このワークショップはウィキメディア財団の助成金を受けて実施しました。
また、この記事は2023年8月11日にワークショップ主催者(映像ワークショップ合同会社)のウェブサイトで公開されたレポート記事を一部変更して掲載しています。
イベント概要
今回の舞台は石川県加賀市で、テーマは「加賀の暮らしと災害史」。全6回の講座で、7月15日から10月14日までの約3ヶ月にわたり開催。この記事では、7月29日以降に行われた編集サークルや講師への質問会、発表会の様子についてお届けします。
7月15日 | ワークショップ |
7月29日 | 編集サークル |
8月26日 | 質問会・編集サークル |
9月9日 | 質問会 |
9月30日 | 編集サークル |
10月14日 | 発表会 |
編集サークル(7月29日)
編集サークル初日。初めにスタッフから、参加者にビッグニュースが伝えられました!なんと、7月15日のイベント時に公開した「大聖寺大火」「大聖寺川の水害」の記事が、「新しい記事」としてウィキペディアのトップページで紹介されたんです。
「新しい記事」とは、ウィキペディアの利用者の投票で毎日選ばれるもの。記事執筆に関わった参加者の皆さんにとって、嬉しいニュースでした。
また、「新しい記事」に選ばれたことで多くの利用者の目にとまり、記事が見やすく編集されていました。ウィキペディアは自分たちだけでなく、多くの人々が編集に関わっていることを体感した出来事でした。
そのあとは参加者各自で目標設定をして編集サークルスタート。どんなことを調べていくのか、それにはどんな資料が必要なのか。設定した目標に向けて、各自で活動を行いました。
この日が初参加だったHさんは、「大聖寺川の絵を描いていて、大聖寺川の水害のことをもっと知りたい」という思いが参加の動機。
自分が普段から描いているスポットの川の流れ方が、時代の変化と共にどのようにして形を変えていったのか知りたいということで、資料を使って調査。図書館司書の方の協力もあり、いつ工事が行われたか年代を突き止めることができました。
また、工事前の地上写真をウィキメディアコモンズにて発見。実りある時間となりました。
質問会・編集サークル(8月26日)
質問会
午前中は第1回目の質問会。前回の編集サークルなどを通して浮かんだ疑問や課題を、講師の方に質問できる時間。この日は、講師のあらい先生とZOOMを繋いで質問に答えていただきました。
2時間の中でも様々な質問が飛び交いました。ウィキペディアに載せるのに相応しい写真の撮り方や、大きなトピックスをどう分割して記事にすれば良いのかなど、今後の執筆作業に活かしていきたいお話がたくさん聞けました。
打って変わって、「そもそもウィキペディアを執筆するモチベーションは一体何でしょう?」という質問にあらい先生は「人との繋がりや出会いがあるから」と答えてくださいました。
かれこれ20年以上ウィキペディアに関わっているあらい先生。ウィキペディアを通して他の国や地域の人々と知り合い、それがまた別の出会いに繋がっていくところがとても楽しく、活動を続けるための励みになるのだそう。
このウィキペディアタウンin加賀でも、普段ならきっと知り合わない方たちが同じ課題に取り組むことで、新たな繋がりが生まれています。確かに「人との繋がりや出会い」は、ウィキペディア執筆の醍醐味と言えますよね。
編集サークル
午後からは、前回の編集サークルで話し合った「これから書きたい記事」や「調べたいこと」について、各自で作業を進めました。
新規記事作成に取り掛かる人や、既存の記事の編集を進める人など各々での活動がメイン。PCに向かい、黙々と取り組んでいる様子が見受けられました。
参加者同士で質問し合いながら学びを深めている場面や、資料を読んでいて「面白い!」と思ったことを共有し合い笑いが起こる場面もありました。
昔の新聞資料を読んで、「今より書き方がドラマチック!」「週刊紙みたい!」という声も上がり、資料を読むことやウィキペディア執筆の面白さを感じることができた時間だったと思います。
番外編
この日の夜は、加賀市動橋地区で「ぐず焼き祭り」が行われていました。参加者の中に「ぐず焼き祭り」について執筆している方がいらしたので、せっかくなので皆で見に行こう!ということで、お祭りに参加。
ぐず焼き祭りは迫力満点。ウィキペディアに載せる写真も撮ることができました。
質問会(9月9日)
第2回目の質問会。この日は講師のあらい先生、中俣先生のお二人とZOOMを繋ぎ、質問に答えていただきました。
参加者の方から上がったのは、「地域で起きた出来事の記事に、中心となった方の名前を記載したいが、プライバシーの配慮をどのように考えると良いか」という質問。講師の方の回答は、「名前を出すか出さないかは公人・私人で判断する。またその出来事により刑事罰を受けているかいないかで判断する」とのことでした。
また、「記事の章立てをどのようにすれば見やすくなるのか」という質問には、「正しい記法で見出しを作り、内容を整理すると見やすくなる」というアドバイスをいただきました。
このような感じで、第1回目の質問会と比べると、執筆を進めていく上で出てきた具体的な悩みを相談している参加者の様子が伺えました。
これら以外にも、「ウィキボヤージュの記事執筆方法」や「ウィキポータルの使い方」など様々な質問が上がり、熱のこもったやりとりから皆さんの成長が感じられた質問会でした。
編集サークル(9月30日)
編集サークルとしては最後の日ですが、噂を聞いて初参加の方が2名もいらしてくださいました。先に受講していた参加者から、講師の方から教わった執筆の仕方やテーマ選びについてアドバイスしている場面もあり、参加者の方々の成長が感じられました。
初参加の2名を含めた4名で、グループワーク的に作業をするという初の試みも。テーマは「片山津大火」。資料探しから、ウィキペディアに載せられそうな内容をピックアップするところまで、効率良く作業を進めていたのが印象的でした。
最初に取り掛かったテーマが無事に公開まで進み、次のテーマに進んでいるメンバーもいました。
この日で編集サークルは終わりとなりましたが、ウィキペディアの執筆を通して、参加者同士の交流も深まっていたように思います。
発表会(10月14日)
発表会当日。全6回の講座の最終日です。講師のお二人とZOOMを繋ぎ、それぞれの発表の後にコメントをいただきました。
参加者のYさんは、「山中大火」について発表。山中は、大火をきっかけに近代的な設備を取り入れた温泉旅館が次々と再建され、全国的にも大規模な観光温泉として復興し、「災い転じて福となす」となったことが印象的だったとのこと。
また、Yさんはなかなか講座に参加できなかったものの、スタッフのサポートを受けながらオンラインで作業を進めていました。「その場にいなくても意外と出来ることがある」ということが、Yさんにとってもスタッフにとっても発見だったそうです。
参加者のSさんは、画家「硲伊之助(はざまいのすけ)」について発表。加賀市吸坂町にある硲伊之助美術館で開催されたイベントに参加した際に、硲氏について知ったそうです。
ウィキペディアの執筆に興味があったということでこのウィキペディアタウンに参加し、「硲伊之助のことをもう少し知りたい」という動機で硲氏をテーマに選定。
加賀市では硲伊之助のことがあまり知られておらず、認知度を上げることで自分なりに貢献したいという思いで執筆を進めたそうです。なかなか資料がなく苦戦されたそうですが、「フランスの画家アンリ・マティスに師事していた」という一文など、今まで記載のなかった文言を追記されました。
その他の方の発表も終わり、合計8名の発表を行うことができました。皆さんの発表から、全6回の講座が加賀地域への理解や愛着が深まるとても充実した時間だったことが伝わる良い発表会だったと思います。
当日は見学に来てくださった方もいらっしゃり、賑やかな会となりました。最後はみんなでウィキペディアポーズで集合写真!
執筆・公開した記事
- 【新規】大聖寺大火 – Wikipedia
- 【新規】大聖寺川の水害 – Wikipedia
- 【新規】山代大火 – Wikipedia
- 【新規】山中大火 – Wikipedia
- 【新規】片山津大火 – Wikipedia
- 【新規】新堀川(石川県) – Wikipedia
- 【新規】北前船の里資料館 – Wikipedia
- 【新規】加賀市- Wikivoyage(英語版からの翻訳)
- 【新規】加賀獅子舞の動画 – Wikimedia Commons
- 【新規】ぐず焼き祭りの写真 – Wikimedia Commons
- 【編集】ぐず焼き祭り – Wikipedia
- 【編集】硲伊之助 – Wikipedia
- 【編集】十万石まつり – Wikipedia
- 【編集】Portal:石川県 – Wikipedia
記事の利活用
今回のウィキペディアタウンで執筆した記事は、10月22日に加賀市立錦城小学校で行われた「第17回加賀市総合防災訓練」にて市民の皆さんにもご紹介しました。
「かがが」に掲載している映像や写真などの資料と合わせて見てもらうことで、加賀市の災害史を振り返るきっかけを作ることができたと思います。
おわりに
7月15日から10月14日までの約3ヶ月間、ウィキペディアタウンin加賀に密着取材させていただきました。私自身、日々目を通すことはあっても、ウィキペディア執筆に関しては全くの初心者。あの膨大な情報量は、たくさんのウィキペディアン(編集者)によって支えられているのだなと、改めて実感させられた日々でした。
講師の方もお話しされていましたが、ウィキペディア執筆には終わりがありません。これを機会に、ウィキペディアンが増えていくことを願っています。