ウィキペディアンの読書記録 #25 村井純「インターネットを誰がどのように運用するのか」

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稲門ウィキペディアン会の Eugene Ormandy です。本稿では、村井純のエッセイ「インターネットを誰がどのように運用するのか」を読んだ感想をまとめます。なお、ウィキペディアに関係する記述は村井のエッセイに一切登場しませんが、ウィキペディアンの胸を熱くする記述があったので、私見を交えつつ紹介します。

Uraniwa, CC0

書誌情報

  • 村井純「インターネットを誰がどのように運用するのか」『インターネットの基礎 情報革命を支えるインフラストラクチャー』角川学芸出版、2014年、185-222ページ。ISBN 978-4-04-653881-9
村井純。(Junsec, CC BY-SA 4.0)

内容

このエッセイは、以下の4章からなります。

  • 標準化--インターネットの技術仕様を決める
  • グローバル世界とローカル文化--日本語化と国際化
  • インターネットガバナンス
  • 地球環境としてのインターネットを支える

印象に残ったのは、第2章「グローバル世界とローカル文化--日本語化と国際化」です。以下、第2章冒頭の記述を引用します。

インターネットのもたらすグローバル空間の影響で、ローカル文化が衰退するという議論があった。しかし私は、インターネットによって個別の文化はより尊重されるようになるべきと考えていたし、実際にそうなると思っていた。アイルランド国営放送がこのテーマの討論番組を企画したとき、私は出演者として招かれたので、アイリッシュ文化は活性化されるという持論を話した。その後、インターネット上にできたグローバル文化が流通するようになったが、アイリッシュ音楽やダンスはむしろ世界の中で存在感を広げていった。グローバルな空間ができたからといって、ローカル文化がなくなるということはない。このことは、言語についても同様だ。

(略)

1980年代に日米のネットワークが接続され、電子メールのやりとりが始まると、ネットワークの規格として各国の言語を扱えるようにする必要が生じてきた。だが、元の標準規格は当然ながら、英文字の利用に限定されている。このような状況があって、日本の文字も利用可能にしようと提案していくことになるのだが、必要性を全く感じていなかった米国の技術者にとっては理解しがたく、たとえ理解されたとしても、実現に要する多大な労力は受け入れがたかったことだろう。

現在では、英語以外の言語を扱えるようにすることは、理解されないことはないが、標準化に各国言語に固有の決まりごとを反映させるように提案しても、ソフトウェアの実装が複雑になることから、開発ベンダーから抵抗されることがある。このような議論を進め、世界の標準コミュニティを説得していくのは、日本の技術者の大きな責任である。

上掲書、194-195ページ。
アイルランドのドゥーリンのパブで演奏するミュージシャンたち。(Gtapp, CC BY-SA 3.0)

感想

この記述を読んで、私はウィキメディアンとして感動しました。以下、3つの観点から語ってみます。

1 日本語の情報を拡充するウィキペディアンとして

私はボランティアとして、日本語版ウィキペディアを編集しています。モチベーションは様々ですが、その1つは「ウィキペディアの改善を通して、日本語で得られる情報を拡充すること」です。

例えば、私は「デジレ・デフォー」という指揮者の日本語ウィキペディア記事を大幅に加筆したことがあります。デフォーは日本および日本語ユーザーのクラシック音楽ファンの間ではあまり知名度が高くなく、日本語で書かれた資料もほぼありません。そこで、私はウェブ上の英語資料を活用して、デフォーの日本語ウィキペディア記事を加筆しました。これにより「日本語で得られるデフォーの情報」が拡充したといえます。しかも無料でアクセスできますし、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づく二次利用も自由に行えます。

これはまさに、村井が指摘していた、インターネットを活用した「ローカル文化」の振興の一例だと私は思います。おそらく日本語圏で活動したことがないと思われる指揮者の情報が、日本語で入手できるのですから。おまけに「フリー」な形で。

指揮者のデジレ・デフォー(左)。右はモントリオール市長。(Public Domain)

2 言語保存を行うウィキメディアンとして

2024年の日本ではあまり知られていない活動ですが、私はウィキメディア・プロジェクトを活用した言語保存活動をサポートしており、マレーシアの友人たちとオンラインで交流しながらウィクショナリーを編集したり、ウィキメディア・コモンズにアップロードされた当地の写真を紹介したりしています。詳細はブログ記事「ウィキメディア・プロジェクトを活用した言語保存活動を概観する」などをご覧いただければと思いますが、この活動もインターネットを活用した「ローカル文化」振興の一つといえるでしょう。「ウィキペディアが自分の言語で作成された唯一の百科事典なんだ」「自分たちの言語を他のコミュニティに知ってもらえるのは嬉しいよ」と語る世界各地のウィキメディアンたちを見ると、インターネットの多言語展開が実現されて本当によかったと思います。

マレーシアで活動する、中央ドゥスン語ユーザーのウィキメディアンたち。(Jjurieee, CC BY-SA 4.0)

3 日本語版ウィキペディアの読者として

何より、多くのボランティアたちが書いたウィキペディア記事を読むことで、私は世界各地の様々な知識に触れることができます。日本語版ウィキペディア「Wikipedia:メインページ新着投票所/新しい項目候補」をウォッチしていると、ドイツの地方都市から、ニューギニア島に生息するワニまで、様々なトピックに関する記事を読むことができます。

ウェブ上では英語しか使えない世界に生まれたとしても、私はウェブを利用するでしょう。ただし、そこで私が収集する情報は、クラシック音楽やプロレスといった自分の趣味にまつわるトピックに限られてくると思います。わざわざ辞書をひきながら、興味がない海外のワニについての解説記事を読むほどの知的好奇心を、恥ずかしながら私は持ち合わせていないので。自分の第一言語たる日本語が活用できるからこそ、興味関心からは少し離れている情報も摂取できるのです。もちろん、このようなセレンディピティを可能にするウィキペディアの仕組みも大きく寄与していますがね。

ニューギニアワニ。(Midori, CC BY 3.0)

まとめ

日本、そして世界のインターネット史にその名を残す村井純のエッセイ「インターネットを誰がどのように運用するのか」の感想を、主に日本語版ウィキペディアを編集するウィキメディアンの視点からまとめました。最後に、再びエッセイから引用します。

日本語の話は、オペレーティングシステムの構造としても、ソフトウェアの世界展開としてもおもしろかったのだろう。ベル研究所でデニス・リッチーケン・トンプソンを始めとするUNIXの研究チームにUNIXのかな漢字変換や漢字表示について講演をしたあと、1年後に研究所を再訪すると、デニス・リッチーがグラフィックディスプレイに漢字を出して見せてくれた。リッチーは日本語を読めなかったが、あまりにも面白かったので、1年間そればかりやっていたのだという。C言語charを8ビットにして本当に悪かったといってくれたが、彼がもういちどUNIXとC言語をつくったら必ず違うものになるはずだ。そして、論文の題材にはならない研究が自由にできるベル研究所の懐の深さに驚いた。

上掲書、200ページ。

言い訳

「あんた、ネットワークの話とワールド・ワイド・ウェブの話とウィキペディアの特徴をごちゃ混ぜにしてない?」と言われると返す言葉もないのですが、お気楽ブログ記事ということでご容赦いただければ幸いです。とりあえず、村井純のエッセイに関する情報と、それを読んだウィキメディアンの感想はDiff (ウィキメディア財団のブログ)上にアーカイブしておいた方がいいだろうという思いから、整理が上手くできていない状態に目をつぶってささっと書き上げました。

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