2024年7月7日(日)、愛知県稲沢市でWikipediaエディタソン「ウィキペディアタウン稲沢」が初めて開催され、近代に建てられた学校校舎がその後さまざまな用途で使われてきた中高記念館や、平安時代の歌人・赤染衛門やその夫の大江匡衡に関連する史跡について調査し、それらについてのWikipedia記事を編集されました。
(Asturio Cantabrio, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)
企画の発起人は、2023年12月に刊行した拙著『ウィキペディアでまちおこし:みんなでつくろう地域の百科事典』をきっかけにWikipediaの様々な可能性に触発された市の職員で、イベント講師は関西各地でウィキペディアタウンやオープンデータの取り組みを積極的に進めている大学教授の方でした。いずれも、ウィキペディアタウンへの情熱は人一倍ある方々でしたが、ご自身ではほとんどWikipediaを編集されていません。このような場合、残念ながら、多くのエディタソンやその後のWikipediaで、立項記事や初心者への適切な助言やフォローが行われず、コミュニティに負担がかかる事例がしばしば発生しています。
しかし、愛知県では長年user:円周率3パーセントやuser:Asturio Cantabrioといった熟練のウィキペディアンが、ウィキペディアタウンに積極的に協力してくれているので、ウィキペディア・アウトリーチ界隈における層の厚さは日本屈指といったところ。そこで今回はこの両名を主催者に紹介し、筆者を含む3人でイベント・フォローに行ってきました。
edit Tango参加イベント2024 / №7 愛知県稲沢市 ウィキペディアタウン稲沢
2024年6月中旬、主催者と講師、ウィキペディアン達の初顔合わせのZoom後、さっそく愛知県を拠点に活動する2人は自主的にそれぞれ稲沢市に複数回足を運び、提示された編集題材の独立記事作成の目安や、その他の稲沢市の関連項目について念入りな調査を進めていました。
ウィキペディアを編集する、というと、ウィキペディアを執筆した経験の浅い人はよくパソコンスキルが最重要と考えますが、実際には、題材について周辺事情も含めて様々な角度から情報を集め、分析し、正しく理解する、文献調査のスキル以上に重要なことはありません。地域を題材にするウィキペディアタウンでは、ある意味「土地勘」が最も重要と言ってもいいでしょう。そして次に重要なことは、限られた編集イベントの時間で、単独記事として成立しうるだけの内容をまとめあげることができるように、できる準備は先にしておくことです。それは例えば、イベント当日は参照することが難しいだろう文献に先に目を通して、必要であればコピーを取っておいたり、屋外の題材であれば晴れた日に写真を撮っておくといったことです。当日は、「ウィキペディアンさん達にもお手伝いに来てもらっています」と講師の紹介を受け、あらかじめ聞かされていた3つの題材をそれぞれ分担することになりました。
(Asturio Cantabrio, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)
主催者や講師の方が事前に題材を検討し、参加者に示された編集テーマは、「中高記念館」(新規作成)、「赤染衛門歌碑公園」(新規作成)、「尾張国」(加筆)の3グループでした。しかし、事前に調査を進めていた私たちウィキペディアン3人の間では、「Wikipedia:独立記事作成の目安 」の観点から、赤染衛門歌碑公園の新規作成は難しいという見解で一致しており、ファシリテーターとして「赤染衛門歌碑公園」グループを担当することになっていた私は、瞬時に「これはまずい」と思いました。そこで、グループ・ミーティングの最初に「最終的な判断は、みなさんで文献調査をしたうえで検討することになるが、公園記事の新規作成ではなく[[赤染衛門]]の加筆に切り替える可能性がある。もし、新規立項の方法を学びたくてこの班を選んだ人がいるなら、いまのうちに[[中高記念館]]の班に移動することも検討してください。」と伝えたところ、1人が班を移動しました。
ウィキペディアタウンには、Wikipediaを理解するために参加する人、Wikipediaの編集をしたくて参加する人、題材や地域に興味があって参加する人、様々な人と協働することに興味があって参加する人、こうしたイベントを開催するノウハウを得たくて参加する人など、様々な目的の参加者がいます。イベントにおけるグループ・ファシリテーターに1番重要なスキルは、Wikipediaの編集ツールを教えることではなく、こうした参加者ひとりひとりのニーズを早期に把握し、適切な案内をすることであるように思います。
(Asturio Cantabrio, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)
その後、残った4名で文献調査を進めましたが、図書館が用意してくれていた文献もやはり歌碑公園そのものについては記述がほとんどなく、歌人についての資料が多くあったため、歌碑公園の新規立項ではなく、歌人の項目に加筆を行うことになりました。また、「尾張国」の加筆を求められたグループも、文献調査を進めた結果、尾張国の加筆よりも、その国主である[[大江匡衡]]の加筆を中心に編集活動を行うことになっていました。
最初から1点にしぼって「書きたいものを立項する」以前に、書きたいことについて「どこに」「どう」書くことができるかを検討すること、そのガイダンスができることは、グループ・ファシリテーターに必要な2番目のスキルといってもいいかもしれません。これはイベントでなくともウィキペディアに記事を書くなら重要な観点ですが、初心者へのガイダンスを含むエディタソンの場では、より入念に検討する必要があり、そのためにはやはり、編集テーマを決める前段階で、十分な下調べが必要です。
もし、このイベントに、user:円周率3パーセントやuser:Asturio Cantabrioのように事前準備を丁寧に行う地元のウィキペディアン達が参加していなかったら、安易に立項された項目は存続できなかったかもしれません。それは、イベントでウィキペディア編集デビューをした参加者達のモチベーションを削ぐことになり、イベントの参加者や主催者はもちろん、長期的な展望のためにはつねに新しい編集者を必要としているウィキペディア・コミュニティにとっても、不幸な結果となったかもしれません。
そうした事態を未然に防いだウィキペディアン達のボランタリー精神と労力は、だれもが持ち得るものではありませんが、いま“ウィキペディアン”と呼ばれる人達のなかから、ひとりでも多くの人々が、彼らのようなウィキペディアンであってくれたらいいなと思います。もちろん私も、そうありたいと願ってはいますが。
(女流歌人・赤染衛門の絵姿と和歌 / Chōbunsai Eishi, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
さて、今回はそんな“ウィキペディアン”として協力したイベントでしたが、私は実は“ウィキペディアン”としてウィキペディア外で紹介されることには非常に違和感があります。私自身は自分がウィキペディアンであることを好意的に考えていますが、他人に「ウィキペディアンの〇〇さん」と紹介されると、その紹介者は「ウィキペディアン」と「ウィキペディアンではない人」を区別しているのだなと感じるのです。ウィキペディアはだれでも編集できるコンテンツであり、だれもが編集参加することで集合知を実現しようというコンテンツなのに、ウィキペディアンとその他の人々を区別しているなんて、おかしな話ですよね?
先日、ある大学の図書情報学で教鞭をとっていらっしゃる方と久しぶりにお会いしたとき、「実はウィキペディアンってなんだか得体が知れないとずっと思ってたんだけど、実際どういう人が編集してるの?」と質問されました。私は「ウィキペディアを編集する趣味がある、普通の人です」とお答えしました。
賢明な人物は、往々にして慎重な人格者であり、“得体が知れない”ものの仲間入りをしたいとは思いません。真にウィキペディアに貢献できる資質のある人々に、ウィキペディア編集を“自分にもできるかも”“自分もやってみよう”と思ってもらえるように、まず、広く世間で、「ウィキペディアを読んでいる人は、ウィキペディアを編集する」という行為が、「犬を飼っている人は、散歩をする」というくらいに当たり前の日常になってくれたらいいなと思います。
【ウィキペディアタウン稲沢のまとめ】
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