イントロダクション
2023年2月15日、早稲田Wikipedianサークルはオンラインにて国語辞典編纂者である飯間浩明先生をお招きしての勉強会を行った。Lakka26は司会進行と目的・テーマに関する説明を担当した。
本会の目的は「飯間先生から見たウィキペディア、ウィクショナリーとはどういう存在なのか」「ウィキペディアとは何なのか」という疑問について意見を伺うことであった。初めに、ウィキペディアやウィクショナリーはどういう存在かという疑問に簡単に答えてもらった。飯間先生によると、それらは競争相手である。国語辞典は無料でアクセスできるウィキペディアやウィクショナリーとの違いを追求しており、例えば「三省堂国語辞典を使うことで何の得があるのか」と尋ねられた時に答えられるようにしたいという。
[[Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか]] に見られるように、ウィキペディアは「~ではない」で表現されるのに対し、国語辞典の序文には辞書をどのように編纂し、どのように使ってほしいかということが細かく書かれている。飯間先生の編纂する『三省堂国語辞典』について話を伺うと、以前はもっと穏やかな書き方であったようだ。しかし最新版では「この辞書のこういった部分を見てほしい」ということを編集者と編纂者がしっかりと話し合い、序文で明確に示しているという。
国語辞典は少ない人数で編集されていることもあり、はっきりと編集方針が統一されている。しかし不特定多数によって編集されるウィキペディアやウィクショナリーではそういったことは難しく、そのため「~ではない」という形でしか表現できないのだと思う。今後ウィキペディアやウィクショナリーといったフリーの辞書と既存の辞書が敵対するのではなく、よりよい競争相手として互いに発展していくことを願っている。
ウィクショナリーの編集方針について
Uraniwaは、ウィクショナリー日本語版の編集方針([[Wiktionary:編集方針]])を飯間先生とともに総覧して意見を聞くという試みを担当した。
ウィクショナリーの編集方針ではまず「新語」にあたる語彙を定義したうえで、一部の例外を除いてそれを記載しないという方針を打ち出している。先生はこの規定について、定着していない新語の項目を排除する以前に、それらを興味本位で投稿するような参加者そのものを選別するために存在しているものであろうと指摘した。決まった編纂者が編む通常の辞典とは異なり、誰でも参加できるウィクショナリーでは、まず執筆・編集する人を暗黙のうちにある程度フィルタリングし、ルールを守れる人のみを受け入れるという段階が求められる。この観点はウィキペディアをはじめとして、ウィキメディア財団の運営するその他のプロジェクトにも広くあてはまるだろう。問題は、そのような参加者がふつう編集方針に目を通さないことである。
逆に「死語」(廃語)の規定を確認した際には、[[ナウい]] という項目を閲覧し、先生はそこに「廃」(廃語)という記載があることを問題視した。廃語とは単に古くさい語彙のことではなく、今や一般に用いようとしても相手に意味が通じないようなものを指すのであり、「ナウい」はまだ意味を知っている人が多くて通じやすいから廃語とは言えない、とのことだった。かわりに廃語と呼ぶにふさわしい例としては、現代では相手に意味の伝わりにくい「尖端的」(流行の先端を行く様子。昭和初期に普及)などの語が挙げられるという。ウィクショナリーにおいて死語・廃語であることを明記するための基準は、見直しの余地があるかもしれない。
ほかに、人名関連の項目の充実度にムラがあることが指摘された。[[空海]] に関連してその諡号の [[弘法大師]] や俗名の [[佐伯真魚]] がそれぞれ立項されているのに対し、たとえば([[伝教大師]] や [[三津首広野]] の項目がないのみならず)[[最澄]] の項目がないという状態では疎密があり、平衡を保つべきだという意見が出た。
ウィクショナリーへの関心の量はウィキペディアに向けられるそれとは大きな差があり、編集者の人口や規模も少ないためか、細部にわたって未整理の問題が散在している印象がある。今回の勉強会でそれらの一端を明らかにできたと感じられたので、今後の編集活動に繋げていきたい。
ウィキペディアの定義文について
Takenari Higuchiは、定義が複数ある主題を扱った記事の定義文について飯間先生に意見を伺った。
ウィキペディアでは第一文において主題を定義することが求められている。しかし、時にはそれが困難な場合がある。例えば [[テロリズム]] は複数の定義があり、[[テロリズムの定義]] という記事すら存在する。このような記事を編集する場合、定義文はどのようにすればよいのだろうか。
Takenari Higuchiからは、日本語版であれば日本国政府による定義を用いるという案や、国語辞典での語釈を利用するという案が出た。一方で、Takenari Higuchiは、こうした方法はいずれも数多くある定義の中からひとつを選び取っているに過ぎず、中立的な観点上の問題が生じるとも指摘した。
飯間先生からは、国語辞典の語釈はその言葉の用例を基にして作られており、最大公約数を書くものであって百科事典とは異なるという指摘があったうえで、このように定義が複数ある主題で百科事典の記事を書くのであれば、[[テロリズム]] であればその概念の提唱者や提唱された年代、背景といったように、その主題の歴史を中心として書くという案が出た。
また、飯間先生からは [[恋愛]] といった哲学的な記事にも似たようなことを言うことが可能であり、こうした抽象的な概念を扱った記事についてはその概念の誕生や展開といった歴史を中心として書くのもよいのではないかという指摘があった。
今回議題にのぼった [[テロリズム]] を含め、定義が複数ある主題を扱った記事の中には全ての言語版にあるべき項目の一覧に挙げられているような重要な記事も数多くある。その一方で、ウィキペディア日本語版ではそうした記事の整備はいまひとつ進んでいない。その背景には、記事の顔である第一文を書くことが困難であるという点もあるのではないだろうか。この勉強会のレポートが、こうした定義が複数ある主題を扱った記事に携わろうとする方々の助けとなれば幸いである。
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