8月のウィキマニアの興奮もようやく収まってきた11月、私は次のようなウィキペディア記事を書きました。
まず11月はウィキペディアアジア月間だというで、最初はマレーシアとの友好会イベントで実業家クェック・レンチャンを英語版から訳出しました。マレーシアに関してはこれまでも人物記事を中心に記事を出してきましたが、やればやるほど奥深く展開していきます。次にアジア月間テーマの「韓国」で推奨された記事からノドゥル島を選び、訳出しました。韓国へは行ったことが無く、ソウルにあるこの人工島のことも全く知りませんでしたが、翻訳する中で島の歴史に深い影を落としている様々な事柄を知ることができました。
3番目には、イベントの見本記事で挙がっていたガルサン・チナグを訳出しました。彼はモンゴルの作家で、ドイツに留学したことからドイツ語で執筆しています。作品が一つだけ日本語に翻訳されていたので、その『草原情歌』を図書館から借りて読んでみました。それは作家の出身地であるモンゴル最西端の大自然を舞台に繰り広げられる、遊牧民男女の、親子の、そして動物と人間をめぐる壮大な叙事詩でした。モンゴルにも行ったことは無く、自分の日常からは全く想像のつかない世界を描く作者の筆致に圧倒されました。この小説のウィキペディア記事を作るには情報が足りなかったので、まずはウィキデータを作り、またモンゴル西部を流れるホブド川をドイツ語版ウィキペディアから訳出しておきました。なおアジア月間では作った記事の評価がでるので、それを参考に加筆していきたいと考えています。
中旬にはセルビアで活動する詩人、山崎佳代子の講演会に出かけたところ、第二次世界大戦中にクロアチアにあったヤセノヴァツ強制収容所がテーマのお話でした。ウィキペディアには記事があったものの出典がほとんど無かったので、関連情報を調べて記事に加筆しました。強制収容所は負の歴史ですが、きちんとした記述をウィキペディアに書いておくのは、特に紛争の絶えない今日では大きな意味があります。
作家の安部公房をテーマにしたWikipediaブンガクのエディタソンにも参加し、安部公房のウィキペディア記事に出てくるポーランドの芸術家タデウシュ・カントルの記事を訳出しました。彼はポーランドのクラクフで活躍していたのがわかりましたが、クラクフを8月に訪問した時は全く知らなかったのです。クラクフがいかに文化の中心地であるかが伝わってきました。また、安部公房の妻であった舞台美術家安部真知の記事も、イベント当日入手した雑誌記事などをもとに後日新規に作りました。
11月も行ったことの無い土地、会ったことの無い人について知り、ウィキペディアの執筆を通じて大きく世界を広げることができました。
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