2023年5月21日、日本・北海道の士別市で「ウィキペディアタウン士別」を開催した。北海道は、日本の本州に次いで2番目に大きな島である。その中でも士別市は、北海道の北部に位置しており、最寄りの空港である旭川空港からは、自動車で1時間程度の場所に位置する。士別市は羊の飼育で知られている。
今回の開催地にあたる士別市は、さえぼーさんが生まれた故郷である。開催にあたっては、現地で実行委員会が組織され、文化財に造詣が深い方や行政関係の方なども加わり、数ヶ月前に立案され、日程・会場・執筆テーマ、宿泊先との調整・交渉が実施されるなど準備が進められた。なお、今回の開催にあたっては、地元の士別市教育委員会・士別観光協会・道北日報社から後援として様々な場面でサポートいただくとともに、開催費用の全てについて、ウィキメディア財団の迅速助成金を活用した。
開催1カ月前に行われたプレスリリースの以降には、北海道新聞社や道北日報社に取り上げて頂けることとなり、そのインパクトの大きさに驚きを隠せなかった。
- 道北日報「士別市にウィキペディアタウンを-誕生すれば日本最北、市民の書き手を募集」2023年5月10日
- 北海道新聞「ウィキペディアに士別の記事書こう 21日講習会」2023年5月18日
開催前日には、ウィキペディアン数名で昼のうちに現地の図書館に赴き、事前調査を行った。その夜には、実行委員会関係者を含め、翌日の打ち合わせを兼ねて「ジンギスカン」を実食するパーティを開催した。士別市街からほど近い「羊と雲の丘」にあるレストラン「羊飼いの家」を会場にジンギスカンを食した。地元の方でもあまり食することがないという、士別産の羊肉もご準備してくださり、全員が舌鼓を打った。当日撮影した画像は、翌日に「士別市」「ジンギスカン」などの記事にも掲載した。
当日は、30名近くの参加者が会場に集まった。ウィキペディアタウンに関する説明、その意義、地域で果たす役割や効果について、さえぼーさんから説明された後、参加者は「あさひサンライズホール」に向けて移動した。
あさひサンライズホールでは、設立当初からプロジェクトに関わっている職員にお話を聞くことができた。その中で興味深かったのは「劇場は劇場に人を呼ぶ、ではなく、外に出ていく。学校などに展開していく」「30年間、常に試行錯誤をさせて頂いた。予算はあることに越したことはないが、やはり劇場を作っていくのは“人”であり、運営の担い手で劇場の性格は決まっていく」という話だ。どのコミュニティでも同じで、やはり居心地の良さ、運営の活発さが求められているということを改めて感じた。施設の中には、朝日町の自然や動植物、生活を展示している「いこいの広場」があり、まるで博物館の民俗に関する展示を見ているような空間が設けられていた。
1時間ほど滞在したのち、一行は「羊と雲の丘」にある「世界のめん羊館」を訪れた。そこには、世界各国を原産とする、まさしく多種多様な羊たちが飼育されている。参加者たちは思い思いに羊たちと戯れ、その先にある作業場で実際の羊毛を紡ぐ様子を見学した。
昼食後、会場に戻ってきた参加者は、執筆するテーマに分かれて、ウィキペディアンの指導を受けながら作業を行った。実際にパソコンで執筆方、編集までは至らなかったが資料を熱心に調べた方など、参加形態は人それぞれだったが、それがウィキペディアタウンの魅力であろう。
一緒にスタッフ側として参加したアリオトさんは、担当したグループである「あさひサンライズホール」の執筆について、こう振り返る。
今回は現地で関係者の話を聞くことができました。記事は文献をもとに書くので、この話自体は記事には反映できないですが、聞くことで事前知識が得られて書きやすくなる面があるように思いました。
執筆作業は、1人1人担当を決めて書いていただきました。文献によって記載内容が異なっていたり、出典として使えるかどうか微妙な文献があったりといった、執筆の醍醐味(?)も味わうことができたようです。なかなか大変ですが、参加者の方々は、自分で足りない文献を見つけてくるなど、熱心に取り組んでいました。地元の話は私は分からないので、逆に教えてもらうことも多かったです。おかげで良い記事ができました。記事の履歴を見ると私はほとんど何もしていないように見えますが、実際、私が書いた部分はほとんどありません。
アリオトさんのコメント
筆者自身は士別軌道に関する記事を加筆した。士別軌道はその名の通り、市内を走る鉄道路線を1959年まで運営していた。士別周辺の鉄道事情を軽く調査した際に目に留まっていた会社であった。記事はそれなりに充実していると判断していた。とはいえ、しかし、開催前日に図書館訪問をした際に発見された社史や郷土誌、広報誌などから少しの情報源を加えることが出来るのではないかと判断し、当日みなさんへ個別レクチャーをしながら加筆することができた。
まずは、道内にお住いの逃亡者さんに担当頂いた役割と開催の雰囲気について聞いてみた。
テーブルファシリテーターとして、「羊と雲の丘」を担当させていただきました。幸い、記事内に何を書くべきかは事前に決めていただけましたので、テーブルのメンバーごとに役割分担して、書いていただきました。皆様からは、文法上のガイドライン(文字の全角・半角や、日付の和暦・西暦の使い分けなど)の質問を受けることもありましたが、それを言い出すときりがありませんので、細かな修正は後で可能と考え、まずは書いていただくことを心がけました。他の方々のPC環境やビジュアルエディターの操作に慣れておらず、他のウィキペディアンの方々のお力を借りなければなりませんでしたので、反省点が残ります。とはいえ、図書館の資料も良いものが揃っており、皆様も限られた時間で文章をしっかり書いて下さり、非常に助かりました。
自身で書きたい題材として「さほっち」を用意しておりましたが、今回はファシリテーターに専念しようと考えて、当日の執筆タイム開始直前までに書き上げて投稿しました。
逃亡者さんのコメント
参加者の北すばるさんにも感想をお聞きしてみた。
ウィキペディアタウンは、6年前に第59回北海道図書館大会の分科会で北大・川村氏と森町・山形氏の報告を聞いた事があり、知ってはいましたが、実際に記事を書くというのは初めてでした。そのため、お誘いを受けて、ほかの予定が重なっていたのですがこちらに参加することにしました。
士別市民ではない私は、顔見知りの人が少ないので恐る恐る出かけましたが、会場は始まる前から早くも活気がありました。東京、千葉などからベテランのウィキペディアンの方々が参加し指導してくれたお陰で、初めてづくしの私たちでもなんとか進めることができました。
まず、参加者みんなで記事を書く「あさひサンライズホール」、「羊と雲の丘」を視察しました。会場に戻って来てからは、ウィキペディアの記事の書き方、ルールなどを教えていただき、それぞれ書きたい記事のグループに分かれて、参考文献や資料とにらめっこをしながら時間までそれぞれ記事を作成しました。記事を作成する作業は、論文執筆前の文献検索作業のようであり、レファレンスに役立つなと仕事柄思ったりもしました。短い時間ではありましたが、難しくも楽しくもあり、ウィキペディアンの方々のもの凄さ、ウィキペディアのしくみ、ウィキペディアが集合知である事がわかり、ちょっと見方が変わりました。
6年前の図書館大会参加後、ウィキペディアタウンではないが、「森町の「キロク乃キオク」のようなことをやってみてはどうか」と私が居住している市のある委員会で提案してみたのですが実現はかなわず、この度の企画で士別市民が集まって記事を作成し、士別市が日本最北のウィキペディアタウンになることができてとても良かったと思います。
北すばるさんのコメント
閉会後のディナータイムでは卓上に「天サイダー」が登場した。地域の名産の一つにと作られたオリジナル商品のサイダーは、そのパッケージに興味津々であったが、これにすかさず反応したのが逃亡者さんであった。すぐにウィキペディアに記事があるかどうかを検索して確認し、記事にできる資料があるかを捜索。その時間はあっという間であった。そこにいる誰もが、翌日解散した後にさらに資料を調べられるのだろうと考え、一つ楽しみを増やしたのであった。
最終的に当日中に編集された記事は、以下の項目となった。
- 羊と雲の丘
- あさひサンライズホール
- さほっち
- 祖神の松
- 小池暢子
- 北海道士別高等学校(加筆)
- 士別市立博物館(加筆)
- 桜井勝美(加筆)
- 士別市(加筆)
- 士別軌道(加筆、画像追加)
- 奥野小四郎 (11代)(加筆)
- ジンギスカン (料理)(画像追加)
- 北村順次郎(「集産党事件」の項目を加筆)
翌朝、それぞれが各自が出発準備を進めると、逃亡者さんから「さほっち」の記事に写真を追加したということと、「天サイダー」の記事を公開したという報告を受け、その場にいた全員が驚きを隠せない状況になった。どうやら周囲が休息している時間にそんな作業をされていたらしい。北海道新聞の記事が資料として使用されているが、図書館が閉館している状況下でどのように調査されたのか訪ねたところ、日本最大級のビジネスデータベースサービスである「G-Search」を用いて調べたということであった。このデータベースは、個人利用も可能で日本国内で発行されている多くの新聞記事についてデータベースに収録しているものである。
逃亡者さんは「さほっちは、士別市内の道の駅のマンホールで撮影可能と調査済みで、その道の駅が宿から徒歩圏内にあり、イベント当日の雨が、翌朝にはやんでいたことも幸運でしたので、朝の内に撮影してまいりました。ディナーの場で「『天サイダー』を書いてみたい」と言ったのは、半ばアルコール混じりでの冗談でした。しかし翌朝に少し調べますと、ご当地の名物ということのみならず、地元の高校生たちが開発に携わっているとわかり、大変興味深く、約2時間で書いてしまいました。」という。
一行は出発準備の後、市街地にある道の駅「羊のまち 侍・しべつ 道北」に立ち寄った。2021年5月に誕生し、旭川から稚内へと道北を縦断する国道40号と、道東でオホーツク海沿岸の網走から日本海側の留萌へ北海道を横断する国道239号の交差点に建っている。士別の物産などを一通りチェックし、自身は士別軌道のバスがデザインされたクリアファイルを購入した。
陽寿さんは「自身は当初から、土産は食材か調味料を考えていた。ここに立ち寄った際、目当ての食材や調味料を物色したあと、帰りの飛行機の重量規制などを考慮し軽量の調味料である「北海道ビートオリゴ」を土産に選んだ。これは北海道特産のビート(てん菜)から作ったオリゴ糖で、本州では見かけたことがなかった」と選定理由を教えてくれた。
最後に一緒に参加してくださったウィキペディアンに今回の感想を尋ねてみた。
せっかく北海道に来たので、少しは美味しいものを食べてみようと思いました。まずは事前調査で調べた、美味しいと評判の地域の名店、剣淵の駅前旅館でラーメン&カレーセット。旭川ラーメンを初めて始めて食べましたが、美味しかったですね!続いてさえぼーさんに教えていただいた士別でパフェが美味しいことで知られている芽夢で、ベリーベリーパフェ!量も味も大満足でしたが、特筆すべきはパフェもお店も昭和の雰囲気そのまま!!近くにこのようなお店が本当、欲しいと思いました。
ウィキペディアタウン前日には、図書館等の事前見学を行いました。ウィキペディアンは真面目ですよね~皆さん地域資料の前で色々と頑張っておられました。個人的に気になったのが短歌結社関連の資料が目立ったことです。帯広の短歌結社で活躍していたことで知られる[[中城ふみ子]]の記事の加筆を行ったことがあるので、北海道での短歌結社のあり方は興味があります。地域の方に伺うと、士別の地域性としても短歌結社は盛んであったようです。北海道全体としての地域性なのか興味があるところです。
当日は、もっぱら[[祖神の松]]の記事に取り組みました。全国二位の幹の太さを誇るイチイの木ということで、特筆性には問題が無かったのですが、当日を含め、文献が思うように集まりませんでした。もう少し発見の経緯とか具体的な保存事業に関する資料などがあればもっと充実したものになったかと思います。あと、ヒグマが現地周辺に出没しているため、現地取材が出来なかったことがやはり心残りです。なおイベント終了後、樹木記事の第一人者であるSwaneeさんが充実した加筆を行ってくださっています。この場を借りて感謝いたします。 参加された地元の皆さんは、熱心に作業に取り組んでおられました。全体として良い記事が立項され、加筆や写真の追加も十分な成果が挙がったと思います。今回の参加者の中から、ウィキペディアの編集に継続して携わる方が出てくだされれば良いなと思っております。最後に、市立士別図書館の皆様、実行委員会の皆様、後援をしてくださった士別市教育委員会、士別観光協会、道北日報社の皆様、本当にどうもありがとうございました。
のりまきさんのコメント
昨年秋に横浜から郷里の小樽へUターンしまして、今回のウィキペディアン勢としては唯一、北海道在住者としての参加になります。お話をいただいたときには単に「同じ北海道内」との理由で安請け合いしましたが、士別行きは初めてでした。小樽から士別までは電車で4時間半。横浜から小樽までの帰省の所要時間とほぼ同じ時間。陸路と空路の違いはあるとはいえ、やはり北海道は広いです(苦笑)。
道産子としてはジンギスカンは特別な料理とは思っておりませんでしたが、士別でその認識を改めました。士別のジンギスカンは実に美味しく、また伺いたくなりました。北海道グルメと言えば、実は、小樽から士別までの間にあります旭川で、名物の「旭川しょうゆ焼きそば」の撮影と記事化も狙っていましたが、JR切符が途中下車NGと当日にわかり、旭川で降車できなかったことが心残りです。
イベント前日に図書館を見学したときには、北海道ローカルの雑誌、アイヌの資料などの調査につい夢中になり、しっかりコピーもとらせていただきました(笑)。横浜在住時より、郷里の北海道の記事執筆に取り組んでいたつもりでしたが、今回の士別遠征を経て、北海道には自分の知らない歴史と魅力がまだまだある、今後もさらに尽力していかなければならない、今まで書いた記事も加筆の余地がまだまだあると痛感しました。
イベント開催に携わった皆様、参加者皆様、その他ご協力いただいた皆様に心より感謝します。本当にありがとうございました。
逃亡者さんのコメント
ウィキペディアタウンへの参加はまだ数少ないという、陽寿さんは、これまでは博物館でのエディタソンなどは経験したことがあったが、ウィキペディアタウンへの参加は初めてとのことだった。
北海道は昔から好きな土地なのですが、実際に降り立ったのは実に23年振りでした。
ウィキペディアタウンでは、「北村順次郎」の記事に「集産党事件」の項目を加筆しました。これは、私が歴史学を専門に研究しているというところから来る問題関心と、兼ねてから北村順次郎氏のお孫さんに当たるさえぼーさんより「集産党事件」の記載がいまだウィキペディアに反映されていないということを聞き及んでのことでした。
「集産党事件」は、党の母体となった組織が名寄で結成されたり、党員が検挙されたのが稚内であったりと、北海道各地にその痕跡を残すものであるため、今回は北村氏と本事件の関係性を中心に執筆し項目として追加しました。ただ今回のウィキペディアタウンを通して、北村氏に関する資料は士別に、本事件に関するものは事件の要所となった各地にまだまだ存在していることがわかったため、いづれまた北海道を訪れた際には今回扱った記事に関する資料散策や記事の強化を目指したいと考えています。 最後に、北村氏の記事について扱ったことで、氏の生前にお世話になったという参加者の方に北村氏のことを直に伺えるチャンスに恵まれただけでなく、加筆記事として選んだことを非常に喜ばれたということを記しておきます。こうしたところに、現地の資料をもとに現地の記事を強化するウィキペディアタウンという企画の真髄を感じました。
陽寿さんのコメント
開催後には、北海道新聞と道北日報の2社が本件について取り上げてくださった。
- 北海道新聞「「ウィキ」執筆して士別紹介 講習会で「さほっち」など新規に」2023年5月23日
- 道北日報「ウィキペディアタウン士別2023―新たに6本の記事立ち上げ」2023年5月23日
今回の開催に当たっては、冒頭で述べた通り、ウィキメディア財団の助成金を使用させていただいた。この場を借りて改めて御礼申し上げる。
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