このワークショップはウィキメディア財団の助成金を受けて実施しました。
また、この記事は2024年8月20日にワークショップ主催者(映像ワークショップ合同会社)のウェブサイトで公開されたレポート記事(原著:かが市民大学)を一部変更して掲載しています。
イベント概要
前回のレポートでは、講座の前半の様子をお届けしました。1日目は、高野先生による加賀橋立ガイドツアーとその感想の発表を行いました。2日目は、1日目に撮影した写真をウィキメディア・コモンズにアップロードしました。そして3日目は、ここまでの経験を踏まえて、各自がこれから書く記事のテーマを決めました。このレポートでは、講座後半の6月1日(土)・15日(土)の様子をお届けします。
講師
高野宏康
石川県加賀市橋立町生まれ。全国各地の北前船遺産の調査研究、地域活性化事業に取り組む。小樽商科大学客員研究員。博士(歴史民俗資料学)。専門分野は北前船学、地域資源論。明治大学卒、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程修了。国立歴史民俗博物館機関研究員を経て、2013年、小樽商科大学に着任。おたる案内人マイスター。
あらいしょうへい
ウィキペディア日本語版管理者。鉄道や地理に関する記事を執筆する傍ら、記事に掲載する各種写真を撮影・提供している。全国各地のウィキペディアタウン開催支援や2021年には「林先生の初耳学」に出演するなど、幅広く活動している。
ウィキペディアについて知る講座(6月1日)
あらい先生からのレクチャー
ウィキペディア日本語版管理者のあらいしょうへいさんを講師に招いて、ウィキペディアの理念や、記事を書く際のポイントをレクチャーしてもらいました。ウィキペディアン(ウィキペディアの執筆者・編集者のこと)歴が20年になるあらい先生は「生粋のウィキペディアンは、記事になっていない事柄を見つけると、つい調べて記事を書きたくなる」と言います。その姿は、さながら山があれば登りたくなる登山家のようでした。
そんなウィキペディアンにとって大切なのは、書いた内容や表現に「ゆらぎ」が無いこと。「ゆらぎ」とは同じ記事の中で話の筋道が変わってしまったり、同じ意味の事柄を別の言葉で表現してしまうことです。「ゆらぎ」を無くすためには、他の人が検証ができる情報源を使うことが前提にあります。この時に、様々な角度から考察し資料を探すことと、見つかった情報に対して常に中立的な立場でいることが大切です。そして自分の意見や発見を混ぜ込まないことも忘れてはいけません。複数の資料を噛み砕いて、自分の言葉で書き出す。それを積み重ねていくことで記事が出来上がります。
柔和な表情とウィットに富んだ話しぶりのあらい先生。時折笑いを交えつつ、真剣に聞き入っている参加者の様子が印象的でした。
執筆タイム ~練習編~
参加者同士で自己紹介をした後は、チームに分かれて資料を読む練習に取り組みました。
2つの資料に共通する事柄を時間内に書き出し、見つかった内容をチームメンバーとシェアします。同じ記事を読んでも、着眼点の多様さに気づきました。
執筆タイム ~本番~
ウィキペディアスタイルの情報収集、編集に慣れたところで、「加賀橋立」と「山中節」の2つのチームに分かれて記事を作っていきます。
「加賀橋立」チームではまず既に公開されている記事を整理しました。その結果、重伝建についての「加賀橋立」と昭和33年(1958年)の町村合併以前の「橋立町」の記事が既に存在していることがわかりました。しかし、合併後の加賀市橋立町の記事は存在しませんでした。つまり、現在の橋立町について書くためには、新しい記事を作る必要があることがわかりました。
その一歩として町村合併前の「橋立町」を「橋立町(江沼郡)」に改名してみました。すると間もなく差し戻しを受けることに。改名提案を経ずに改名したことと、記事名の付け方(括弧の前に半角スペースを入れなければならない)に沿っていなかったことが理由でした。こう言った所にも必要な手続きがあることや、書式が決められていることは盲点でしたが、共同編集によってより良いものを作っていくことを考えれば、理に適った仕組みだと納得しました。(ただし、これはウィキペディア日本語版のガイドラインであるため、他の言語版では事情が異なる可能性があります。)
一方、「山中節」チームでも新しい記事の作成を進めていました。山中節は橋立などに住んでいた北前船の船頭衆が寄港地で覚えた俗謡を、湯治で訪れた山中温泉で口ずさんだことで伝えられ、独自に発展した民謡と言われています。北前船が運んできた文化であることと、まだ記事が作られていなかったことからテーマに選びました。文献を読んで「歴史」「代表的な歌詞」「特徴」といった章を作り、チームメンバーに割り振って、各自担当箇所の記事を書いていきました。
今回の講座では、時間内に記事を一旦アップロードするまでがゴール。タイムアップが迫る中、チームで協力して情報を集め、編集・執筆に取り組んでいました。
記事公開!
タイムアップ直前まで粘って編集した甲斐もあり、講座の時間内に「加賀橋立」と「山中節」の記事をウィキペディアに公開することができました!参加者の皆さんからは、
「ウィキペディアに書くことで知の共有ができるのが良い」
「編集方法について学べたので、後から自分でもできそう!」
「頭を使って疲れた…。」
などなど様々な感想が聞こえてきました。半日かけて駆け足ながらも講義、執筆、公開を経験したことで、会場には心地よい達成感が漂っていました。
オープン編集デー(6月8日)
あらい先生の講座から発表会までの2週間は、各自が興味のあるテーマについて記事を書く期間となります。この期間中に「オープン編集デー」を作りました。自由に集まって記事を書いたり、質問をしたり、ディスカッションができる時間です。この日は2人の参加者が来てくれて、一人は加賀橋立のページに建築物に関する項目を加筆・修正、もう一人は西出朝風の記事を新規作成していました。
発表会(6月15日)
この日は、いよいよ発表会!高野先生は橋立地区会館で、あらい先生はオンラインで参加してもらいました。今回は、4人が順番に発表してくれました。
発表者ごとに、高野先生・あらい先生からコメントを貰いました。「記事を書きながら、どんどん熱が入っていって、気づいたら内容が主観的になっていってしまっていた」という参加者からの感想には、あらい先生も大いに共感していました。内容の客観性が重視されるウィキペディアですが、書きたいテーマにのめり込んでいくうちに自分が書きたいことが先行してしまうこともしばしば起こるようです。
このように、コメントから生まれるテーマもあり、発表者だけでなく会場全体を巻き込んで議論が起こっている様子から、この場にいる全員に橋立や加賀のまちへの熱量を感じました。
4人全員の発表が終わっても議論は続きました。自分が暮らすまちの未来について誰かに頼りきりになるのではなく、自分たちで考え続けることの大切さを全5回の講座を通して学ぶことができました。今回のウィキペディアタウンでは合計6本の記事が公開されました!
- 【新規】山中節 – Wikipedia
- 【新規】西出朝風 – Wikipedia
- 【新規】橋立大火 – Wikipedia
- 【編集】加賀橋立 – Wikipedia
- 【編集】北前船の里資料館 – Wikipedia
- 【編集】片野鴨池 – Wikipedia
記事を作成・編集された皆さん、本当にお疲れさまでした!
イベントを終えて
今回のウィキペディアタウンを通して印象的だったのは、「ウィキペディアが地域の資料の索引となっていく」というフレーズでした。町史や分野ごとの資料という形で地域情報が残されていたとしても、その全体像や各々の内容を理解することは簡単ではありません。そんな地域情報をウィキペディアンが手分けしてまとめていくことで、地域の歴史や文化に気軽に親しむことができるようになるでしょう。そうした地域情報の索引が公開されていく様子を目の当たりにできたことが、今回イベントに参加した一番の収穫でした!
地域情報のアーカイブを地元に根付かせるため、今後もウィキペディアタウンを企画していく予定です。ぜひお楽しみに!
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