2024年8月6日、ポーランド南部の都市クラクフにある、ヤギェウォ図書館を訪問しました。ヤギェウォ図書館はポーランド最古の大学であるヤギェウォ大学の図書館です。大学と同じく14世紀半ばに創設されました。私は40年ほど前からこの図書館を訪問したいと思っていましたが、ウィキペディアのおかげで今回その夢を実現することができました。
私がこの図書館を知ったのは、1980年代に読んだナイジェル・ルイス著『ペイパーチェイス』という本によってでした。そこには第二次世界大戦中、ベルリンの国立図書館にあった貴重なコレクションが戦禍を逃れ東方に疎開し、曲折をへてヤギェウォ図書館に収められた経緯が書かれていました。それは500箱にものぼる量の手稿本コレクションで、モーツァルトやベートーヴェンの手稿譜も含まれていたのです。その後ほんの一部は返還されたものの、大部分はそのままである、と本に書かれていました。
1993年にベルリンを訪れる機会があり、国立図書館へ行ってみました。そこでみた展示図録には、状況は変わらず今でもコレクションはヤギェウォ図書館にある、と書かれていました。当時ベルリンの壁は無くなっていましたが、戦争をめぐる様々な状況が変化するにはまだまだ時間がかかるのか、という思いを抱きました。
2024年になり、ウィキマニア参加のためポーランドを訪れる機会が巡ってきました。旅行の準備を進める中で私は本を再読したところ、以前は記憶に残らなかったポーランドの事柄がたくさん目に飛び込んできました。それは20世紀には無かったウィキペディア、そしてウィキデータというツールのおかげです。ポーランドの固有名詞について以前は、研究者でもない個人が調べるのはとても難しかったのですが、今なら手元でかなり調べることができるのです。
最も気になった人物はポーランドの美術史家、カロル・エストライヒャでした。彼は1944年に『ポーランドの文化的損失:1939年から1944年のドイツ占領期におけるポーランドの損失文化財の索引』を出版し、ドイツの手稿本はポーランドの損失文化財と引き換えるべきだと主張していました。私は英語版ウィキペディアからこの人物の記事を日本語版へ翻訳し、『ペイパーチェイス』の内容も出典に追加しました。「ヤギェウォ図書館」の記事も英語版から翻訳しておきました。
ポーランドへ向かう日が近づき、私はヤギェウォ図書館のウェブサイトから図書館見学ができることを知り、そこに出ていたメールアドレスから見学を申し込んでみました。するとすぐに返信があり、希望した8月6日に案内していただけることになりました。特に見たいものはあるかと尋ねられたので、手稿楽譜を希望しておきました。
8月5日夜にクラクフに着き、翌朝早速ヤギェウォ図書館へ向かいました。緑豊かな街並みの中に図書館はあり、夏休みで学生の姿はまばらでしたが、荘重な建物が私を迎え入れてくれました。英語を話す若いライブラリアンが案内を担当され、途中からベテランの方も加わり、広い館内を縦横に案内してくださいました。そしてベルリンのコレクションが収められている書架も、丁寧に見せてくださったのです。時代の流れと共にコレクションはデジタル化され、世界中の研究者の利用に供されているのでした。
次に音楽部門へ移動し、貴重書担当のライブラリアンによる解説をうかがうことができました。そして実際に見せてくださったのが、ショパン、モーツァルト、ベートーヴェンの自筆楽譜だったのです。研究者でもない一介の見学者である私に対して、このように貴重な所蔵品を公開してくださった図書館の姿勢に感動しました。現代の図書館はデジタル化という大きな変化の波にさらされていますが、クラクフという古都の図書館でその大きな成果を知ることができ、長年の胸のつかえもきれいに消え去ったのでした。
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