Eugene Ormandy のウィキマニア2024体験記(8月6日編)

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稲門ウィキペディアン会の Eugene Ormandy です。2024年8月7日から10日にかけて、ポーランドのカトヴィツェで開催された国際会議「ウィキマニア2024」に参加してきたので、その模様を報告します。

本稿では、カトヴィツェで過ごした8月6日の動向について記します。この日はまだウィキマニアはスタートしていませんが、博物館でのミートアップや市内のフォトウォークといった、様々なプレイベントが開催されていました。

Kasia Ostrowska (bazgra_nina), CC0

起床し黙祷

7:00ごろに起床。8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。被災者のことを思いながら、黙祷をしました。

朝食前に作業

その後はシャワーを浴びて、前日の行動をスマートフォンのメモにまとめておきました。ウィキメディア財団のブログ Diff にウィキマニアの体験記を寄稿するため、ちまちまと記録しておく必要があるのです。

朝食

8:00過ぎには、日本から参加された Narumi.SBT さんと一緒に朝食。ウィキマニア前からメッセージアプリのテレグラムでお話しはしていましたが、直接お会いするのはこれが初めてです。互いになんとか無事にポーランドまで辿り着けたことを祝いました。

朝食会場では、ウィキメディア・アルゼンチン職員の Angie Cervellera さんとも再会。久々に会えてとても嬉しかったです。Angie とは、シンガポールで開催されたウィキマニア2023で仲良くなったのですが、その後も交流は続いており、テレグラムで情報交換をしたり、 Angie が日本を訪問した際には私が東京を案内したりしていたのです。

Angie Cervellera さん。(Angie Cervellera (WMAR), CC BY-SA 4.0)

朝食後は、ホテルのロビーにて、ウィキマニア用の名札を受け取りました。ここでも様々なウィキメディアンと再会。マレーシアで開催された ESEAP Conference 2024 で出会った、東ティモール出身の BJ Sinaga さんや、シンガポールのウィキマニア2023で出会ったのち、日本トルコウィキメディア友好プロジェクトに参加してくれたトルコの Basak さんらと旧交をあたためました。また、カザフスタン出身のウィキメディアン Batyrbek さんとも仲良くなりました。

右から2番目がトルコ出身の Basak さん、4番目がカザフスタン出身の Batyrbek さん。(Eugene Ormandy, CC0)
ホテルで名札を受け取る参加者の様子。(Manfred Werner (WMAT), CC BY-SA 4.0)

一通りおしゃべりを終え、一旦部屋に戻ろうとしたところ「あなた、ユージン・オーマンディさんですよね?」と話しかけられました。声の主は、ウィキメディア・チェコの職員 Lucie Schubert さん。「Diff で私のこと紹介してくれてありがとう!」とお声がけいただきました。

たしかに Lucie さんのことは、日本語版 Diff(ウィキメディア財団によるコミュニティ・ブログ)に寄稿した「ウィキマニア2024のプログラムが公開されたので予定を立ててみた(8月7日編)」という記事で紹介しているのですが、わざわざ日本語の記事まで目を通してくれているのかと思うと本当に驚きましたし、とても嬉しかったです。Lucie さんいわく「日本語は読めないんだけど、私の写真が使われていたから、機械翻訳を使って読んだよ」とのこと。ありがたいですね。

なお、上記ブログ記事では、8月7日の Lucie さんの発表を聞きに行く予定だと記したのですが、記事公開後に割り当てられたボランティア業務と時間が重なってしまったため、結局行けなくなってしまいました。その旨も正直にお伝えしたところ「大丈夫!アーカイブ動画が公開されるからそちらを見てね〜」とのことでした。優しい。

中央が Lucie Schubert さん。(Eugene Ormandy, CC0)
Lucie さんが登壇したレクチャー “National Library of the Czech Republic & Wikimedia Czech Republic – pioneering the collaboration of open” の動画。1:53:36 ごろから。

カトヴィツェの街を歩く

ウィキマニアの正式日程は8月7日から10日ですが、6日にも各地で様々なプレ・イベントが行われることになっていました(スケジュールはウィキマニア特設ページの “2024:Tours and Side Events” より確認できます)。私は6日については特に予定を決めていなかったので、とりあえずシレジアン博物館で開催されているミートアップをいくつか覗いてみようと思い、支度をしてホテルを出発しました。ホテルから博物館へは1人で向かったので、道中で気ままな寄り道を楽しむことができました。カトヴィツェは本当に素敵な街で、景色も気候も大変素晴らしかったです。

カトヴィツェの街並み。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェの街並み。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェの街並み。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェの街並み。(Eugene Ormandy, CC0)

GLAMミートアップへ

シレジアン美術館へ到着。様々なミートアップが開催されている地下4階に向かう途中、ウィキメディア・台湾のスタッフで友人の Reke さん、Joyce さんと再会。お互いの近況について手短におしゃべりしつつ、会議室へ向かいました。

シレジアン博物館の様子。入口にウィキマニアの看板がある。(Manfred Werner (WMAT), CC BY-SA 4.0)
ウィキメディア台湾職員の Reke さん。2018年撮影。(B20180, CC BY-SA 4.0)
ウィキメディア台湾職員の Joyce さん。2022年撮影。(Joycewikiwiki, CC BY-SA 4.0)

GLAMミートアップ

台湾の2人と別れ、私はGLAMミートアップが開催されている部屋に行きました。するとここでも嬉しい再会がいくつも。まずは Wikimedia Aotearoa New Zealand のメンバー Siobhan Leachman さんとMike Dickison さんに再会。2人とはウィキマニア2023で知り合ったのですが、その後もSNS等で交流を続けていたので、またお会いできてよかったです。特に Siobhan は、2023年に一緒にウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーを受賞したという縁もあって、Diff の記事を共同で書いたりしています。

Siobhan Leachman さん(右)と。(Eugene Ormandy, CC0)
Mike Dickison さん。(Bauer Media, CC BY 4.0)

また、ウィキメディア・アルゼンチンの職員 Mauricio V. Genta さんや、東京都の武蔵大学でウィキペディアの翻訳クラスを担当しているさえぼーさん(北村紗衣さん)とも再会。なお、さえぼーさんは2024年春からアイルランドでサバティカルを取得しており、トリニティ・カレッジ・ダブリンでウィキメディアン・イン・レジデンスを務めています。直接お会いするのは、アイルランドへの壮行会以来、約半年ぶりです。

Mauricio V. Genta さん(右)。左側は前述の Angie Cervellera さん。2024年撮影。(ProtoplasmaKid, CC BY-SA 4.0)
さえぼーさん(北村紗衣さん)。2018年撮影。(Wikimedia Foundation, CC BY-SA 3.0)

GLAMのミートアップではまず、GLAMとウィキメディアの連携に関する5つのテーマが主催者から提示されました。その後、テーマごとにテーブルが設定され、参加者たちは興味のあるテーマのテーブルへ移動し、議論を開始しました。私は「コラボレーションとドキュメントの方法について」というテーブルへ。同じ卓には、前述の Siobhan やさえぼーさんもいました。

GLAMミートアップの看板。(Eugene Ormandy, CC0)

Siobhan の司会のもと、議論をスタート。まずはドキュメントの方法について、私が以下のような意見を述べました。

ウィキメディアイベントの記録は、メタウィキやウィキペディア名前空間上に作成されがちだが、並行して Diff(ウィキメディア財団が運営するコミュニティ・ブログ)にも作成すると良いと思う。というのも、メタウィキ上の特定のイベントページよりも、Diff の方が発見が容易だからだ。例えば『マレーシアのエディタソンについて知りたい』と思った際、メタウィキで単に『マレーシア』と検索するよりも、Diff で検索した方が目当てのページに辿り着ける可能性が高いように思われる。また、イベントのウィキデータを作成し、クエリ・サービスを活用した比較・分析ができるようにもした方がいいだろう。

すると「たしかに、Diff やウィキデータは効果的なドキュメントツールだが、ウィキメディアンではないGLAM関係者に、ウィキメディア・ムーブメントを紹介するメディアとしてはややマイナーすぎないか」という意見がありました。一瞬「いや、Diff はメタウィキの名前空間サブページよりマシでは……」とは思いましたが、すぐに「五十歩百歩だな」と思い直しました。今回の議題の大前提である「GLAMとウィキメディアとの連携」という視点を、自分は意識できていなかったなと反省。「ウィキメディア・ムーブメントのドキュメンテーションに関心のあるウィキメディアオタク」である自分以外の視点を考慮する必要性を痛感しました。なお、参加者からは他にも「Diff って毎日すごい量が更新されるから、ついていけないんだよね」「いわゆる伝統的な出版物がやはり効果的では」という声が上がりました。

その後、議論のトピックは「ドキュメンテーション」から「コラボレーション」へ移行。ウィキメディアン・イン・レジデンスとして活動している方や、GLAMと実際に協働している方からの様々な体験談が共有されました。私も一応、日本の様々なGLAMとエディタソンを共催しているので、自分の体験を話そうかなと思ったところで時間切れ。その後は、各テーブルごとに参加者が議論の内容を紹介しました。

GLAMミートアップで議論の内容を共有する参加者たち。(Eugene Ormandy, CC0)
GLAMミートアップで議論の内容を共有する参加者たち。マイクを持っているのが前述の Siobhan。左はさえぼーさん。(Eugene Ormandy, CC0)

ESEAP ミートアップ

発表が終わり、GLAMミートアップはいったん休憩。私はここで中座し、ESEAP のミートアップが行われている部屋に向かいました。ESEAP とは、東アジア、東南アジア、太平洋地域のウィキメディアンによるグループです。私も日本で活動するウィキメディアンとして、ESEAP のイベントにはたびたび参加しています。

部屋にいらっしゃったのは、初対面の方ばかりでしたが、なぜか実家のような安心感がありました。なお、このミートアップは、特定のテーマについて議論するという種類のものではなく、雑談会のようなものでした。韓国、台湾、シンガポール、インドネシア、フィリピンのウィキメディアンたちが、各々の活動や関心分野を共有し、おしゃべりを楽しみました。

一口にウィキメディアンといっても、ウィキペディアの記事を書く方、技術系の作業を行う方、ガバナンスの改善に取り組む方など様々であることを再認識しました。なお、個人的には、15年近く活躍しているベテランのウィキメディアンによる「ウィキメディア、ウィキマニアの雰囲気もだいぶ変わってきたね」といった昔話が特に興味深かったです。このようなオーラルヒストリーは、いつかきちんとまとめたいですね。

ESEAP のミートアップの様子。(Manfred Werner (WMAT), CC BY-SA 4.0)

その後は、ESEAP のウィキメディアンたちと一緒に、シレジアン博物館の共有スペースでビュッフェ形式のランチを堪能。ランチには、ウィキマニア2023を取り仕切った友人 Butch Bustria さんをはじめとする、ESEAP 地域の他のウィキメディアンも合流し、とりとめのないおしゃべりを楽しみました。なお、この手の国際会議で確実に盛り上がる共通の話題は「フライトの愚痴」ですので、今後参加される方のために参考までに記しておきます。

友人の Butch Bustria さん。ウィキマニア2023にて。(Mike Peel, CC BY-SA 4.0)

ロビーでおしゃべり

午後も各部屋でイベントが開催されていたのですが、私はロビーに残ってウィキメディアンたちとのおしゃべり・情報交換を楽しみました。いろいろな方とお話ししましたが、特にウィキメディア台湾の Reke, Joyce (朝に会った2人です)とはじっくり話し、コーヒーを飲みながら台湾のウィキメディア・ムーブメントについて教えてもらいました。

2024年に台湾で行われた編集イベント「アートプラスフェミニズム」の様子。(JM99, CC BY-SA 4.0)

いわく、台湾では定期的にミートアップが開かれており、ウィキメディアンやエンジニアなどが気軽に集っているとのこと。また、「日本ではウィキデータのイベントがそこまで盛んではないんだけど、台湾ではどう?」と Joyce に聞いたところ「結構行われているね。私も講師として大学で教えたことあるよ〜」とのことでした。ちなみに、Joyce が登壇したレクチャーは以下のとおりです。

なお、ロビーには多くのウィキメディアンが通りかかり、至るところで「久しぶり!」という挨拶が交わされていました。私も、ウィキマニア2023で仲良くなったアメリカ合衆国のウィキメディアン Fabian Garcia さんや Lane Rasberry さんと再会。とても嬉しかったです。2人はとてもおしゃれで、ウィキマニアのファッションショーにも参加しています。

Fabian Garcia さん(左)と Lane Rasberry さん(右)。2023年撮影。(Jaydixit, CC BY 4.0)

カトヴィツェ散策

トルコの友人で、2023年に一緒に日本トルコ友好プロジェクトを立ち上げた Caner から「15:00ごろにカトヴィツェに着くから、ホテルに集合してお茶行こうよ」とメッセージアプリで言われていたので、14:00すぎにシレジアン博物館を退館。カトヴィツェの風景を楽しみつつホテルに戻りました。

カトヴィツェの街並み。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェの街並み。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェの街並み。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェの街並み。(Eugene Ormandy, CC0)

帰路ではいくらか寄り道もしました。ショッピングモールや路上の本屋を楽しんだほか、街のユニークな標識や、広場に設置された Wiki Science Competition の看板、そしてゴミ箱(私はゴミ箱愛好家なのです)などを写真に収めました。

カトヴィツェのショピングモール。(Eugene Ormandy, CC0)
路上の本屋。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェの歩道に描かれた標識。自転車用のレーンと歩行者用レーンが交差している。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェ市内の広場に設置された Wiki Science Competition の看板。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェのゴミ箱。(Eugene Ormandy, CC0)
カトヴィツェのゴミ箱。(Eugene Ormandy, CC0)

なお、Caner の到着は想定以上に時間がかかったようで、そのおかげでホテルでしばらく休憩することができました。ウィキマニアはかなりエネルギーを消耗する長期戦なので、適度な休息が重要です。

Caner とのお茶会

15:00すぎ、ホテルのロビーでついに Caner と再会。メッセージアプリでのやりとりはしょっちゅう行なっていますが、実際に会うのはシンガポールで開催されたウィキマニア2023以来、約1年ぶり。とても嬉しかったです。

シンガポールで開催されたウィキマニア2023にて。中央が Caner。(Eugene Ormandy, CC BY-SA 4.0)

その後は、事前に約束していたプレゼント交換を実施。私からは、日本の文様についての書籍をプレゼントしました。Caner はデザイナーでもあるので、仕事に使えそうなものをという思いで選びました。Caner はイスタンブールのハンカチなどをくれました。

Caner と再会したロビーには、日本のウィキメディアン Wadakuramon さん(書籍『70歳のウィキペディアン』の著者である門倉百合子さん)もたまたま居合わせたので、一緒にお茶へ行くことに。ちなみに、Wadakuramon さんは日本トルコ友好プロジェクトにも参加してくれています。

日本トルコ友好プロジェクトのロゴ。(Kurmanbek, CC BY-SA 4.0)

お茶会では、近況報告をしつつ、互いの国のウィキメディアムーブメントを紹介しました。個人的に関心を抱いているトルコの学生ウィキメディア団体についても「活動は継続しており、メンバーのうちは何人かは今回のウィキマニアにも参加している」という話を聞いて安心しました。また、Caner から「日本との友好プロジェクトを立ち上げて本当によかった」と言ってもらえて嬉しかったです。

Caner(右), Wadakuramon さん(左)とのお茶。(Kurmanbek, CC BY-SA 4.0)

その後はホテルへ戻り、約束していた夕飯の時間まで30分ほど休憩しました。ダラダラ休息できる時間は貴重です!

日本語コミュニティのウィキメディアンで夕飯

その後は、日本および日本語コミュニティから参加したウィキメディアンたちと一緒に夕飯を食べました。参加したのは、Narumi.SBT さん、Wadakuramon さん、さえぼーさん(北村紗衣さん)、 VZP10224 さん、Takehikoさん、私の6人です。

カトヴィツェの街を歩きながらお店を探しました。(Eugene Ormandy, CC0)

夕飯では、カトヴィツェに到着するまでの苦労話や、ウィキデータの外部ツールについての話、さらには、VZP10224 さんや Wadakuramon さんが参加する Wikimedians of Japan User Group が今後行いたい活動の話などを行いました。色々な話ができて楽しかったです。

その後は、VZP10224 さんと二次会。日本におけるウィキペディアの歴史や、オープンソースコミュニティの動向についての話をしました。

Wikimedians of Japan User Group のロゴ。(Wikimedians of Japan User Group, CC BY-SA 4.0)

スクワットののち就寝

夕食を終えたのち、ホテルでゴロゴロ。その後、スクワット50回をこなしてシャワーを浴び、23:30ごろに就寝しました。

感想

日本および日本語のウィキメディア・コミュニティは、他国・他言語版との交流が非常に少なく、国際会議でも「なんで日本のウィキメディアンは全然参加してくれないのかな?」と聞かれるのが常です。このような状況は、あまり好ましくないと私は思っています。なぜなら、ウィキメディアに関する国や言語版を横断した意思決定がなされる際、日本や日本語版の事情が無視される(そもそも話題にすらのぼらない)リスクが高まるからです。

今回、日本に暮らす日本語話者の自分が、ウィキメディア財団から経費を全額負担されてウィキマニアに参加する以上、この状況を改善する手助けをした方がいいだろうなと思ったので、色々なウィキメディアンと積極的にコミュニケーションを図り、私が把握する限りの日本および日本語のウィキメディア・コミュニティに関する情報を共有しました。また、この日はウィキマニアが正式に始まる前の日程ということもあり、レクチャー等への参加よりもコミュニケーションを優先して動きました。

ウィキマニアを通して、私個人の友人関係が充実するのはもちろん嬉しいのですが、この関係が将来的には日本および日本語版のウィキメディア・コミュニティ、ひいてはグローバルなウィキメディア・コミュニティの発展に寄与するといいなとも思います。まあ、あまり気負いすぎずに動きます。

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