この記事は、2023年11月に「ウィキカンファレンス北米」で述べたスピーチ原稿を改作。同原稿は英語版ウィキペディアのサインポストにも掲載されました。
皆さん、こんにちは。私はセレナ・デッケルマンといいます。ウィキメディア財団の製品・技術部門の最高責任者です。
ご存知の方も多いと思いますが、私は2022年8月、1年ちょっと前にウィキメディア財団で仕事を始めました。まず、この職分が私自身にとってどんなものか少しお伝えしたいと思います。この役割を私がどのようにして学んだのか、つまり知識の共有は、子ども時代に身につけたことに大きく関係しているからです。
私はアメリカの西側、モンタナ州出身なのですが、旅暮らしでした。養父は溶接のできる配管工で組合に所属していましたから、私たち一家は引っ越しを重ね、仕事の現場から現場へ渡り歩きました。移動があまりにも多くて、思い出に残る場所はどれも公共スペースです。
そのなかで、いちばんのお気に入りはモンタナ州カリスペルの、都心部にある公共図書館の共有スペースでした。信じられないほど素晴らしい場所だったし、そこで過ごす時間が本当に楽しみで、だいたいは放課後、両親のどちらか仕事が早く終わったほうがむけにくるまで過ごしていました。
私は運よく素晴らしい図書館司書の児童担当に巡り合って、一緒に過ごす時間はたっぷりあったから、私の好きな本をもとに読んでいない本を勧めてもらったり、学校のことをおしゃべりしたり、図書館の働きを説明してくれました。その人からカード式の書誌システムとデューイ十進分類法を教わりました。子ども図書コーナーにあったロアルド・ダールの著書を全巻見たし、『オックスフォード英語辞典』(OED)が1冊、書見台に開いて置いてあり、参考資料はこういうものだよと教えてくれました。〈本の虫ポイント〉がたっぷり溜まったせいか、大学に進学しようと思ったのも実は自分もOEDがほしくなったからです。
私にとってのカリスペル図書館がそうだったように、知識の共有はウィキペディアを含むウィキメディアのすべてのプロジェクトが貢献するものであり、多くの人々の暮らしの中で特別な役割を果たしていることは私の大きな誇りです。ウィキペディアは、誰もが学びのもたらす喜びを体験できる公共スペース作りを達成したのです。
ウィキペディアはそれにとどまらず、知識の共有をかつてない規模で、まったく新しい範囲で実現しました。私たちはそういう公共スペースを保ち守るに協力し、どんな場所であろうと検閲に反対します。 毎月、世界中で何十万人ものボランティアの皆さんが貢献された結果、規模も範囲も両方を達成できたのは信じられない思いです。
私が子供の頃、たくさんの美しくて便利な公共スペースを楽しんだ経験があってこそ、今、ここにいるのだと思います。
1年が経って
この職分を引き受けた主な理由は、公共スペースがどれほど重要かにありますし、もう1つ、皆さん全員、そして皆さんが属しているコミュニティのためでもあります。この仕事は最初、20年前に Linux をいじって Perl のスクリプトを書くところからスタートし、今では3つ目のオープンソースのコードベースを用いています。ボランティアが寄り合い、何かをオープンな場所で協力して構築することの力強さは、この目で見てきました。
もともと、財団に就職する前にウィキペディアンを何人も知っていたのですが、財団で働き始めたのをきっかけに人脈がが復活して、実際に初めて会った人も皆さんの中に大勢、おられます。オレゴン州ポートランドに住んでいるおかげで、ここは「ウィキ」という言葉を発案したウォード・カニンガムさんの故郷だし、知り合って友人になり、助言者として頼りにしています。
そらから、いかにもポートランドらしい場所というとブックパブで、そこをオフ会の会場に使っています(新刊本と中古本を販売し書架に座って生ビールをジョッキで飲みながら夕食も食べる店舗)。地元のウィキペディアンさんや、この地域の嘉祐0ディア・ウィキメディアン利用者グループの人たちとも出会いました(Cascadia Wikimedians)。カンファレンスにも何回か現地参加できたし、オンラインでもオンウィキでも、チャットルーム(IRC)、動画チャットでは数百人ものボランティアさんと出会ってて、これは信じられないほど幸運だと思います。私に手紙をくれた人もいたし、状況を改善しようと取り組む人たちに(時にはイラついている人にも)会えて感謝しています。
大きな質問がいくつも
この1年に会話を交わした末に、大きな疑問も複数、生まれました。私たちの将来 — つまりウィキペディアとプロジェクトの将来、そして私たちの運動と財団の将来についてです。未来を迎えるなら私たちが — 集合体として — 持たなければならないもの、それをこれらの質問は指しています。
台湾の初代デジタル大臣であるオードリー・タンさんと最近、話をしたところ、タンさんはウィキペディアを炎にたとえました。破壊的に傾くかもしれない議論を取り上げ、それを活用して人々に真実と理解を促すエネルギーに変えた点において、ウィキペディアはインターネット上の唯一の場所だそうです。
タンさんはこれを「炎の利用」、人類が出現の当初から行ってきたことだと表現しました。さらに、たとえそれを使って何か良いことや役に立つことをしようとしても、災をより安全に扱うには暖炉や消火器、消防署など、あれこれ必要なものがある。
ウィキペディアを説明したタンさんは、これは安全な議論の場で、分断された人々を変革し団結させるのに役立つシステムであると述べました。ウィキペディアンの仕事は、オンラインで熱のこもった議論つまり炎を利用することだと思います。そして私たちが直面している深刻な課題、そう私が信じている問題の解決には、こういった技能を議論や調査、推論に活用することが肝心であり、そのあたり、皆さんのご協力をぜひお願いします。
今は私たち全員にとって特別な時期だと思います。 生成人工知能によって、インターネットにとんでもない変化が起こる可能性があります。人工知能関連企業の取り組みと機械学習の進歩は、その影響はごく最近だけでも、世界に驚くべき広がりを見せています。
一方で規制が強化され(英語)
、他方で検閲の脅威(英語)
がウィキペディアに迫っています。
また、ウィキペディアンの重要なグループ – コンテンツの作り方と長期の維持に重要な役割を果たす管理者 – が縮小する傾向も見られます。英語版ウィキペディアの週報『サインポスト』(The Signpost)2023年10月の報告によると、「活動中の管理者は合計448名と、この10年超で最低を記録。この言語版では2005年まで遡らなければ、この統計値が449名を割ったことはない[1]。」
同じく8月時点の『サインポスト』の報告を参照すると、「管理者の99%は、最初の編集をしてから4年半以上が経過(中略)現職管理者の90%超は、当記事の担当者の初投稿時点(13年前)で、すでに初投稿を済ませていた」というのです[2]。
つまり、選択肢はあるのです。ひとつは何も変えないこと、結局は1世代限りのプロジェクトだったということにする。
あるいは、これから起こる大きな変化を私たちのプロジェクトが確実に生き伸びるとして、私たち全員、何をしなきゃならないか理解するのも選択肢の一つ。ウィキペディアの歴史には前例が数多くあるように、大きな技術的変化の波が来るたびに一部のうるさがたの人たちがウィキペディアは死んだと言ってきたのを覚えています。そして創設から20年以上経った今まで、事実だった試しは1回もないのです。それはそれとして、いまに複数のことが同時にやってくるし、私たちはそれに直面しなければならない – 特に、私たちの人数が増えるどころか減るばかりだとわかっている場合こそ。
それをきっかけに、どのようなプロジェクトや組織なら、時の試練に耐えるのか考えるようになりました。 私の見解では、その実現例はほとんどありません。一世代を超えて何かを考えるのは困難であり、私たちは、まさにそれを始めなければならないと信じています。世代を超えて存続するウィキペディアを目指すには、どんな変更が必要か考える必要があります。ウィキペディアはこれまで、十分に世界の役に立ってきたのだし、ウィキペディアを維持する努力には価値があるし、世界は今もウィキペディアを必要としています。では、このプロジェクトを多世代にわたって確実に実行するにはどうすればよいでしょうか?
以前にも言ったように、その努力とは持続可能性から始まると思います。このプロジェクトは23年近くも続いてきた注目すべき、これからも確実な成長、関連性を保つには、どうすればよい? ここにいる誰でも、この1年、生成 AI が私たちの暮らしのあちこちに関わってきて、どんな波及効果があったか気づいているはずです。どの商用大規模言語モデルでも、私たちのデータもそれを生成するシステムも、そのバックボーンを成します。これがあれば、私たちの仕事はいま始まっている新しい未来にも基本的に価値があるし、置いてきぼりにならないと私個人は信じています。それでも、今後とも人力による知識の創造が世界で優先されるには、何かできることは? 付け加えるなら、インターネット検索に使う重要なプラットフォームは、純粋にウェブだけに存在するものではなくなったし、世の中の人が知識を探す方法には「TikTok」などのサービスが出てきて、大きな変化の波が来ました。これまで20年の間に大きな技術面と社会面の変化がいくつも起こり、それらが情報を見つけたい人のニーズの変化に対応できているとすると、このプロジェクトは大丈夫でしょうか?
また、どうすれば適切なサポートができるか、判断も必要です。ボランティアの皆さんがより多くの知識を生み出す活動を実現するには、財団はどうすれば最善のサポートができるでしょうか?
財団に来て以来、私はその役割をめぐって会話をたくさん重ねてきました。当財団の最高経営責任者のマリアナ・イスカンダーの言葉を借りましょう。誰にとってどのような「役割と責任」が最適か、私たち全員に検討するよう求めています。私の場合は製品・技術部門の仕事なので、自分たちの役割と皆さんをどうサポートできるか、もっと明確に定義することだと考えています。ウィキメディア財団は、ボランティア活動を容易にし、数百の言語と場所にまたがって拡張可能にする点に重点を置いています。すると、それをうまく実現しようとするには、皆さんすべてに財団へのご協力をさらにお願いすることになります。誰もが解決したいと望む技術的問題をかかえていて、そのすべてに私が一度に取り組むことはできないとしても、この 1 年間で達成できた進歩は誇らしく感じています。
この2ヵ月間にはページ・トリアージ拡張機能のバックボーン改善を可能にする変更を展開したし、ボランティア開発者の皆さんと緊密に連携して将来の持続可能性を確保しようと努めてきました。今後、進める予定の取り組みはたくさんあり、編集チェック、議論ツール、ダークモード表示、Androidの巡回機能、i0Sのウォッチリスト、自働仲裁機能、コミュニティ設定、さらにウィキメディア・コモンズ用アップロード機能などのプロジェクトにまで至ります。
私のチームでは、バグ修正作業をもっと見える化して効果をあげる方法も検討しています。最近、知ったところによると、ボランティアの皆さんがファブリケータに報告した修正タスクのうち、331件は昨年7月1日から同年9月30日の間に、財団職員と嘱託職員が解決したとのことです。
ボランティア、財団職員双方から意見や支援を受けて、私はいくつかの重要な決定を下したり対応したりしてきました。まずコミュニティとの提携方法を変えます。たとえば財団は募金活動のバナー作成と開始の方法を変更したのは、コメント依頼(RfC)や、あるいはまたボランティアの継続的なフィードバックを受けたから実現しました。
製品と技術の分野では、 プロトタイプを直接にボランティアから募集して、タイポグラフィーの意思決定に情報を集める調査方法を採用しました。そこからは単にフォントのサイズや間隔などの基本ばかりでなく重要な情報も得ていて、ウィキペディアの使い方と文脈、対応するデバイス、文化の側面にわたり、それらは使う人がどう利用するか、ソフトウェアの使いやすさに影響します(しかもこの20年以上の間にけっこう変わってきました)。
今年、私はメディアウィキの担当チーム1ヵ所を再編して、製品管理のリーダーに迎えたビルギット・ミュラーには、今後のこのプラットフォームで行う開発アプローチの再考を任じました。
コミュニティ要望調査のアプローチを変更し、ボランティアのリクエストやニーズの窓口であるコミュニティ技術チーム内部だけでなく、製品・技術部門のさまざまなチームすべてとの連絡体制、作業のサポートができるように取り組んでいます。
私たちは自分たちの仕事のやり方を改善しようと努めています。でも、皆さんからもっと助けてもらえないと、あまり意味がありません。どんな助けがほしいかというと、互いに話したり、協力したりする方法を一度、リセットすること。議論や協議により良い道を見つけること、全員を幸せにできない場合は同意しない市民的な方法を見つけること。組織としての財団は、突き詰めると人間の集合体です。皆さんの多くは、私のチームの個々の働き手とウィキの内外でつながりを築き、私たちは団結して作業を進めてきました。
しなやかで強靭なパートナー関係を、1世代限りで終わらせずに維持するには、どうすればよいでしょうか? ここに述べた大きな質問すべての答えは、私にはありません。私一人で答えられる質問でもないのです。答えは、私たちが一緒に出しましょう。
ウィキメディア財団が掲げる使命とは:世界中の人々が教育コンテンツを収集および開発して、パブリックドメインもしくはライセンスが無償のものを使えるようにエンパワーすること(力を得る)、それを世界へ効果的に広めること。
その使命を果たそうとする私たちは、互いに同じ認識を持たなければ成功できないと信じています。大きな質問として持続可能性、サポート、私たちの仕事を可能にする人間関係やつながりなど、これらの答えを得るには、私たちが一緒に探すことが第一歩だと思います。
ウィキペディアは生まれてから最初の20年にわたり、個人が構築してきました。規模の大小に無関係に、毎日、個人がコツコツと貢献しています。ウィキペディアは成長したし、同時に個人が集まってコミュニティになり、運動に育ちました。そして、皆さんが作ってきたものを改めて眺めてみてください!
火事は発生しても、いきなり地獄の業火のように燃え上がるわけではありません。むしろ多くの人々が細心の注意を払い、情熱をかたむけて献身する姿勢を保って、盛り上げるのにたっぷり時間をかけてきました。今も、そしてこれからも私たちは、この使命の将来と、このプロジェクトがどうなるか責任を負っています。今日、自分が立っている場所で、大きな質問をいくつか投げかける機会を与えられたことはとても嬉しく、皆さんと一緒に取り組んで答えを見つけよう、そういう招待状を手にしたのだと考えています。
最後に、もうひとつ、質問して締めくくります。ここにいる皆さんに回答をもらえると幸いです。ウィキペディアとウィキメディアのプロジェクト群が目指そうとしている範囲で、多世代に広げるためには何が必要でしょう? たとえば大学や図書館のように、プロジェクトや機関が長期にわたって存続する前例はいくつかあります。でも、ウィキペディアは違います。私たちが先輩たちを真似できる部分は何か、他に発明する必要があるのは、どのようなことでしょうか?
M・イスカンダーも私自身も「傾聴ツアー」参加から財団で働き始め、ふたりとも実に多くの皆さんと出会う機会を得ました。皆さんがわざわざ時間を取ってくれて、ご自分のプランやウィキメディア運動への希望、作業で直面した困りごとを話してくださったことを大切にします。最近、イスカンダーが共有しましたが、就任当初のツアーと同様、「対話:2024」と呼ばれる傾聴の旅をまた始める予定です。どうか私と話す時間をとってください。皆さんが取り組むこと、私たちが一緒に組んだら解決できる問題についてお聞きしたいです。
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