パレスチナの詩人の記事をウィキペディアに書く

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これまでパレスチナについて知りたいなと思っても、それ以上何か調べたりしたことはありませんでした。しかし今は、まずウィキペディアに記事を書く、というのが私のスタイルです。書くためにはいろいろ調べなくてはならず、その結果パレスチナについての理解が深まり、それを多くの人と共有できます。

アブートーハが学んだガザ・イスラーム大学

さて何の記事を書こうかと思った矢先、『現代詩手帖』2024年5月号にパレスチナ詩のアンソロジーが載ったと知り、早速入手しました。そこにはパレスチナの詩人12人の作品が、解説と共に掲載されていました。12人のうち日本語版ウィキペディアに記事のあったのは、2023年12月にイスラエルの空爆で亡くなったリフアト・アルアライールのみでした。

そこで英語版ウィキペディアに記事のあったムスアブ・アブートーハから、翻訳を始めました。1992年にパレスチナで生まれたアブートーハは、ガザの大学で英語を学び、ガザ地区に英語書籍の公共図書館を設立したのです。アラビア語の世界であるパレスチナで唯一の英語図書館でした。紛争の止まない地にオアシスとして図書館を設け、英語を知る意味を説いたアブートーハの志は地域の人々に受け入れられ、子どもだけでなく大人もたくさん図書館を訪れたそうです。彼はその後アメリカに留学して修士を得、様々なメディアに詩を発表しています。しかし現在は爆撃を逃れ家族と共にエジプトのカイロに滞在しているそうです。

彼が設立した図書館は、エドワード・サイード公共図書館と名付けられていました。サイード (1935-2003) はパレスチナ人の知識人として知られ、アメリカにわたりコロンビア大学で長く英文学と比較文学を講じていました。パレスチナ問題にも積極的に発言し、1999年には指揮者ダニエル・バレンボイムウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団を創設しています。アブートーハがサイードのことを尊敬していたのがよくわかります。

アブートーハの記事には日本語版に記事の無い赤リンクがたくさんありましたので、ウィキデータも参考にしながらすこしずつそれを訳出することにしました。「エドワード・サイード公共図書館」はウィキペディアの記事が何語版にもなく、ウィキデータだけはあったのでそれをたよりに調べました。そのうちに図書館の公式サイトを発見し、そこにあったガザの日常を映すビデオに心を揺さぶられました。多くの方にご覧いただきたいと思います。

作成したウィキペディア記事

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