私にとってのマイルストーン: ウィキマニア 2024 カトヴィツェ (第1日)

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誰でも人生のマイルストーンがあるでしょう。私にとってウィキマニア2024カトヴィツェがそれでした。2024年8月7日から10日にかけて開催されたウィキマニア2024カトヴィツェでの私の経験を、皆さんにお伝えしたいと思います。

準備段階

今年のウィキマニアで私は2つのプレゼンテーションをしました。一つは「日本、マレーシア、トルコとのウィキメディア友好会」で、昨年のウィキマニアで知り合ったウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー受賞者のタウフィクと、同新人賞受賞者のユージン・オーマンディと一緒にやったものです。もう一つはCEE地域の青年グループであるCEE青年グループでのプレゼンテーションで、「CEE青年グループ:運動内での青年組織の成功」と題してマリニコスと共に行いました。

Kurmanbek, CC BY-SA 4.0

そして会議初日の前に、カトヴィツェに着いた時、なぜか私は全く疲れを感じませんでした。そこで友人でウィキメディア日本トルコ友好会を一緒に始めたウィキメディアンのユージン・オーマンディと、Wadakuramonと一緒に、外のカフェでお茶を飲みました。

やったぜ!

初日の開会式は、この記事のタイトルにしたように、私にとってのマイルストーンでした。2014年に初めてウィキメディア運動に関わってから10年目、私はウィキペディア共同設立者の一人ジミー・ウェールズから、ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーの一つである最優秀メディア貢献者賞を授与されたのです。

Niccolò Caranti, CC BY-SA 4.0

その時の私の気持ちは次のようでした。何より最初に、この賞を受賞するに相応しいと判断されたことに興奮して幸せでした。私が多くのイベント、プロジェクト、そして異なる分野で行ってきたデザインの仕事が評価されたのは、私のモチベーションをより高くしました。ところで、すこし驚いています。というのはウィキマニア2023シンガポールの開会式で、この賞を来年は自分がとるぞと自分に誓ったからでした。そしてそのとおり、期待したことが起こったのです。私はウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーの最優秀メディア貢献者賞を受賞しました。

受賞式でジミー・ウェールズが私について語ったことも誇らしく思います。

今年は、ウィキメディアのイベント、キャンペーン、そしてプロジェクトで、ユニークな視覚デザインを創ることでコミュニティに貢献した人物を表彰します。彼はグラフィック・デザインを、ウィキメディアコミュニティがその文化、歴史、そしてアイデンティティを語る時に使っています。彼が作ったものは、他の人がウィキメディア活動を進める時だけでなく、自分が何者であるか語る時に視覚言語として使えるのです。彼はCEE地域の出身ですが、そのインパクトは地域をはるかに超えています。

– ジミー・ウェールズ, ウィキマニア2024カトヴィツェ開会式, 2024年8月7日

Pedro J Pacheco, CC BY-SA 4.0

すると、開会式を司会していたナターリア・サフラン=コザコウスカが、この仕事は文化に結びついたコミュニティの要素を含むことを知っていて、それをグラフィック・デザインによって説明するのが重要だといって、私に説明するように言いました。私の説明を簡単に言うと次の通りです。

グラフィック・デザインは私にとってとても重要で、私の作品にコミュニティの文化をとりいれます……私は中央アジアのテュルク文化のステッカーを何枚か作りましたが、共通の歴史によくでてくるドンブラやユルトなどです。今回初めて、会議のために2つのかわいいマスコットをデザインしました。男性マスコットはキルギスの伝統的帽子をかぶり、女性マスコットはトルコの伝統的衣服を着ていました。会議の参加者はとても喜んでマスコットの写真を撮っていましたが、私はこうして地域の文化をアピールすることに成功したのだと嬉しかったです。

– ユルマズ・ジャナ・オジャイクチュ (Kurmanbek), ウィキマニア2024カトヴィツェ開会式、2024年8月7日

ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー2024の詳細は次のDiffで読むことができます。

https://diff.wikimedia.org/2024/08/07/meet-the-wikimedians-of-the-year-2024/

開会式の前に、私はいくつかのセッションに参加したので、そのうちのいくつかを少しばかり紹介したいと思います。

物語を保存し、アイデンティティを保存する: Wiki Loves Folkloreの旅 / Tiven2240

Kurmanbek, CC BY-SA 4.0

Wiki Loves Folkloreの歴史を扱ったセッションでした。2019年にWiki Loves Loveという名前で始まったコンクールが、現在の形になっています。コンクールに参加するのはとても簡単だとわかり、とても興味を覚えました。コンクールには「フェミニズムとフォークロア」という記述部門があります。ここでは、民俗文化とジェンダーギャップに焦点を当てています。コンクールが始まってからの5年間に、全部で37,854記事が作られました。最も多くの記事が投稿されたのはインドでした。

私の意見: 将来はこのコンクールのトルコ部門を必ず設けるべきです。そうすればトルコに関するたくさんのコンテンツを得られるでしょう。

メディア教育、図書館、学校 – チェコでの経験 / Pavel Bednařík, Klára Joklová, and Lucie Schubert

Kurmanbek, CC BY-SA 4.0

このセッションは、ウィキメディア・チェコ共和国協会 (WMCZ) が主催したもので、私にとって最も興味深いセッションの一つでした。なぜなら、ウィキメディアプロジェクト、特にウィキペディアを学ぶ新規参加者を支援するたくさんの活動がトルコで行われていたからです。

セッションの間、私はWMCZの3つの主要プログラム、「教育プログラム」「コミュニティのためのプログラム」「連携のためのプログラム」を知りました。興味深かったのはメディア訓練教育でした。なぜならプレゼンテーションでは、ウィキメディアプロジェクトがメディア教育のための素晴らしいツールだと言及されていたからです。メディア教育プロジェクトには、プラハとブルノの大学の将来の図書館員のための訓練とワークショップが含まれていました。またそこには、教育プログラム、ポータル、教師のための5つの活動についてのハンドブックも含まれていました。(私はハンドブックを使ったウィキ教育に興味があり、おそらくウィキ教育ハンドブックを創ることになるでしょう。)プレゼンテーションの後に、少しのテストを使ったこの教育課程を体験しました。(彼らの言葉によると、私たちは10分間の生徒でした)。

私のサイクリングとウィキペディア旅行 (コモンズ上の画像からカトヴィツェへ自転車で行くまで) / Toni Ristovski

Kurmanbek, CC BY-SA 4.0

ウィキメディアンが数千キロ (1100km) も自転車でウィキマニアに行くって、どういうことでしょう?トニー・リストフスキーは、ウィキペディアに2010年に参加し2015年から自転車に乗り始めたのですが、スコピエからカトヴィツェまで6日かけて自転車でウィキマニア2024にやってきたのです。

プレゼンテーションの最初に彼は、テレビシリーズとサイクリングに関する記事をウィキペディアに書いたことが、初めて自転車を買ったきっかけだったと語りました。最初のうちは、自転車に乗りながら撮った写真をコモンズにアップすることは無かったそうです。しかし、2012年にベオグラードで開かれたウィキメディアCEE会議でウィキ遠征隊のイベントを知りました。2年後、彼はマケドニアでウィキ遠征隊を計画しました。この旅の途中で彼は、たくさんの教会、村落、湖、そして滝の写真を撮り、コモンズにアップしたのです。しかしトニーは、適切な遠征をおこなうには、ルート、人々、場所、役割、素材といったモデルをみつけるのが大切だ、と語りました。

最後に、トニーから私たちへのメッセージ:

もしあなたがアウトドア派なら、ウィキペディアを趣味につなげなさい。

トニー・リストフスキー、私のサイクリングとウィキペディア旅行 (from images on Commons to riding bicycle to Katowice) プレゼンテーション、2024年8月7日

中央アジア・ウィキメディアン集会

Darafsh, CC BY-SA 4.0

中央アジアおよびそれに関心のあるウィキメディアンたちが集まった、中央アジア・ウィキメディアン集会では、その地域でのウィキメディアンの最近の活動について聞きました。また行われたイベントや活動についてのアイデアを交換しました。

ジミー・ウェールズとナターリア・サフラン=コザコウスカがウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー2024の受賞者と共に (ProtoplasmaKid, CC BY-SA 4.0)

ウィキマニア2024カトヴィツェでの最初のエキサイティングな一日でした。2日目の投稿をお楽しみに!

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