稲門ウィキペディアン会の Eugene Ormandy です。2024年8月7日から10日にかけて、ポーランドのカトヴィツェで開催された国際会議「ウィキマニア2024」に参加してきたので、その模様を報告します。
本稿では、日本を出発したのちカトヴィツェに到着した8月5日の動向を記します。ほぼウィキマニアに関係ない内容ですが、今後参加なさる方の参考になればと思い、記録しておきます。
日本の空港にて
日本の空港での手荷物検査が思いのほか早く終了したので、ロビーでウィキペディアを編集。執筆途中だった下書きを完成させ、日本語版ウィキペディアに「ラフィング・スターズ」を立項しました。日本初のプロのジャズバンドについての記事です。
その後、フランクフルト行きの飛行機を待っていた最中、ひょんなことから知り合った親子に「ウィキペディアを編集する人たちが集まる会議がポーランドで開催されるんですよ」と話したところ、興味を持ってもらえました。おまけにお子様はジャズ好きとのこと。ちょうどつい先ほどジャズバンドの記事を立項したばかりなので、紹介しておきました。また、「ウィキペディアの編集は調査・執筆のスキルを高めるのに役立ちますし、ジャズについて深く知る上でも大いに役立つので、興味があればぜひチャレンジしてみてくださいね」ともアピールしておきました。
余談ですが、トルコのウィキメディアンは2020年に国際ジャズデーを記念した編集イベントを開催しています。今回お話ししたお子さんが、将来こういったイベントに参加してくれたら嬉しいな〜と思いました。
フランクフルト行きの飛行機にて
機内では仮眠をとりつつ、ウィキデータ上の「ウィキデータ:SPARQLチュートリアル」の印刷版と、ペローの童話集(岩波文庫の新倉朗子訳)を読み進めました。
SPARQLクエリのチュートリアルについては、ウィキマニアまでに全部目を通しておかなくてはと思っていたので、急いで読了。全てを完璧に理解したというわけではありませんが、大枠は把握しました。なお、この手の技術的な事項を学ぶ際、私は「実際に手を動かして確認する」ということを重視しているのですが、機内ではもちろん不可能でした。他にも、オンライン上のチュートリアルでは、IDにカーソルを合わせるとそのラベルが表示されるのですが、印刷版ではもちろんそんな機能はありません。しかし、このような制約がかえって功を奏したかなと思っています。説明文と実際のクエリを比較しつつ、頭の中だけで整理するというのは、なかなかいい訓練でした。全く手を動かせない環境で勉強するのもたまにはいいですね。
もう一方のペローの童話集については、「赤ずきんちゃん」「眠れる森の美女」「サンドリヨンまたは小さなガラスの靴(シンデレラ)」といった有名作品を拾い読み。大学時代に読んだ時は「説教臭え話ばっかりだなあ」としか思いませんでしたが、今回は「相変わらず説教臭いけど『趣味は説教』って感じの人たちよりは遥かに語り口が上手いな」と感じました。
余談ですが、機内で隣の席に座った方はプロの翻訳者でした。自分が「趣味でウィキペディアを編集しているんですよね」と話したところ、興味を持っていただけたようで「ウィキペディアを出典として使うことはどう思うか」「ウィクショナリーはウィキペディアと関係あるのか」「機械翻訳や生成AIはウィキペディアの翻訳に使用されているのか」といった質問をされました。これらの質問に対しては、「ウィキペディアそのものを出典とするのではなく、ウィキペディアの出典に用いられている資料をあたってくださいと説明しています」「ウィクショナリーはウィキペディアの姉妹プロジェクトの辞書で、任意の文字列が各言語で持つ意味を様々な言語で閲覧できることを目的としています」「言語版ごとに状況は違いますが、日本語版ウィキペディアの場合、機械翻訳が使用され、かつクオリティが低いものは削除対象になるという方針があります」と回答しました。ウィキマニアに参加する前からウィキメディアの話ばかりしてますね……。
フランクフルト空港にて
フランクフルト空港に到着すると、日本の空港で出会った親子と再会。「フライト大変でしたねー」といったおしゃべりを楽しみつつ、「ウィキペディアの編集で質問があれば遠慮なく連絡してくださいね」と言って、ウィキメディア用の名刺を渡しておきました。
親子と別れたのちスマートフォンを開いたところ、メールボックスやテレグラム(メッセージアプリ)には、ウィキメディアンたちからのメッセージが大量に届いていました。とりあえず、フランクフルトから同じ飛行機に登場するウィキメディアンたちのグループチャットをまずは開き、何人かはすでに空港に到着していることを確認しました。
巨大迷宮のような空港を闊歩して、各種手続きを済ませたのち、カトヴィツェ行きの飛行機を待つスペースへ到着。ここでついに、ウィキマニアに参加するウィキメディアンたちと合流しました。ウィキメディアンたちはカザフスタン、メキシコ、フランス、トルコ、アメリカ合衆国といった様々な国から集まっており、みんなでおしゃべり(主に各自のフライトの愚痴)を楽しみつつ、記念撮影をしました。
その後も待ち時間に、私はメキシコのウィキメディアンとエディタソン(ウィキメディア・プロジェクトの編集イベント)についての情報交換を行いました。いわく「メキシコでもウィキペディアをテーマとしたエディタソンは色々と行われているけど、ウィキデータのエディタソンはあまり行われていないねー」とのこと。メキシコのムーブメントはほとんど追えていないので、大変勉強になりました。
カトヴィツェ行きの飛行機にて
カトヴィツェ行きの飛行機では、Manavpreet Kaur さんと隣の席に。Manavpreet さんは、ウィキメディア運動憲章の起草委員会の委員を務めている方です。名刺をお渡しして挨拶したところ「あなた、去年のウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーだよね?」と言われました。Manavpreet さんのおっしゃる通り、私は2023年のウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーの新人賞を受賞したのですが、この賞は想像以上に海外のウィキメディアンに知られているのだなあと身が引き締まる思いがしました。
ちなみに、カトヴィツェまでのフライトでは熟睡。かなり疲れが溜まっていました。
カトヴィツェ空港にて
23時ごろ、カトヴィツェ空港に到着。流石にヘトヘトでした。おまけにスマートフォンの電源も切れてしまうという不運にも見舞われました(飛行機内で充電しようと思ったのですが、できなかったのです)。行き先が同じウィキメディアンと同行していなかったらと思うと冷や汗が出ますね。
なお、カトヴィツェ空港の荷物の受け取りスペースはかなり独特で、スーツケースが流れるレーンの上を麻薬探知犬が直接歩き回り、スーツケースを踏みながら仕事をしていました。周りのウィキメディアンたちも「こんなの見たことないね」と話していました。
深夜のポーランドをバスで走る
カトヴィツェ空港からホテルへは、ウィキメディア財団が手配したシャトルバスで向かう予定だったのですが、シャトルバスは1時間以上待たないといけなかったので(この後到着するウィキメディアンたちと合同で乗るため)、周りのウィキメディアンたちは「民間のバスで行こうか」という話に。スマートフォンの電源を切らしている私は、彼らと一緒に行動した方がいいと判断しついていくことに。そんなわけで深夜のポーランドをバスで走りました。これはこれで良い思い出です。
ホテルにて
24時過ぎにようやくホテルに到着。なんとかスマートフォンの充電を済ませ、日本からの参加者のテレグラムグループに「無事つきました」と報告しました(今回日本から参加した方は全員別ルートだったので、念のため旅の進捗を共有しあっていたのです)。その後はベッドに倒れ込みました。「シャワーは浴びなきゃ……」と思ったものの、気がついたら寝ていました。実質丸1日まともに寝ていなかったので、流石に疲れが溜まっていたのでした。
いよいよ、楽しい楽しいウィキマニアが始まります。
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