【対談】ウィキペディア編集者が考えていること

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2022年2月上旬、ウィキペディア編集者の Takenari Higuchi 逃亡者がオンライン対談を行なった。なお、対談の司会は筆者 Eugene Ormandy が務めた。

登場人物紹介

Takenari Higuchi

2018年より活動(主な活動は2020年から)。編集分野はイスラーム、歴史、ポップカルチャーなど。早稲田Wikipedianサークルメンバー。

逃亡者

2004年より活動。編集分野は人物伝、北海道の事物など。

Eugene Ormandy

2018年より活動。編集分野はクラシック音楽の指揮者、喫茶店など。稲門ウィキペディアン会メンバー。本稿執筆者および対談司会。

対談

Eugene Ormandy

本日はお集まりいただきありがとうございます。今回は5つのテーマについてお話しいただければと思います。なお、対談のテーマは、 Kinstone さん、Swanee さん、そして私 Eugene Ormandy で行なったものと同じです。

テーマ1. ウィキペディア編集を始めたきっかけ

Eugene Ormandy

まずは、おふたりがウィキペディア編集を始めたきっかけを教えてください。

Takenari Higuchi

初めて編集をしたのは2018年ですが、当時のことはほとんど覚えておらず、どのようなきっかけで編集をしようと思ったのかも覚えていません。

積極的に編集をするようになったのは、2020年の9月ごろからですね。とある図書館でイスラーム関連の書籍を目にして、これをウィキペディアに反映できたらいいなあと思い、編集をするようになりました。

逃亡者

私がウィキペディアを編集し始めたのは、2004年ですね。かなり前のことなので、私も記憶は曖昧です。ただし、ネットニュースを通してウィキペディアのことは知っていて、誰でも編集できるという点に興味を抱いたことは覚えています。「この項目・分野を編集したい」という思いは特になかったですね。

Eugene Ormandy

ちなみに、おふたりがウィキペディア編集を始めたころ、ウィキペディア編集者のお知り合いはいましたか。

Takenari Higuchi

いませんでした。私が参加した頃はもう既に、北村紗衣さんたちによるウィキペディアのアウトリーチ活動(エディタソン)が盛んに行われていましたが、私は全く知りませんでした。

逃亡者

私もいませんでした。

テーマ2. どのように編集スキルを身につけたか

Eugene Ormandy

つづいて、ウィキペディアの編集スキルをどのように身につけたか教えてください。

Takenari Higuchi

私が参加したときは既にウィキペディアがかなり充実していたので、良質な記事のソースを真似をすることでスキルを身につけました。いわゆる独学で、講習会なども受講していません。

HTML 等も全く知りませんでした。そのため、のちにプログラミングを学んだ際「プログラミングでもウィキペディアのコメントアウト機能を使うんだ!」と思いました(笑)

逃亡者

私も Takenari Higuchi さんと同じく、興味を持った記事のソースを確認して編集方法を覚えました。最初は簡単な誤字修正がメインでしたね。IT系の仕事をしているので、ソースを書くこと自体には慣れてました。

ただし、当初はウィキペディアの方針やガイドラインを理解していませんでした。そのため、他の編集者から指摘を受けたこともあります。また、わからないことがあったときは井戸端で質問をしました。

ウィキペディア編集イベントに参加するようになってからは、参加者のみなさんから色々と教わりました。

テーマ3. どんな記事を編集しているか

Eugene Ormandy

つづいては、おふたりが編集している記事についてお聞かせください。また、思い入れがある記事についてもお聞かせください。

Takenari Higuchi

私はイスラーム、西アジア史、ポップカルチャーに関する記事を編集しています。思い入れのある記事は [[中国回教協会]], [[カアバ]], [[少女☆歌劇 レヴュースタァライト (アニメ)]] ですね。

基本的には、ウィキペディアを始める以前から興味があったものについて編集しています。

逃亡者

私は人物、特に北海道出身の人物についての記事を編集しています。また、サブカルチャー関連の記事も編集しています。思い入れのある記事は [[山本幡男]], [[中川イセ]], [[矢ガモ]] ですね。

[[山本幡男]] の執筆記

Eugene Ormandy

逃亡者さんが執筆した人物記事は、私にとって「お手本」のひとつです。また、知人のウィキペディア編集者たちも皆、逃亡者さんの記事を絶賛しています。逃亡者さんは一体どのような経緯で、人物についての記事を書こうと思われたのでしょうか。

逃亡者

ウィキペディアを始めた当初は、テレビやマンガについての記事ばかり編集していました。人物記事を執筆するようになったきっかけは2つあります。2011年に起こった東日本大震災と父の死です。

震災があった時、私は関東の会社にいて、いわゆる「帰宅難民」となりました。この時に災害の恐ろしさを思い知り、災害対策について調べるようになったのですが、復興や防災活動に尽力される方々についても調べるようになり、そこで人間の力強さを思い知ったのです。

また、同時期に父親を亡くしたことで、地元の家族を大事にしようと決意し、定期的に帰省をするようになりました。帰省時は母親と一緒にNHKの「朝ドラ」を観るのですが、そこに登場する、戦時下の物資不足でも頑張る人々を目にして、同じく感銘を受けました。

このような経緯で様々な人物について調べるようになり、ウィキペディアにも人物記事を作成し始めたのです。

Eugene Ormandy

貴重なお話、ありがとうございます。

逃亡者

なお、私は人物記事以外にもサブカルチャー関連の記事を作成していますが、特に思い入れがあるのは [[矢ガモ]] です。

実はこの記事を編集していた頃は、スランプに陥っていました。ただ、ウィキペディア編集者が登壇された2016年の科学史学会を聴講して、自分も頑張らなくてはと奮起し、途中まで書いていた下書きを一気に仕上げて投稿した記憶があります。

[[矢ガモ]] の執筆記

このようなサブカルチャーネタは、偶然の産物である事が多いです。例えば、私は [[童貞を殺す服]] という記事を書いていますが、これはとあるキリスト教徒の女性について調べていた際、その修道服を「童貞服」と呼ぶことがあると知り、インターネットで検索したところ知ったものです。

[[童貞を殺す服]] の執筆記
[[スタッフが美味しくいただきました]] の執筆記

Takenari Higuchi

私からも質問させてください。逃亡者さんは記事のリード文について、下書きを完成させてから書き上げますか?それとも最初に書き上げてから中身を埋めていきますか?

逃亡者

あまり考えたことはありませんが、ケースバイケースですね。新聞や伝記などで良いリード文がある場合はそれを参考にしますが、何もない場合は自分で書かないといけないので、かなり悩みますね。

Takenari Higuchi

リード文の作成は難しいですよね。私は下書きを完成させてから、リード文を作成するタイプです。なお、私は逃亡者さんの記事のリード文をよく参考にしています。

テーマ4. ウィキペディア編集のモチベーションは何か

Eugene Ormandy

つづいては、ウィキペディア編集のモチベーションについてお聞かせください。

Takenari Higuchi

私は「多くの人に見てもらえること」ですね。ややマイナーなトピックでも見てもらえるので、やりがいがあります。また、自分が調べた面白いものを共有したいという思いもありますね。

自分が執筆した記事が翻訳され、良質な記事に選出されたときも嬉しいです。先日、翻訳してくれた方がノートページに連絡をしてくれました。

逃亡者

私は、自分が感銘を受けた人物について、文章で他人に伝えることができる点ですね。「人は2回死ぬ。1回目は実際に死去した時で、2回目は忘れられた時」という言葉があります。自分が書いた記事によって、偉人たちが人々の記憶に残っていくといいなと思っています。

また、ある人物についての「決定稿」を作成できる面白さも感じています。例えば、ある人物についての伝記Aは、業績を中心にまとめているが、同じ人物についての伝記Bは、人となりについて書いてあるという場合、ウィキペディアでそれらを上手くミックスしようと思っています。

他の方のモチベーションも聞いてみたいですね。

Eugene Ormandy

私、Swaneeさん、Kinstoneさんによる対談記事でも、同じテーマについて話し合っているので、そちらを紹介しますね。

Eugene Ormandy

私のモチベーションは間違いなく「インフラを作れること」ですね。自分の知識が人の役に立つことに、非常にやりがいを感じます。

[[デジレ・デフォー]] という指揮者の記事には、特に思い入れがありますね。英語資料を活用することで、デフォーについての(恐らく)最も詳しい日本語資料を作成できたからです。また、国立国会図書館サーチでヒットしない日本語資料を、参考文献として記載できたことも、誇れることの一つです。例えば国立国会図書館サーチで「デジレ・デフォー」と検索しても、デフォーのウィキペディア記事の参考文献欄にある『新世代の指揮者8人』や『アメリカのオーケストラ』という資料はヒットしません。これらの資料は、図書館の本棚にある本をひとつひとつチェックした結果、発見したものです。[[デジレ・デフォー]] というウィキペディア記事は、インフラとして価値の高いものになったのではないかなと自負しています。

また、自分の調査・執筆スキルが向上することもモチベーションの一つですね。ひたすらレポートを書いていた学生時代に「漫然と本を読むだけでは不十分で、アウトプットをしないと結局知識は身につかないし、スキルも上がらないな」と痛感したので、自分のためにもウィキペディア編集というアウトプットは続けたいですね。

Swanee

自分の記事が翻訳されたときは嬉しいですね。ありがたいことに、私が関わった記事は今まで英語、ロシア語、ウクライナ語、韓国語、ドイツ語などに翻訳されています。また、英語、韓国語、およびインドネシア語に翻訳された[[中川の箒スギ]]はインドネシア語版と韓国語版の「良質な記事」に選出され、特に嬉しかったです。

Kinstone

私のモチベーションは主に2つですね。

1つ目は「情報をまとめ直すことが好きだから」です。私も Eugene Ormandy さんと同じく、本を読むだけだとあまり頭に残らないなと思うタイプで、自分なりのレジュメを作りたくなるんですよね。2つ目は純粋に、バレエや舞台といった、自分が好きなものに関われるのが嬉しいからです。

逃亡者

1つのテーマについて色々な角度からまとめなおすのは私も好きですね。

テーマ5. 今後の展望

Eugene Ormandy

最後に、今後の展望についてお聞かせください。

Takenari Higuchi

自分の執筆の裾野を広げたいですね。今までは自分が興味のあるものばかり書いていたのですが、これからは、現在住んでいる名古屋についての記事や、地元の記事を積極的に書こうと思っています。また、日本語版ウィキペディアには、アフリカや南アメリカの記事が少ないと感じているので、そちらも充実させたいですね。

逃亡者

私は今後も人物伝、北海道の事物についての記事を編集しようと思っています。執筆分野を広げようという気はあまりありません。

というのも、新しいウィキペディア編集者が育っているなと感じるからです。良質な記事の選考や新着記事の選考で取り上げられた、質の高い記事の執筆者を確認すると、キャリア1年や2年の編集者だったというケースも最近は多々ありますしね。

得意なことは人それぞれですから、他の人ができることは他の人に任せて、私はこれからも、地元北海道の人物についての記事を作成できればと思います。また、偉人に限らず、悪人や面白い人の記事も作成したいですね。

また、他の人たちがいなければ自分はここまで来られなかっただろうと思います。記事を加筆してくれた方、画像を追加してくれた方、役に立つ本を教えてくれた方など、皆さんに感謝したいですね。

Eugene Ormandy

本日はありがとうございました。とても楽しかったです!

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