稲門ウィキペディアン会の Eugene Ormandy です。本稿では、村山恵一「20歳のWikiに映る「格差」 ネットの百科事典の壁」の内容を紹介し、感想を述べます。なお、今回取り上げる記事は2021年に公開されたものであること、そしてこの書評を執筆しているのが2024年であることを念頭に読み進めていただけると幸いです。
書誌情報
- 村山恵一「20歳のWikiに映る「格差」 ネットの百科事典の壁」『日本経済新聞』2021年4月30日。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD268LU0W1A420C2000000/
内容
2021年にウィキペディアが開設20年を迎えたことを示したのち、著者はウィキペディアについて「今後の希望を照らす『光』と、対応すべき重い課題を示す『影』がある」と述べます。
ウィキペディアの光の部分
著者が「光」として挙げるのは、コミュニティーの力です。ウィキメディア財団ジャニーン・ウッツェル最高執行責任者の「世の中のために良いことをするという使命感をもった人たちのコミュニティーがウィキペディア成功の理由だ」というコメントを取り上げたのち、著者自身は以下のように指摘します。
世界中の人や知恵を束ねる利器との期待を背負ってネットは走り出した。しかし気がつけば理想は後退し、いま目立つのは、社会を分断する偽情報や誹謗(ひぼう)中傷などで混沌とする姿だ。
そうしたなかウィキペディアは健闘しているように見える。新型コロナウイルスの情報提供で世界保健機関(WHO)との協業にこぎ着けたのも、情報基盤としての評価の高まりを表す。
ウィキペディアの影の部分
著者が「影」として挙げるのは、男女や地域による情報の偏りです。女性編集者の比率が低いことや、「アフリカ系など社会的な少数派の存在感がウィキ上で薄い」ことを指摘したのち、「ウィキペディアが体現するコミュニティーの力。さまざまな人がオープンに結びついてこそ創出される価値は大きくなる。社会はもっと多様性を生かせ。20歳のウィキから私たちが学ぶべきことだ」と締めくくります。
感想
以下、雑多に感想を述べます。
バランスが良い
ウィキペディアの良い部分と悪い部分が、バランスよくまとめられているなと感じました。世の中には、ウィキペディアの編集方針等への理解が不十分なまま「ウィキペディアはデマだらけ」と非難する記事が散見されます。また、数はあまり多くないものの、集合知に過剰に期待する記事もあります。それらと比べると、今回取り上げた記事は、ウィキペディアをテーマとした新聞記事としては比較的レベルが高いと思います。また、ウィキメディア財団の役員に実際に話を聞いているのも好感が持てました。
荒らしへの対応について
とはいえ、気になる点もありました。たとえば記事中の「毎分350回編集され、中立性などの基準を満たさない編集をする『荒らし』があってもおおむね5分以内に対処される」という記述は、何を出典としているのか明記してほしいなと思いました。たしかに、一介のユーザーの肌感覚からすれば、日本語版ウィキペディアは「荒らし」への対処をそれなりのスピードで実行しているような気がしますが、実際どの程度なのかは不明です。また、私は他言語版の状況については全くわかりません。後学のためにも、ぜひ出典が示されてほしいところです。
略語
また、字数の制約上仕方がないとはいえ、ウィキペディアの略語として「ウィキ」という言葉が用いられているのも少々残念でした。ウィキとウィキペディアは全く別の概念です。ウィキが「ブラウザを用いれば誰でも編集可能なシステム」を指すのに対し、ウィキペディアはウィキに準拠した百科事典です。そのため、私はよく「ウィキペディアをウィキと略すのは、自動販売機のことを『自動』と略すのと一緒です。自動車なのか、自動ドアなのか、わからないですよね」と紹介しています。
2021年の浦島太郎
また、これは著者の責任ではないのですが、私は記事を読んで「ああ、時代を感じるなあ」と思ってしまいました。書誌情報欄にも記しましたが、この新聞記事が公開されたのは2021年です。そして、この書評を執筆しているのは2024年です。この間に生じた重要な出来事といえば、言うまでもなく、いわゆる「生成AI」の台頭です。
おそらく、2024年の新聞記事が「ウィキペディアの光と影」について論じる際、生成AIとの関連を避けて通ることはできないでしょう。学習データとしてウィキペディアが活用されている実態や、ウィキペディア執筆に生成AIが利用され、ハルシネーションが反映されている可能性など、ネタはいくらでもあります。「生成AIを活用した、対話式の情報検索が可能となった現代において、特定のエントリを発見しないと情報を得られないウィキペディアに価値はあるのか?」といった挑戦的な問いについても、大いに検証されるべきでしょう。
2026年に「25歳のウィキペディアの光と影」という新聞記事が書かれるとしたら、果たしてどのような内容になるのでしょうね。新聞やウィキペディアがその時点でも存続していることを心から願いつつ、楽しみに待ちたいと思います。
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