ウィキデータと愛の物語

元記事:Wikidata and stories of love / 23 November 2023 by Nataeva

2012年11月12日、当時婚約していたNataevに勧められて、私はウィキペディアに登録しました。それから10年後の2022年10月。私は国際ウィキ会議に初めて参加するためにトルコのイスタンブールに降り立ち、夫のNataevは北マケドニアのオフリドで開催されていた別の国際ウィキ会議からイスタンブールに飛んできました。私たちは10月21日から23日までイスタンブールで開催された、テュルク語族ウィキメディアンのためのウィキデータトレーニングに参加するための、ウィキメディア・トルコ・ユーザーグループによる奨学金を幸いにも受けることができた少数に入っていたのです。3日間の会議の間に、私は自由な知識データベースであるウィキデータについてたくさん学び、テュルク語族の他のコミュニティからやってきた多くのウィキメディアンと知り合いになりました。

会議では、ウィキデータの背後に愛の物語があることを学びました。あなたはウィキデータの個々の項目の最初がQの文字で始まるのは何故だか、不思議に思ったことはありませんか?そう、それはもう一人のウズベキスタンのウィキメディアンであるCasual、本名Qamarnisoに由来するのです。彼女はウズベク語版ウィキペディアの管理者である3人の女性の一人でした。物語はこうです。ウィキデータは2011年にイスラエルのハイファで開催されたウィキマニアで発表されました。会議の間に、ウィキデータの共同開発者Denny VrandečićはQamarniso(Diffに記録されたこのブログのように、Kamarnisoとも綴られます)と出会い。恋に落ちました。もうお判りでしょうが、接頭辞のQはQamarnisoの名前の最初の文字なのです。(「Qamar」はアラビア語の「月」に当たり、コモロという国名も同じ単語に由来します。)2人は2012年8月に結婚し、最初の子どもLeylaは2014年に生れました。(VrandečićとLydia PintscherMarkus Krötzschによるこの2023年の雑誌記事は、物語を裏付けています。)

ウィキデータ会議では、その他にもウィキデータの興味深い機能や、プロジェクトで使用するツールを学びましたが、他のテュルク語族の様々なウィキプロジェクトの状況を知ることもできました。私たちはテュルク語族の言語間の類似点と相違点について議論しました。(私はテュルク語族の2つの言語、ウズベク語とキルギス語を流暢に話しますが、トルコ語も主にデュオリンゴの助けを借りて学んでいます。)会議に参加してから、私はウィキデータにより活発に関わるようになり、主に言語間リンクの修正に力を注いでいます。

この素晴らしい会議を開催してくださったウィキメディア・トルコ・ユーザーグループと、ウィキメディア・テュルク語族ユーザーグループのウィキメディアンの皆さんに、心から感謝申し上げます。各セッションは有益で示唆に富み、相互交流の機会も最高でした。ボスポラス海峡のボートツアーと市街地巡りは忘れがたいイベントでした。会議を成功させるために舞台裏で尽力して下さったスタッフの皆さん全てに感謝し、将来さらにウィキ会議に参加するのを楽しみにしています。