One Month, Four Prides:ひとりで臨んだプライド月間エディタソン

毎年6月は、1969年6月に起こったストーンウォールの反乱をきっかけにして始まり、LGBTQ+の権利についての啓発活動が行われるプライド月間です。それを間近に控えた去る5月末、私は思い立ちました――ひとりでプライド月間エディタソンをやろうと。

このポストでは、なぜそのように思い立ったのか、どのようにして編集作業を行ったのか、そしてどのような記事が作成されたのか、一連の経緯を記録したいと思います。

名古屋レインボープライドで掲げられたレインボーフラッグ (Photo by Evelyn-rose, CC0)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nagoya-Rainbow-Pride-2023-12.jpg

エディタソンとは?

Wikipediaにおいてエディタソンとは、あるひとつのテーマやトピックに絞って記事の作成や編集を行うイベントです。女性の記事を作成するWikiGapや、アジア関連の記事を作成するアジア月間といった全世界規模で行われる大規模なものから、パンの記事スイーツの記事を作成する小規模なものまでさまざまなエディタソンが開催され、大いに盛り上がっています。

なぜひとりなのか?

しかし、エディタソンというのは複数人で行われるのが基本です。それでは、なぜ私はひとりでエディタソンを行うことにしたのでしょうか。話は2023年5月末にさかのぼります。

プライド月間を間近に控えていた当時、私はウィキペディアンとして何らかの形でプライド月間をお祝いしたいと考えていました。ウィキペディアンに出来る貢献は様々ありますが、そのなかで私が出来ると思ったのが、LGBTQ+にまつわる記事を作成することと、その輪を広げることです。そして、その輪を広げる方法のひとつがエディタソンです。

しかし、このポストのタイトルからも分かる通り、けっきょく複数人が参加するようなエディタソンは開催されませんでした。その理由は、いくつかの懸念点があったからです。一番大きな懸念は時間でした。エディタソンをやろうと思い立ったのが5月末。プライド月間である6月に入るまであと1週間もありませんでした。Wikipediaの記事は一朝一夕で完成するものではなく、イベント自体を周知してもらうにも告知が必要です。その時は、それらをするにはあまりに時間がないと考えていました。

もうひとつの懸念が私自身の経験不足でした。これまでエディタソンなどのイベントを主催した経験はなく、ただでさえ時間が無くて準備不足が目に見えている状態で、LGBTQ+という繊細なテーマを扱うエディタソンを運営できるだろうかという懸念があり、けっきょくアジア月間のようなかたちでのエディタソンを開催することを断念しました。

ひとりで行うエディタソンというのは少なくとも日本国内では聞いたことがなく、もしかしたらエディタソンの定義からも外れているかもしれませんが、仕方がないと割り切って、記事の作成に向けた下準備を開始しました。

下準備

LGBTQ+をテーマとした記事を作成するにあたって、いくつかの方針を決めました。まず、記事の作成ペースです。実生活に影響を出さず、なおかつある程度の品質の記事を作成するために週に1本のペースで4本の記事を作成することを目安としました。

次に決めたのが、どのような記事を作成するかです。ひとくちにLGBTQ+といっても、歴史から人物、文学など多くの主題があります。こうしたなかで私は、まず手を出さない主題を決めました。それは理論や概念にまつわる記事です。これらは非常に重要で、優先されるべきトピックですが、これらを扱った記事はたくさんの下調べを必要とするため、1週間に1本のペースを維持できる見込みが立たないということで手を出さないことを決めました。

作成する記事の目安については、ある程度の歴史があることを第一としました。ここ数年で始まったイベントや運動、設立された組織、活動を開始した人物だと二次資料が不足していることが多く、Wikipediaの記事に必要な特筆性を満たさない恐れがあるためです。

結果

6月に入り、いよいよプライド月間が始まり、同時に私の編集活動も始まりました。そして1ヶ月の期間の末、私が作成したのが以下の4本です。

ここからは、作成した4本の記事と、作成しようとしたものの断念した記事について振り返ります。

1本目:ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル

まず最初に作成したのが [[ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル]] です。これは韓国のソウルで行われているLGBTQ+イベントとプライドパレードです。この記事を選んだ理由は簡単。Twitterでこのイベントに言及しているツイートを見かけたからです。

Screenshot from [[:ja:ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル]]
画像1. [[ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル]] のスクリーンショット.
https://w.wiki/6n8U. (2023年6月25日参照)

この記事を作成することに決めた私はまず朝日新聞のデータベースである朝日新聞クロスサーチで「ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル」と検索しました。しかし、ひとつもヒットしません。そこで「韓国 AND LGBT」と検索すると70件以上ヒットし、その中から、このイベントについて言及した記事が2つ見つかりました。「ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル」でヒットしなかったのは、これらの記事が出た当時のイベントの名称が「コリア・クィア・カルチャー・フェスティバル」だったからです。そうしたことも新聞記事によって知ることが出来ました。

次に行うのはGoogle検索です。現在の名称はもちろんのこと、過去の名称でも検索をかけます。私は韓国語が分からないのですが、幸いなことに聯合ニュースやKBSなど多くの韓国の通信社や新聞社は日本語でも発信しているため、日本語でたくさんの情報を見つけることが出来ました。日本語では得られない情報も英語で検索することで補うことが出来ました。

記事の構成は、出来るなら日本語版にある記事を参考にしたかったのですが、日本語版にはプライドパレードに関する記事があまりなかったので、[[NYC Pride March]] や [[Pride in London]] など英語版にある記事を主に参考にしました。

こうして [[ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル]] が完成しました。この記事はWikipedia日本語版の「新しい記事」に選ばれました。

2本目:北京LGBTセンター

次に作成したのが [[北京LGBTセンター]]。かつて中国に存在したLGBTQ+の支援団体です。この記事を選んだ理由は、この団体が2023年の5月に中国政府のものと思われる圧力で閉鎖したというニュースを見かけており、それが記憶に残っていたからです。

画像2. [[北京LGBTセンター]] のスクリーンショット.
https://w.wiki/6naR. (2023年6月25日参照)

基本的な作業は [[ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル]] のときと変わりませんが、いくつか異なる点がありました。まず、閉鎖というニュースがあまりに直近だったため、Google検索の結果がそのニュースで埋め尽くされていたという点です。これによって、閉鎖以前の同センターの様子を調べるのにかなり時間を要しました。もう一つの点は、同センターがいくつかの学術的な媒体で取り上げられていたという点です。ウィキペディア図書館で同センターについて調べるといくつか論文がヒットしたので、それを用いることが出来ました。

記事の構成については [[ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル]] と異なり、他の記事は特に参考にせず、集まった情報を整理するかたちで決めました。

3本目:名古屋レインボープライド

3つ目に作成したのが [[名古屋レインボープライド]] です。日本の名古屋で開催されているプライドイベントです。この記事を選んだ理由はこれまた簡単で、私が名古屋に住んでいるからです。

画像3. [[名古屋レインボープライド]] のスクリーンショット.
https://w.wiki/6sPa. (2023年6月25日参照)

1本目や2本目のときと異なっていたのは、他言語版が無いため情報はすべて自分で探さなければならないという点です。しかし、日本の主題であるためこれまでと比べると日本語資料は豊富にあります。まずはいつもの通り朝日新聞クロスサーチで検索し、次に中日新聞・東京新聞記事データベースで検索しました。私は名古屋に住んでいるので、近所の市立図書館などを経由して中日新聞社のデータベースにも気軽にアクセスすることができます。このように、自分が住んでいる地域の記事を書くときの強みは情報へのアクセスのしやすさという点に現れます。

記事の構成はおおむね [[ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル]] を踏襲しました。作成後には、実際に現地で参加した方がたくさんの写真を追加してくださり、記事がより良いものになりました。

4本目:青森レインボーパレード

4つ目に作成したのが [[青森レインボーパレード]] です。これは日本の青森で開催されているプライドパレードです。この記事を選んだ理由は、Twitterでこのパレードについて言及したニュース記事を見かけたためです。また、 [[ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル]] と [[名古屋レインボープライド]] によってプライドパレードの記事の書き方を把握できたため手を出しやすかったという点もあります。

画像4. [[青森レインボーパレード]] のスクリーンショット.
https://w.wiki/6shY. (2023年6月25日参照)

記事の構成は [[名古屋レインボープライド]] とほぼ同じです。似たトピックの記事を編集すると、このように記事の構成を再利用することが出来ます。この記事はWikipedia日本語版の「新しい記事」に選ばれました。

作成を断念した記事

以上では作成された記事について振り返りましたが、実は様々な理由が合って作成されなかった記事もあります。ここからはそのような作成されなかった記事について振り返ります。

まず私はボストン・マリッジ (Boston marriage) という記事を作成しようとしました。これは19世紀から20世紀のアメリカ合衆国の東海岸において行われていた未婚の女性同士の同居を指す言葉です。ボストン市アメリカ合衆国国立公園局のウェブサイトでこれについてしっかりと解説した記事がありましたが、この主題の背景にある当時のアメリカ合衆国の社会や文化の歴史についての知識と理解が足りていないと考えたため作成を断念しました。

このほかに断念した記事がテルアビブ・プライド (Tel Aviv Pride)です。これはイスラエルのテルアビブで開催されているプライドパレードで、手元に資料があったので作成できるかと思いましたが、このテルアビブ・プライドが1979年から行われている非常に歴史が長いものである一方で、記事において重要な点である始まったきっかけや展開について触れている資料がなかなか見つからなかったため断念しました。

また、断念したわけではないですが、残念ながらプライド月間内に作成が間に合わなかった記事もいくつかあります。しかし、集めた資料は腐るわけではないので気長に編集作業を進めたいと思います。

まとめと課題

このポストでは私がひとりでエディタソンを行うことになった経緯から結果までを記録しました。最初に定めた目安である4本の記事の作成は達成され、ある程度の成果は残せたのではないかと思っています。しかし課題も残ります。それは当初の目標であった「輪を広げる」が叶わなかった点です。時間がなかったとはいえ、Twitterで簡単な告知を行うなど出来たことはあったのではないかと思います。来年以降は複数人が参加するかたちでのエディタソンを開催したいと考えています。この記事が、LGBTQ+にまつわる記事を作成したいと考えているウィキペディアンや、ウィキペディアに興味がある方々のお役に立てば幸いです。