ウクライナの作家・ウィキペディアンであるヴォロディミル・ヴァクレンコ氏がロシア軍によって殺害される

今週(訳注: 2022年12月の第2週)の初め、ウィキメディア・ウクライナはウクライナの作家、活動家で長年ウィキペディアにボランティアとして貢献してきたヴォロディミル・ヴァクレンコ (Volodymyr Vakulenko)氏がロシアによるウクライナ侵攻の中、殺害されたことを確認しました。

ヴァクレンコ氏 2020年撮影

ヴァクレンコ氏 (英語版)は卓越したウクライナの作家、ジャーナリスト、通訳、詩人でした。13冊の本を出版し、複数の文学賞を受賞しました。氏はまた、数冊の文学作品集を編集して出版し、ウクライナにおいて数えきれないほどの文学・芸術イベントを組織してきました。

ヴァクレンコ氏はまた社会活動やボランティア活動に関わってきました。2014年にウクライナで起こった尊厳の革命に参加し、負傷したこともありました。ヴァクレンコ氏は2010年からウクライナ語版ウィキペディアにおいておよそ100の記事を執筆し、4000の編集を行いました。氏は特に、記事の主題として効果や切手に関心を持っていました。氏の貢献により、ウィキペディアの読者はペルシャのコインや、第二メキシコ共和国ウクライナの女性詩人などをはじめとするさまざまなトピックについて学ぶことができています。氏が作成した記事は15万回以上閲覧されました。

ロシア軍がウクライナ北部ハルキウにあるヴァクレンコ氏の村Kapytolivkaを占領した時、氏は村を去ることを拒否し、村にいる弱い立場の人々の世話に取り組みました。氏は3月上旬に幼い息子とともにロシア軍に誘拐されました。息子は解放され今は安全ですが、氏自身はウクライナ軍がハルキウを9月に開放した後も行方不明となっていました。

ヴァクレンコ氏の親族や友人達は氏が殺されたのではないかと危惧していましたが、他でもない11月28日月曜日、DNA鑑定によって氏の死亡が確認されました。

ヴァクレンコ氏は50歳で死去し、7歳の息子と両親が後に遺されました。

ヴァクレンコ氏の息子の面倒を見ている家族を経済的に支援したいとお考えの方は、info@wikimedia.org.uaまでご連絡下さい。

(この記事はVitaliiPetrushko WMUA氏によって2022年12月5日に書かれた英語版記事の翻訳です)