少数言語と文化のシェルターとしてのウィキペディア -クリミア・タタール語ウィキペディアでマラソンを企画したわけ

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クリミア・タタール人はウクライナの先住民族である。1944年、彼らはソ連当局によって故郷クリミアから国の他の場所へと追放され、そして帰還が認められたのは数十年後だった。クリミアをロシアが占領している過去10年間、彼らの多くは再び故郷の外で暮らすことを余儀なくされており、また占領下のクリミアに残っている人々は、絶え間ない圧力にさらされている。クリミア・タタール語の言語と文化は消滅の危機に瀕している。高等教育はクリミア・タタール語では行われず、ロシア語で行われてきたため、時間とともにクリミア・タタール語は年長者とのコミュニケーションや家庭内だけの言語になってしまった。しかし近年、ウクライナの占領や著名なクリミア・タタール人の投獄、そしてロシアによる全面的ウクライナ侵攻によって、ウクライナ社会や国家のレベルで、ウクライナ語だけでなく、マイノリティの言語としてのクリミア・タタール語についても、脱植民地化や価値の見直しに注目が集まっている。クリミア・タタール語講座の需要があり、クリミア・タタール文化に特化した専門分野が人気を集めており、質の高いクリミア・タタール文学が増えている。これらはすべて、ウクライナ史の不可分の遺産を持つ人々への支援と連帯の行為でもある。

同時に、世界で最も人気のあるオンライン百科事典「ウィキペディア」のクリミア・タタール語版が16年前から存在していることを知っている人はほとんどいないし、その執筆に携わっている人はさらに少ない。私たちはこれを変えたい。

Photo: Wavepainter, CC BY-SA 4.0

ウィキペディアは、異なる言語や文化、特にクリミア・タタール人にとっての避難所であり、安息地である。私はウィキペディアを聖書のノアの箱舟に例える。そこでは、これらの言語や文化が生き残り、未来の世代のために生き延びるチャンスが得られるからだ。だからこそ、私たちはウクライナでウィキペディアを普及させ、クリミア・タタール語のウィキペディアを編集する「マラソン」を開催したいのだ。

今年のマラソンは、ウィキメディア・ウクライナが主催する「セルベスト・エンツィクロペディア」(クリミア・タタール語で「フリー百科事典」)と名づけられた2回目のオンラインイベントである。開催期間は6月20日から8月5日まで。第1回は2021年夏、ウィキメディア・ウクライナとウクライナの一時的被占領地際統合省と合同で開催された。その際は、15人の参加者がクリミア・タタール語のウィキペディアに約300の記事を作成した。2024年のマラソンの目的も同じだった。それは、クリミア・タタール語のウィキペディアに最も重要なトピックの記事を追加することと、クリミア・タタール語の保存とクリミア・タタール語での自由な知識の普及に貢献することである。そこにその言語による有益な情報が増えれば増えるほど、人々がオンラインで検索する際にそれを見かけるチャンスが増えるし、彼らが参加する機会、さらに貢献する機会が増えていくのだ。目標や目的についての詳細は、ウクライナ語とクリミア・タタール語の同マラソンのページで見ることができる。

Photo: IrynaBoiko (WMUA), CC BY 4.0

ウクライナでロシアの戦争が続いているにもかかわらず、2024年のマラソンは前回以上の成功を収めた。14人のユーザーが142の新しい記事を作成し、375の既存記事を改善したのだ。今年はさらに、ウィキペディアの全言語版に掲載されるべき1000のトピックのリストに加え、クリミア・タタール語とウクライナ語の重要なトピック250のリストも用意された。その結果、新しい記事のほとんどがクリミア・タタール人とクリミアに関するものとなったが、これはクリミア・タタール文化に対する関心が高まっていることを示唆している。

このマラソンは参加者の質の高い貢献を主な目的としているが、小さな貢献でも評価される。今回、クリミア・タタール語で、民族の装飾品アヴデット(クリミア・タタール人の追放先からの帰還)、バラのコンフィチュール(地元の珍味)、さらには電気、木材、ローマなどについて読むことができるようになった。私たちはこれらの記事にとても刺激を受け、その記事に関する絵葉書まで印刷することにしたのだ!

Photo: MarianaSenkiv, CC BY-SA 4.0

マラソンの期間、私たちは以下の10の重要な原則を守ろうと努めた。

1.ローカルコミュニティと対話し、対象言語を話す。

2.組織委員会にできるだけ多くのネイティブ・スピーカーを加える。

3.有用な記事リストの作成に時間を割く。

4.ルール概要を明確にし、マラソンについてのページに掲載する。

5.ソーシャルネットワークやメディアで情報を広める。

6.オンライン、オフラインでウィキトレーニングを実施する(ウェビナー参照)。

7.組織委員会のメンバーとすべての問題について話し合う。

8.イベント参加者と連絡を取り合い、サポートする。

9.中間結果を評価し、それについて議論する。

10.参加者一人ひとりの貢献を慎重に評価し、感謝や記念品で報いる。

上記のいくつかの点は難しいものかもしれない。例えば、ウィキペディアの編集に関心のあるクリミア・タタール語の専門家を見つけるのは困難だった。文脈次第では、個々の課題があり得たし、多かれ少なかれ大原則が必要かもしれなかったが、しかし、プロジェクトを成功させるための良い土台になっていると考えている。

地域社会との対話と協力をリストの最初に挙げたのは偶然ではない。彼らはその言葉を話し、文化的特徴をよく知っているだろう。彼らは自分の言語でウィキペディアを改善することに最も関心があるだろう。また、イベントに貢献できる人脈を持っているかもしれない。今年、私たちはウクライナ西部の最大の都市リヴィウにあるクリミア・タタール文化センターでウィキトレーニングを開催した。リヴィウはロシアによるクリミア占領後、多くのクリミア・タタール人が移り住んだ町だ。参加したクリミア・タタール人の中には、後にクリミア・タタール・ウィキペディアに寄稿した人もおり、特に彼らの文化センターに関するウクライナ語とクリミア・タタール語の記事が作成された。また、参加者の一人はウィキトレーニング中に記事を作成したのだ!

Photo: MarianaSenkiv, CC BY-SA 4.0
Photo: MarianaSenkiv, CC BY-SA 4.0

また、クリミア・タタール語を話さないユーザーもクリミア・タタール語の普及へと貢献することを望んだために、今回のマラソンはウクライナ語版ウィキペディアにおけるクリミア・タタール人とその文化についてのギャップを埋めるのにも役立った。これにより、ウクライナにおけるクリミア・タタール文化の認知度を高め、ウクライナのウィキペディアを改善することとなった。例えば、リヴィウ・ウィキトレーニングに参加したウクライナのウィキペディア・ユーザーのオレーナさんは、クリミア・タタール人に関する6つの記事をウクライナ語で作成・改善した。彼女は、「私はクリミア・タタール文化の象徴性と彼らの美しい踊りに驚きました。ウィキペディアを編集することは、クリミア・タタール人について学ぶきっかけにもなるということです」と述べた。

Photo: MarianaSenkiv, CC BY-SA 4.0

つまり、今回のようなイベントを開催することは大きなメリットがあるというこであり、クリミア・タタール語ウィキペディア支援のために、私たちはこれからも同様のイベントを(ひょうっとしたらこれまで以上に頻繁に)開催していくつもりだ。ただし、審査員とウィキペディア・ユーザーのいずれにも、クリミア・タタール語を理解する専門家がより多く必要だ(もしあなたが私たちが探しているような人物であったり、誰かを知っているなら、連絡して欲しい!) また、少数言語を話す人々にウィキペディアに記事を書くよう説得するのは、必ずしも簡単ではない。しかし、私たちは彼らのやる気を出させようと努力している。具体的には、ライブ・ウィキトレーニングにて、私たちはウィキペディアの編集は彼らが思っているほど難しくないことを示した。将来には、より多くのクリミア・タタール語の教師や、その専門分野の学生に関心を抱かせ、やる気を起こさせようと計画している。

2021年の最初のマラソンは、クリミア・タタール語ウィキペディア全般の発展に弾みをつけ、2回目のマラソンはクリミア・タタール人自体に関するトピックの発展に貢献した。私たちは、今後のマラソンに大きな期待を寄せており、ウィキペディアを書くだけでなく、クリミア・タタール語による他のウィキペディア・プロジェクトにも関心をもたらすことを願っている。今そこには2万9000の記事しかなく、私たちにはウィキペディア編集を成功させるためにより多くのことが必要だ。私たちはまた、私たちのマラソン開催の経験を共有することで、他の、自分のマイノリティ言語で同様のことを行うか、あるいは誰かの手助けをするかについて考えている人々の助けになることも願っている。言語の保存だけが目的ではないこともあるだろう。私たちは、その言語が現代社会で繁栄する上での手助けをしたいのであり、そのためには、その言語が独自にオンラインプレゼンスを持つ必要があると考えている。

  • ウクライナのウィキペディアコミュニティとウィキメディア・ウクライナの脱植民地化の取り組み、そしてクリミア・タタール語版ウィキペディアの「針を動かす」試みについて理解したい方は、ウィキマニア2023での短いプレゼンテーションをご覧ください。「知識の脱植民地化:ウクライナのコミュニティからの視点」

著者:マルヤナ・センキウ・ウクライナ・リヴィウ工科大学准教授、PhD。ウィキメディア・ウクライナのメンバーで、大学でのウィキペディア教育プログラムの実施で活躍。クリミア・タタール語ウィキペディア2024マラソン組織委員会メンバー、クリミア・タタール語学習認定コース参加者。

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