このワークショップはウィキメディア財団の助成金を受けて実施しました。
また、この記事は2024年6月13日にワークショップ主催者(映像ワークショップ合同会社)のウェブサイトで公開されたレポート記事(原著:かが市民大学)を一部変更して掲載しています。
イベント概要
ウィキペディアタウンとは、地域の記事をインターネット百科事典であるウィキペディアへ公開するために必要な技能を身につける、街歩きと編集作業を組み合わせた体験型講座のこと。Season 2の舞台は「加賀橋立」。かつて北前船の船主が多く暮らしたこのまちで、講義・フィールドワークを通してウィキペディアの記事を執筆していきます。このレポートでは、講座の前半である5月18日(土)・19日(日)・25日(土)の様子をお届けします。
講師
高野宏康
石川県加賀市橋立町生まれ。全国各地の北前船遺産の調査研究、地域活性化事業に取り組む。小樽商科大学客員研究員。博士(歴史民俗資料学)。専門分野は北前船学、地域資源論。明治大学卒、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程修了。国立歴史民俗博物館機関研究員を経て、2013年、小樽商科大学に着任。おたる案内人マイスター。
あらいしょうへい
ウィキペディア日本語版管理者。鉄道や地理に関する記事を執筆する傍ら、記事に掲載する各種写真を撮影・提供している。全国各地のウィキペディアタウン開催支援や2021年には「林先生の初耳学」に出演するなど、幅広く活動している。
加賀橋立を知る講座(5月18日)
概要の説明
今回の会場は、橋立地区会館。
参加者の皆さんは橋立で暮らす方だけでなく、初めて訪れる方もいて、さまざま。皆さんの表情から、期待と緊張が入り混じった様子がうかがえました。
まずはスタッフより、イベントの概要を説明します。映像ワークショップが取り組んでいる、加賀市をデジタルアーカイブするプロジェクト「かがが」から端を発した、加賀市版ウィキペディアタウン。加賀市のことを、みなさんと一緒にアーカイブしていくためのイベントとして、開催をしています。
レクチャー
講師の高野先生より橋立のまちの成り立ちや特徴についてレクチャーを受けます。
北前船の寄港地は全国に約130箇所ありますが、船着場のない船主[^1]
の住まいとしての集落(船主集落)は少なく、その中でも特に橋立は、船主をはじめ船頭[^2]
・船乗りなど関係者みんなが暮らしていた「不思議なまち」とのこと。
そんな橋立の特徴的な建築様式や、船主の仕事の変遷などお話しいただき、まちについての知識を深めていきました。
^1 船の所有者。多数の船を所有する者も多くいた。
^2 船の運行を取り仕切る人。船長。
加賀橋立ツアー
お話を聞いたあとは高野先生による加賀橋立ツアー!日差しはあっても、海からそよぐ風は心地よく、まち歩きにはぴったりの気候でした。
まず訪れたのは、出水(いずみ)神社。
参道の入口に構えている鳥居、実は橋立が誇る北前船主のひとり、西出孫左衛門が奉納したものなんです。
普段なら見落としてしまいそうなところにもまちの歴史が刻まれています。笏谷石をふんだんに使った石垣を背に、「こっちの道は小学校までの通学路の抜け道でした」と高野先生。そこに暮らしていたからこその視点を交えつつ語られるガイドに、参加者もワクワクした表情を浮かべていました。
橋立で「加佐ノ岬倶楽部」やカフェ・コンドミニアム「MAGONDO」を営む宮本さんも合流して、一行は「久保家」へ。
橋立の住居で特徴的な間である「オエ[^3]
」で、家の説明を聞きます。
^3 玄関を入ってすぐのところにある広い部屋。居間や接客の場として使われた。
そのあとは、それぞれに家の中を探検。2階にある「青の間」から見えるのは北前船が走った日本海。この部屋は金沢にある成巽閣の「群青の間」を模して天井が青かったり、京都の桂離宮をイメージした造りがあったりと、至るところに施主のこだわりが感じられる家でした。
「板子一枚下は地獄」と言われるほど危険が伴う仕事だった北前船。沖で待つ船に向かう直前、再び会えるかもわからない家族と最後のあいさつを交わすのが「ジゲ浜」です。ここにはもうひとつエピソードがあり、石碑も建てられています。北前船主、西出家出身の歌人「西出朝風」。家族に勘当されたことで、歌人として活動をはじめます。
廣重の
藍よりすこし
濃い色の
故郷の海に
逢うたけれども
碑に掘られている口語体(はなし口調)の和歌は、明治のころには前衛的だったそう。橋立が生んだ文化人として、ここに記録が残っています。
橋立のまち全体を巡った感想を各自発表します。加賀市に暮らしている方にとっても、新たな視点を得られたようです。
最後にみんなで記念にパシャリ。
コモンズに写真をアップロード(5月19日)
昨日の様子が新聞に
まず会場を訪れると、この日の北陸中日新聞の朝刊が。
昨日取材を受けた橋立のまち歩きが、早くも記事になっていたのです!
見つけた参加者も、「新聞に載ってる!」と驚き&喜びの声を上げていました。
アカウント作成
この日の本題は、ウィキペディアで記事を作成する準備。参加者の皆さんは、スタッフからの説明を聞いたあと、持参したPCやタブレットでウィキペディアのアカウントを作成を進めていきます。
しかしここで、トラブル発生!
同時アクセスによるウィキペディアの制限のため、アカウントが作れない状態になってしまいました。急遽、ウィキペディア日本語版管理者のあらい先生に対応してもらい、なんとか皆さんのアカウント作成が成功しました。
ウィキメディア・コモンズへアップロード
アカウントができたら、前日のまち歩きで撮影した写真をウィキペディアの姉妹プロジェクトである「ウィキメディア・コモンズ」へアップロード・公開していきます。
アップロードにはタイトルだけでなく、キャプション(写真を説明するための注釈)や著作権情報など、いくつか設定項目があります。最初は大変かもしれませんが、慣れてくると次々に写真を公開する方もいらっしゃいました。昨日撮影したものだけでなく、加佐ノ岬灯台に夕日がかかるレアショットも追加されました。
この日のうちに、橋立を映した写真が計29枚アップロードされ、世界に公開されました。
今回公開した写真は、「Wikipedeia Town in Kaga season2」というカテゴリにまとまっています。
書きたい記事のテーマ探し(5月25日)
ウィキペディアの記事を読んでみる
3日目となるこの日は、もっとウィキペディアに触れて、実際に記事を書いていくイメージをつけるのがテーマ。まち歩きや高野先生との交流を通して、船主屋敷や福井別院橋立支院など、参加者の皆さんにも「編集したい橋立」のアイディアが生まれてきたようです。
次に、実際にウィキペディアで「加賀橋立」を検索。どんな情報が書かれていて、どんな部分を追加/編集できそうか想像しながら、みんなでじっくりと読んでみました。
そうすると意外と書かれていないトピックスも多いことがわかってきました。たとえば山中大火と大聖寺大火の記事はあるけれど、橋立大火のページはありませんでした。他にも「これ新しく書けそう!」というところが、参加者からたくさん挙がってきました。
郷土資料を読む
書けそうな部分が見つかったら、深掘りするための資料へアクセス。「信頼できる情報=出展のある情報」とはいうものの、やはりウィキペディア的にもウェブページよりも印刷された本の方が信頼性が高まるとのこと。加賀市立図書館から借りてきたものや、地区会館にある書籍を確認しながら、それぞれが書きたいテーマにまつわる情報を探っていきました。
書きたい記事を考えてみる
「編集するときは大胆に」
ウィキペディアは誰でも書くことができる百科事典。誰かが編集した箇所に間違いがあったとしても、別の誰かが更に編集できるのがウィキペディアの良いところでもあります。
この日の最後に、「大胆に編集してみたい/できそう」と思えるテーマを発表しあいました。これから新たに生まれそうなページが見えてきた回でした。
イベント前半を終えて
まち歩き(フィールドワーク)を通して北前船主と同じ景色を見ることができたからこそ、参加者の皆さんが深くまちを見て、執筆したい記事のイメージをくっきりとさせられたのではと感じます。
後半のレポートでは、実際に編集したり発表会の様子もお届けします。
ぜひお楽しみに~
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