東京23区の公共図書館をウィキペディアの編集に活用するシリーズ第3弾。今回は荒川区立日暮里図書館を訪問しました。
執筆にあたって
図書館の意義が問われる時代です。出版不況が続き、オープンアクセス化が推進され、人工知能が台頭する現代において、図書館はどのような存在であるべきなのでしょうか。
それを探るためには、図書館の活用記録、すなわち「図書館のおかげでこんなことができた」という記録が、様々な観点から作成される必要があると私は考えています。未来像を描くためには過去を知る必要がありますし、過去を知るためには資料が必須だからです。
そのような思いで「東京都の公共図書館をウィキペディアの編集に活用する」シリーズを立ち上げました。このシリーズの目標は、ウィキペディアンによる図書館活用記録を1つでも多く作成することです。この目標を達成するために、私 Eugene Ormandy が東京都の様々な公共図書館を訪問し、所蔵資料を活用してウィキペディア記事の加筆修正を行い、その模様をウィキメディア財団のブログ Diff の記事としてまとめます。このシリーズが、図書館の意義や未来を探るための参考資料となれば、これほど嬉しいことはありません。
調査方針
図書館を訪問する前に、その土地に関するウィキペディア記事にいくつか目を通し、図書館資料を用いて加筆修正できそうな箇所の目星をつけます。また、図書館を訪問した際は、レファレンスカウンターで加筆修正したい箇所を示し、役立ちそうな資料を教えていただきます。
事前準備
今回は荒川区立日暮里図書を訪問することにしました。訪問にあたっては、事前に下記のウィキペディア記事に目を通しました。
- [[日暮里駅]] – 最寄駅。山手線の駅ということもあって、分量は多い。参照した版は 2020年1月4日 (土) 14:14 (UTC) 版。
- [[東日暮里]] – 日暮里図書館がある街。参照した版は 2022年8月23日 (火) 23:00 (UTC) 版。
- [[中村雨紅]] – 『夕焼小焼』の作詞者。日暮里町第三日暮里尋常小学校に勤務したことがある。参照した版は 2022年11月15日 (火) 11:01 (UTC) 版。
- [[日暮里大火 (1925年)]] 1925年に日暮里で発生した火事。出典が不十分。参照した版は 2023年2月21日 (火) 12:06 (UTC) 版。
今回のテーマは「ウィキペディア記事 [日暮里大火 (1925年)]] に、何が出典を追加すること」とします。
図書館訪問
日暮里駅で下車。JR山手線や日暮里・舎人ライナーが乗り入れている、大きな駅です。


10分ほど歩いて日暮里図書館へ。レンガ模様が印象的な図書館です。また、幼稚園と公園が隣接していることもあり、図書館の前は子どもたちで賑わっていました。
入口の前には、区議会の議事録や、介護・就労支援のチラシ、さらには高校生向けの留学制度を紹介するチラシなどが置かれていました。市民の役に立つ情報が目立つ場所にあるのはとても良いことだと思います。

まずは館内を散策。入口付近では、2023年3月に亡くなった作家、大江健三郎の特集が組まれていました。また、2階には、日暮里で育った作家である吉村昭のギャラリーが設けられていたほか、綺麗な勉強スペースも整備されており、学生が沢山いました。
ちなみに、私が愛してやまないプロレス本も充実していました。2021年に出版された『プロレス深夜特急 : プロレスラーは世界をめぐる旅芸人』といった最近の本や、『フミ・サイトーのアメリカン・プロレス講座 : 決定版WWEヒストリー1963-2001』といった海外のプロレスに関する本が置かれているのも好印象でした。
さて本題へ。レファレンスカウンターへ行く前に郷土資料コーナーの資料をざっと確認したところ、役立ちそうな本を2つ見つけました。
それをふまえ、レファレンスカウンターで「1925年に発生した日暮里大火について調べています。上記2つの資料以外で、役立ちそうなものはないでしょうか。なお、この大火についてはウィキペディア記事も立項されています」と質問。職員の方からは「データがないので、棚の本を一冊ずつ確認していただくしかないですね」と回答があったので、郷土資料コーナーに戻ってじっくり探しました。
その結果、日暮里大火の記載がある本を3つ見つけました。
- 荒川区福祉事業史編集委員会『荒川区郷土史年表』東京都荒川区、1962年。
- 『新修荒川区史 下』荒川区、1955年。
- 東京都荒川区教育委員会 編『日暮里の民俗』東京都荒川区教育委員会、1997年。
さらに、レファレンスカウンターの方が「こんな本がありました」と『カメラがとらえたあの日あの場所 : Arakawa photo history : 令和4年度荒川ふるさと文化館企画展』を持ってきてくれました。相談終了後も、何か資料がないか探してくださったそうです。ありがたい限りですね。
また、自分のミスにも気がつきました。当初参考文献として使えそうと判断した『荒川区史 下巻』が取り上げていた日暮里大火は、実は1963年のものでした。
編集は続く
資料が何冊も見つかったのは大変喜ばしいのですが、資料の内容をまとめ、ウィキペディア記事に反映する作業を、図書館滞在中に行うのは難しいと判断しました。そこで、資料をコピーをして家に持ち帰り、編集を続けることに。せっかくなので、『朝日新聞クロスサーチ』『ヨミダス歴史館』『毎索』といったデータベースや、グーグルスカラーでヒットした論文、既存の記事が参照していたウェブサイトの参考文献である『大正ニュース事典 大正14年 ‐ 大正15年 7』を活用し、大幅に加筆しました。火災の基本的な情報にくわえ、具体的なエピソードや回想を盛り込んでいます。編集の差分はこちらのとおりです。

まとめ
想像以上に時間がかかってしまいましたが、勉強になりました。災害の歴史を知ることの重要性を痛感すると同時に、図書館はそのような学びの契機となりうることを再認識しました。