本稿では、馴染みのない分野についてのウィキペディア記事を編集する際、ウィキペディア編集者はどのように調査・執筆を行うかについて述べる。具体的には、マレーシアについての知識が全くなかった筆者が、マレーシアの山「タハン山」のウィキペディア記事を作成するまでの経緯と、その際の調査・執筆方法を紹介する。なお、本稿で紹介する方法論は、あくまで一例であることにご留意いただきたい。
執筆の経緯
2022年11月、東京外国語大学でウィキペディア編集イベントが開催されることになった。このイベントは、マレーシアに関するウィキペディア記事の拡充を目的としたもので、ルックイースト政策40周年とウィキペディア・アジア月間を記念して企画された。
筆者はこのイベントに、サポートスタッフとして参加することになった。そのため、マレーシアに関するウィキペディア記事を事前に準備しておくことにした。
前提知識を身につける
マレーシアに関する記事を作成することになったものの、具体的な案は全く思い浮かばなかった。そもそも筆者はマレーシアとほとんど縁がなく、マレーシアに関する知識も皆無に等しかったからである。そのため、まずはマレーシアのことを知る必要があると感じた。
その際に思い浮かんだのは、読書猿『独学大全』295ページの「百科事典は調べものの最初に引いておくべき第一のレファレンスツールなのである」という一文である。調べ物をするときは、まずは百科事典を参照する。この姿勢は「フリーのオンライン百科事典」であるウィキペディアを編集する筆者にとっても、大いに共感できるものである。

そこで、図書館の参考資料コーナーで複数の百科事典を取り寄せ、それぞれの「マレーシア」の項目に目を通した。参照した百科事典は『ブリタニカ国際大百科事典』『日本大百科全書』などである。なお、これらの他にも、日本の外務省のウェブサイトを閲覧した。
執筆項目の決定
マレーシアについての基本的な情報をインプットしたのち、いよいよ執筆項目を決める段階に。筆者は西マレーシアにある山「タハン山」について書くことにした。
タハン山に決定した理由は、「マレーシア」の項目でタハン山を取り上げている百科事典が複数あり、出典準備や執筆のハードルが低かったからである。百科事典に記されている基本的な情報をまとめれば、最低限のウィキペディア記事を作成することは可能だ。
なお、複数の百科事典を参照するうちに、百科事典における国家の項目の書き方には一定の型があることにも気がついた。具体的には、どの百科事典においても、少なくとも歴史、文化、自然についての章が設けられている。タハン山はもちろん「自然」の章で取り上げられていた。

実のところ、筆者は当初、マレーシアのクラシック音楽に関するウィキペディア記事を作成しようと思っていた。なぜなら、筆者はクラシック音楽の記事を何本か作成したことがあり、ノウハウを身につけていたため、基本的な情報さえ入手すればスムーズに記事を作成できると予想したからである。
ただし、実際は上手くいかなかった。なぜなら、百科事典の「マレーシア」の項目に、クラシック音楽に関する記述がほとんどなかったからである。また、『ニューグローヴ世界音楽大事典』の「マレーシア」の項目も参照したが、その内容はマレーシアの伝統音楽がメインで、いわゆる西洋の「クラシック音楽」の受容・発展については、ほとんど記述がなかった。そのため、マレーシアのクラシック音楽に関する記事の作成は断念した。
参考にするウィキペディア記事
タハン山についての記事を作成すると決めたものの、筆者は山についてのウィキペディア記事を編集したことはなかった。そのため、タハン山の記事を編集する場合、どのような構成にして、どのようなことを書けばよいか見当がつかなかった。
そこで、山についてのウィキペディア記事で、質の高いものを参考にすることにした。具体的には「良質な記事」に選出された記事の一覧から、「藻岩山」をピックアップし、その構成や書きぶりを参考にすることにした。
「藻岩山」の構成は、以下のとおりである(2022年11月19日(土)23:32 (UTC) 版)。
- 概要
- 地質と地形
- 歴史
- 自然
- 登山
- 藻岩山観光自動車道
- 旧藻岩ドリームランド
- 藻岩山の日
タハン山の記事も、これを踏襲すればよいだろうと判断した。ただし、藻岩山に比べてタハン山についての情報は少ないため、藻岩山の記事ほど多くの章は立てられないだろうとも予想した。
既存のウィキペディア記事を確認するのは、構成や書き方を真似するためだけではない。ウィキペディアにおけるテンプレートなどを真似するためでもある。例えば今回は、藻岩山の記事におけるインフォボックス「山」や、カテゴリ「山岳名目録」をタハン山の記事に活用した。
なお、英語版ウィキペディアに存在する “Mount Tahan” の記事を翻訳することも考えたが、出典が不十分であったため、ゼロから記事を書くことにした。
調査ツール
百科事典で基本的な情報を集めたのち、既存のウィキペディア記事を参照して、おおよその記事構成を決めた。そしていよいよ執筆にとりかかった。
まずは、百科事典の記述をもとに、非常に短い記事を完成させた。その時点の下書きは以下のとおりである。


少し修正をすれば、この状態で投稿しても問題はないと思われるが、せっかくなので細かい情報を追加することにした。活用するツールは、Internet Archive のプロジェクトのひとつ Open Library である。Open Library を使えば、様々な書籍を無料で読むことができる。また、全文検索も可能なので、調べ物にも大変役立つ。”Mount Tahan” で検索したところ、マレーシアのガイドブックなどがヒットしたので、それらの記述をウィキペディアの下書きにどんどん追加していった。また、Open Library の他にも、論文検索エンジンの Google Scholar や、ウィキペディア編集者が利用できるオンラインジャーナル集「ウィキペディア図書館」も活用した。
記事の完成と発展
無事に9000バイト程度の記事が完成したので、イベント当日に投稿した。投稿後は、早速ほかのウィキペディア利用者たちが細かい修正を行った。例えば、「ネペンデス」という誤記を「ネペンテス」と修正したり、「マレーシアの地理」というカテゴリを「マレーシアの山」に修正したりした。全く知らないネットユーザーが、自分の書いた記事をブラッシュアップしていく様子に、集合知の強さを感じた。
まとめ
本稿で提示した、馴染みのない分野についてのウィキペディア記事を作成する方法は以下のとおりである。
- まずは複数の百科事典で前提知識を身につける。
- その後、複数の百科事典に共通して記載されているトピックから、ウィキペディア記事にするものを選出する。
- 執筆項目が決まったら、その項目が属する分野のウィキペディア記事、特に「良質な記事」を確認して、構成や執筆するべき内容を予想する。
- 百科事典の記述をもとに最低限の記事を作成する。
- 各種資料を用いて加筆する。
ウィキペディア記事を作ってみたいものの、どのようにすればよいかわからないと悩んでいる方々にとって、本稿がガイドのひとつとなれば幸いである。なお、冒頭で述べたとおり、本稿で紹介したのはあくまで一例にすぎないことに注意していただきたい。