知夫里島にあるのが、人口約600人の知夫村です。20年後には人口300人程度になると言われるこの島を、記録のなかにであっても残していく、Wikipediaを通して広く発信していくために、知夫村でウィキペディアタウンを開催したい!と、『ウィキペディアでまちおこし』の読者から筆者が連絡をいただいたのは、2024年5月下旬のことでした。

それからわずか1週間たらずの間に10枚を超える企画書を書き上げ、村内をまとめあげ、2024年6月下旬にエディタソン運営スタッフ育成のためのプレ・イベント開催、7月中旬に村民向け事前学習会の開催、7月下旬にウィキペディアタウン開催と、前代未聞の勢いで突っ走る発起人の新人ウィキペディアン・user:KoheiUに、周辺諸島の人々も呼応しました。

隣の中ノ島の自治体・海士町や地域唯一の高等学校・隠岐島前高校でもウィキペディアタウンへの注目が高まり、当初5人程度の参加で計画された初回のプレ開催にも総勢18名が現地参加、オンラインでedit Tangoのウィキペディアン2名がサポートし、ほか3名のオンライン視聴参加も交えて大々的に開催されました。

edit Tango参加イベント2024 / №6 島根県隠岐 ウィキペディアタウン知夫里島・プレ 

隠岐諸島では、2018年に西ノ島でコミュニティ図書館の開設に向けたワークショップとしてウィキペディアタウンが開催されたことがあります。悪天候で飛行機が飛ばなかった6年前のこの時、予定されていた講師に代わって急遽エディタソンの講師を務めたウィキペディアンが、edit Tangoのメンバーのひとりであるuser:Asturio Cantabrioでした。

彼はその後、ウィキペディアンがいない隠岐諸島の様々な項目を次々とWikipedia日本語版に立項していきましたが、知夫里島は手付かずで残されていました。エディタソンに先立ち、Wikipediaの編集を勉強していたuser:KoheiUがWikimedia Commonsにアップロードし、6月24~26日にかけてWikipedia日本語版のメインページの「新しい画像」にピックアップされていた「海から見た知夫赤壁」の写真を見て、初めて知夫里島を知り、その雄大な自然に驚いたという人も少なくはなかったかもしれません。かくいう筆者も、その絶景に驚嘆したうちの一人です。

(メインページ「新しい画像」で紹介された知夫村の写真 / KoheiU, CC0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

プレ・イベントの開催日と決まった2024年6月29日は、ちょうど筆者が企画責任者となっているウィキペディア展覧会の母体「図書館総合展」の第1期オンライン開催の初日でもありました。知夫里村のウィキペディアタウンをオンラインでサポートするついでに、企画の趣旨説明やWikipedia講習部分を視聴できるオンライン・イベントにしてはどうかと提案すると、主催者も快諾。ウィキペディア展覧会コラボ・イベントとして、急遽図書館総合展メールマガジンでも広告配信していただき、関東地方の大学教員や九州地方の図書館員など、全国各地から視聴者が集まり、約1時間のガイダンス後に現地参加組がまちあるきに出かけた後も、オンラインではWikipediaについての相談やディスカッションが行われました。

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(天佐志比古命神社と知夫村郡地区 / KoheiU, CC0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

午後からのWikipedia編集は、既存項目「知夫村」の加筆修正に、現地参加者全員で取り組みます。計画段階では、まちあるきで出向いた神社などの小規模な項目を複数新規立項することも検討されていたのですが、Wikipedia初学者ばかりで挑む初めてのエディタソンでは、参加者のみなさんの筆力が想定できません。スタブ記事の乱立になってしまうリスクがある新規立項を避け、参加者全員で題材についてしっかりディスカッションしながらも、各自の興味のあることについて調べて書くことができる題材として、「知夫村」が選ばれたのでした。

知夫里島でのウィキペディアタウン開催が検討される以前、約5,000バイトしかなかったWikipedia日本語版の「知夫村」の項目は、もともとウィキペディアンではなかった初心者ばかりのエディタソンとしては稀なことに3万バイト以上も加筆され、その後もイベント参加者達により継続的な編集活動が行われています。約1ヵ月後の7月27日にも第2回目のウィキペディアタウン開催が予定されていますが、それまでにどこまで充実した項目に成長しているのか、新規参入者の活発な活動はWikipediaの明るい未来の象徴のようで、筆者は日々楽しみに閲覧しています。

しかし、気がかりも無いわけではありません。当日のWikipedia編集には14名の新規寄稿者の参加が予定されていましたが、うち3~4名は、Wi-Fi回線がWikipedia側からブロックされている帯域に入っていたためアカウントを作成することができないでいました。幸い、筆者はこのようなケースに備えてアカウント作成者の権限申請を行っていたため、代理でアカウントを作成して事無きを得ました。現在の日本語版コミュニティにこの権限を所持しているウィキペディアンは多くありませんが、近年、日本では携帯電話やフリーWi-Fiが普及した結果、荒らし対策によるWikipedia側からの広域ブロックの巻き添えで、ウィキメディア運動に参加したくともできない環境にいる人が増加傾向にあります。広域ブロックは短期的には荒らし対策として有効ですが、同時にWikipediaに貢献できる新規参入者も妨げてしまうため、安全に新規参入者を迎えられるなんらかの対策をあわせて講じていかない限りは歳月とともに編集者は減り続け、やがてWikipedia日本語版全体に深刻な影を落とすでしょう。

ウィキペディアタウンは、開催地域にとっては、影響力のあるWikipediaというコンテンツで情報発信をしたいと考える地域コミュニティのイベントです。同時に、Wikipediaにとっては、このコンテンツの将来のために必要な有為な編集活動を行える新規参入者を迎えるために、既存のウィキメディア・コミュニティが安心して門戸を開くことができる場として、日本各地で開催されることがより求められる時代になってきているように思います。

(知夫赤壁を訪れた人々 / KoheiU, CC0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

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