イベントレポート2024 / №5 遺跡 de ウィキペディアin 糞置遺跡

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糞置遺跡」という、一度聴いたら忘れない名前の遺跡は、福井県福井市の文殊山麓に位置する古代遺跡です。縄文時代から中世にかけての土器や遺構が見つかっていて、その一部は奈良時代の「東大寺領糞置荘跡」とも重なる福井県を代表する遺跡のひとつでしたが、Wikipediaには記載がありませんでした。2024年、北陸新幹線の沿線を機に行われた何回目かの埋蔵文化財調査センターの調査報告書がまとまったのを機に、故郷を代表する文化遺産のひとつであるこの遺跡の価値を県民主体で広く発信していこう!と、福井県教育庁埋蔵文化財調査センターと県立図書館主催で6月22日に開催されたエディタソンが、「遺跡 de ウィキペディアin 糞置遺跡」。edit Tangoから2名のウィキペディアンが講師として招かれ、約15名の一般参加者のWikipedia編集をサポートしました。本稿では、そのイベントの様子を紹介します。

edit Tango参加イベント2024 / №5 福井県福井市 糞置遺跡 

福井県では2017年から県立図書館を中心に県内の様々な図書館や学校、機関と連携して、2024年6月現在までに10回以上のWikipedia編集イベント・ウィキペディアタウンを開催したり、開催をサポートされています。中心となっているのは、福井県内の図書館や文書館職員の有志で結成されたグループ「チーム福井ウィキペディアタウン」。県内各地のWikipediaエディタソンをサポートするほか、福井県の様々な物事についてWikipediaを編集するゆるやかなサークル活動を続けられています。

題材について学ぶ

(漱石の猫, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

edit Tangoは、2021年からチーム福井ウィキペディアタウンに協力。今回の糞置遺跡では2名がWikipedia講師として招かれ、Wikipediaの編集方針などのガイダンスを行い、一般参加者の編集活動をサポートしました。

多くのエディタソンでは、編集競合を避けるため複数の題材を対象として1記事あたり多くても5~6人までの人数で分担するのですが、今回は全員で「糞置遺跡」を新規立項することになります。午前中は糞置遺跡近くの文殊公民館に集まり、まずは埋蔵文化財センターの学芸員から遺跡の歴史について説明を受けました。会場には、遺跡から出土した土器も複数持ち込まれていました。Wikipediaに使用できる糞置遺跡の関連画像はあらかじめ主催者達によってWikimedia Commonsにアップロードされていましたが、写真をみてイメージしていたより本物は小振りで精巧なデザインが目を惹くものでした。

糞置遺跡出土 縄文晩期土偶

(Nihontagli66, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

座学で予備知識をインプットした後は、2班に分かれて古地図を片手に現地調査に出かけます。文殊山など特徴的な山々に囲まれた遺跡の一帯は現在は田んぼが広がっていて見晴らしがよく、2023年春に地元の高校生2人の発案で開催されたウィキペディアタウンで立項した城山もよく見えていました。

フィールドワーク

(漱石の猫, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

午後は福井県立図書館に移動します。会場の多目的ホールには、図書館や埋蔵文化財センターが様々な文献を用意してくれていました。約15人の参加者は、edit TangoメンバーによるWikipedia講習の後、「地理的・歴史的環境」「遺跡の概要」「発掘調査」「遺跡の変遷」の4グループに分かれ、Wikipediaを執筆していきます。講師のひとりであるuser:Asturio Cantabrioがあらかじめ主催者のレクチャーに基づき、分担編集しやすいように節分けして用意しておいた記事の骨格を投稿し、各グループで相談しながらそこに肉付けをしていきました。それぞれのグループにチーム福井ウィキペディアタウンやedit Tangoのメンバーが分散して、初参加の人々の編集活動をサポートしました。糞置遺跡は複数の年代の複数の遺跡が複雑に絡み合う難しい題材でしたが、県立図書館職員や埋蔵文化財センターの研究者もイベントの最後まで各班の編集活動を丁寧にサポートしてくださったおかげで、イベント終了時点で3万バイトを超える新規項目が作成され、数日のうちに約4万5千バイトまで加筆されました。イベント当日のまちあるきで撮影した写真も掲載され、立項3日後の6月25日深夜から26日にはメインページの「新しい記事」にも掲載されました。イベントは一般のメディアにも取材され、翌日には中日新聞 福井版 (2024年6月23日)に「糞置遺跡をウィキペディアに 市民参加型でページ作り」と題した記事が掲載されました。

また、メイン講師を務めたuser:Asturio Cantabrioによるレポートや、Wikipedia講習で使用したスライドも公開されています。⇒レポートはこちら。⇒講習スライドはこちら

「遺跡 de ウィキペディアin 糞置遺跡」には、ちょうどこの頃、筆者がウィキペディアタウン開催について相談を受けていた島根県の隠岐諸島からも2人が参加していました。地元でのエディタソンを主催するのに先立ち、勉強のために参加されていたようです。翌週の6月29日からは図書館総合展オンラインⅠ期のウィキペディア展覧会が予定されており、edit Tangoが関わるこれらの企画のほかにも、夏から秋にかけては日本全国でいくつものエディタソン開催が計画されています。こうした情報が広く共有されることで、今後さらに、ウィキメディア運動参加の裾野が広がっていくことを期待したいと思います。

(文殊山山頂から眺めた「糞置遺跡」一帯 Nihontagli66, CC0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

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