約100年前の火事のウィキペディア記事を編集する

本稿では、ウィキペディア記事 [[日暮里大火 (1925年)]] の大幅加筆を行なった筆者が、加筆のきっかけや、調査・執筆方法について解説します。あまり語られることがない「ウィキペディア編集の裏側」に関する資料として、どなたかのお役に立てば幸いです。

編集のきっかけ

[[日暮里大火 (1925年)]] という記事を編集するきっかけとなったのは、私がウィキメディア財団のブログ Diff で連載している「東京23区の公共図書館をウィキペディアの編集に活用する」というシリーズです。このシリーズでは、東京23区の公共図書館を訪問し、所蔵されている郷土資料を活用してウィキペディア記事を編集しています。

荒川区立日暮里図書館を訪問することになった際、日暮里に関するウィキペディア記事を探すために [[Category:日暮里]] に目を通したのですが、数ある記事のうち [[日暮里大火 (1925年)]] なら加筆できそうだと感じました。大きな災害についてであれば、記載している郷土資料があるだろうと予想したからです。

なお、[[Category:日暮里]] には他にも、学校、寺院、企業の記事が収録されているのですが、これらのトピックについては「ウィキペディアが求める『信頼できる情報源』が入手しにくそう」「適切に編集できるスキルが自分にはない」と考え、編集するのを避けました。

つまり、災害の歴史に興味があったから [[日暮里大火 (1925年)]] に着手した、というわけではないのです。一定の条件下で、自分のスキルを活用できるトピックを探し、消去法で選んだにすぎません。

(ただし、調べるうちに「災害についてもっと勉強しなくては」と思うようになりました。ウィキペディアは自分の世界を広げてくれますね)

具体的な編集方法

いよいよ調査・執筆を開始します。

まずは日暮里図書館を訪問し、資料を5つ集めました。具体的には以下のとおりです。

  • 荒川区福祉事業史編集委員会『荒川区郷土史年表』東京都荒川区、1962年。
  • 新修荒川区史 下』荒川区、1955年。
  • 東京都荒川区教育委員会 編『日暮里の民俗』東京都荒川区教育委員会、1997年。
  • 松平康夫『荒川区の歴史』名著出版、1979年。
  • 荒川区地域文化スポーツ部生涯学習課荒川ふるさと文化館 編『カメラがとらえたあの日あの場所 : Arakawa photo history : 令和4年度荒川ふるさと文化館企画展』荒川区教育委員会、2022年。全国書誌番号:23763194

この5つの資料を活用して、下書きを作成しました。ポイントは、既存の記事に直接加筆をしたのではなく、下書き空間を活用して、ゼロから下書きを作成した点です。

私はウィキペディア記事を大幅に加筆する場合「ゼロから下書きを作り、ある程度完成したら既存の記事と見比べて、足りない情報を補う」という方法を採用しています。経験上、その方が効率的だからです(他人の文章を補足修正するという気を遣う作業は最後にまわしたいのです)。なお、実際に作成した下書きは下記のとおりです。

5つの資料を使って作成した下書き。日本語版ウィキペディア [[利用者:Eugene Ormandy/sandbox ロルフ・シュルテ]] 2023年4月19日 (水) 15:08 (UTC) 版。

5つの資料を使って作成した下書き(以下「下書きA」とします)を完成させたのち、その時点での [[日暮里大火 (1925年)]] すなわち 2023年2月21日 (火) 12:06 (UTC) 版を確認しました。すると、下書きAに記載されていない情報が、いくつも記載されていました。

考えるべきは、これらの情報は何に基づいているかです。

2023年2月21日 (火) 12:06 (UTC) 版には脚注がないので、それぞれの文が何を参照しているのかはわかりません。しかし「参考文献」節にまとめて資料が記載されています。「出典を明記する」というガイドラインにあるように、本来このような書き方は推奨されていませんが、何もヒントがない状態よりは遥かにマシです。

加筆前の記事の参考文献欄。日本語版ウィキペディア [[日暮里大火 (1925年)]] 2023年2月21日 (火) 12:06 (UTC) 版

2番目に挙げられた『荒川の歴史』は、下書きAでも活用しています。そのため、確認するべきは、最初に挙げられている朝日新聞と、3番目に挙げられているウェブページです。

まずはウェブページを確認しました。NPO法人が管理するウェブ新聞だけあって、情報量は豊富です。「東京日暮里大正の大火(80年前)[追補]」のコーナーを確認したところ、出典として「大正ニュース事典編纂委員会編「大正ニュース事典第7巻・3月19日付東京日日、東京朝日、時事」ほか」と記されていました。これはラッキー。図書館に足を運び、該当する箇所をコピーしました。

次に朝日新聞ですが、こちらは朝日新聞クロスサーチを活用しました。私が在籍している放送大学電子ジャーナルサービスのおかげで、自宅からアクセスできました。最高。

また、せっかくなので、毎索ヨミダス歴史館中日新聞・東京新聞記事データベース産経電子版といった、他の新聞データベースも活用することにしました。なお、これらは東京都の公共図書館を訪問して使用しています。検索の際は、火事が発生した1925年に検索範囲を絞った上で「日暮里」と検索しました。単に「日暮里大火」と検索するよりも多くの記事がヒットするからです。ちょっとした工夫ですが、効果はてきめんです。

新聞データベースのおかげで、下書きはかなり充実しました。特に、火事を実際に体験した人々のコメントを多く取り上げることができました。また、既存の記事にあった情報は全て出典付きで網羅することができました。

なお、国立国会図書館デジタルコレクションやその他のデータベースを活用すればもっと深掘りできそうでしたが、もうそれなりの分量になっていたので、細かい修正をして標準空間(普通のウィキペディア記事がある空間)に投稿しました。どこで調査・執筆を切り上げるかは、ウィキペディアンの永遠の悩みの種ですね……。

投稿後は、他のウィキペディアンが様々な修正を行なってくれました。また、ありがたいことに、この記事は投票の結果、メインページ強化記事に選出されました。

まとめ

[[日暮里大火 (1925年)]] というウィキペディア記事を加筆したきっかけと、その編集方法についてまとめてみました。本稿が、執筆に悩むウィキペディアンや、ウィキペディアに興味のあるジャーナリスト・研究者の役に立てば幸いです。