稲門ウィキペディアン会の Eugene Ormandy です。本稿では、退屈と興奮を毛嫌いする私が、余暇活動の一環としてウィキメディア・プロジェクトの編集に携わる理由や、その背景についてまとめます。ウィキメディアンの行動原理に関する一史料となれば幸いです。
余った時間で何しよう?
SNSを眺めていたら「余った時間で何しよう?あ、それまいたけまいたけぐるぐるぐるぐる」という歌う動画が流れてきました。調べてみると、どうやらこれは VTuber の「儒烏風亭らでん」さんの配信を元ネタとした動画であるとのこと。私は VTuber 文化に全く明るくないので、詳細が気になる方は「ショート動画で流行「まいたけダンス」元ネタ解説 儒烏風亭らでんの声が癖になる」などの記事をご覧ください。
なお、真面目な私はこの動画を見て「余った時間はウィキメディア・プロジェクトに関する活動をしています」と心の中で返答しました。以下、具体的に説明します。
自己紹介
私はボランティアでウィキメディア・プロジェクトを編集しています。また、単なる編集だけではなく、大学や図書館と協力してレクチャーや編集イベントを開催したりしています。くわえて、ウィキメディア・プロジェクトに関するエッセイを寄稿することもあります。
ブログ記事「自分の書いた記事が読まれてほしいという欲望が全くない上、そもそも何かを書くこと自体好きでもないのに、ウィキメディア・プロジェクトの執筆・編集にそこそこ労力を割いている人間のモチベーション」などで明記しているとおり、私は人類のインフラを整備したいという思いからウィキメディア・プロジェクトに携わっています。しかし、実は他の理由もあります。それは「自分のニーズに最もマッチする暇つぶしだから」です。
心がかき乱されない上、人の役に立つ極上の暇つぶし
私は退屈な状態が嫌いで、常に何かしらのタスクを処理していたいと思っている人間です。もちろん、タスクから解放されて散歩をするのも好きですが、1時間もすれば飽きます。
そして、ハラハラドキドキしている状態はもっと嫌いです。歯応えのあるタスクに取り組むときなどに覚える興奮を否定はしませんが、私は極力距離を置きたいと思っています。強い感情は自分のパフォーマンスに大きく影響を与えるからです。私が望むのは、あくまで淡々と処理をし続けることです。
そんな人間にとって、ウィキメディア・プロジェクトの編集はかなり魅力的です。淡々とこなせるタスクは大小問わずいくらでもありますし、インターネット環境さえ整っていれば、いつでも編集できます。くわえて、相手は疲れることを知りません。
人間と仕事をするときは、相手が嫌な思いをしていないか、体調は問題なさそうか、スキルの範囲内で対応できそうかといった、様々な要素を考慮する必要があります。しかしウィキメディア・プロジェクトの編集において、これらの気遣いは、ユーザー同士の議論を除けば基本的に不要です。午前3時に6万バイトの記事を立項したり、1時間で100件の誤字修正を実行したりしたところで、それらが有意義な編集である限り、誰もあなたに文句を言ったり、嫌な顔をしたりしません。メンテナンス中のサーバーから拒否される可能性はありますがね。
おまけに、ウィキメディア・プロジェクトの編集は人の役に立ちます。ソリティアを3時間プレイしたところで、得られるのは自分の「楽しい」という感情のみですが(これはこれで非常に尊いものです)、ウィキメディア・プロジェクトを3時間かけて編集した際には、他人の役に立つコンテンツが改善されます。閲覧数こそ少ないかもしれませんが、何かを知りたいと思った人が無料で得られる、比較的質の高い情報が拡充されるのです。これは素晴らしいことだと私は思います。
注意していること
私は上記のような理由でウィキメディア・プロジェクトに携わっているわけですが、いくつか気をつけていることがあります。
1. 生産性至上主義に陥らない
1つ目は、生産性至上主義に陥らないことです。残念ながら「生産性がないものは存在する意味がない」という趣旨の言説が、世の中には溢れています。そして、ウィキメディアンとして「有意義な編集」を効率よく実行しようとする姿勢は、ともすると上記の言説に飲み込まれる恐れがあります。たしかに私は、自分の余暇活動において生産性や効率を(比較的ストイックに)追求する人間ではありますが、同時に生産性では測れない人権や人間関係も尊重されるべきと強く思っています。自分自身のウィキメディア活動に向ける生産性のジャッジを、他人や社会に向けないよう注意したいところです。
2. 人間には感情があることを忘れない
気をつけていることの2つ目は「人間には感情があることを忘れない」ということです。先述のとおり、ウィキメディア・プロジェクトには感情がないので、どれだけのエネルギーをぶつけても基本的には壊れません。しかし人間には感情や体力の限界などが存在します。一気にミスを30個も指摘されたら落ち込むでしょうし、同時に70種類のタスクを実行することはほぼ不可能です。また、これは個人的な感覚ですが、長時間ウィキメディア・プロジェクトに取り組んでいると、上記のような「人間的なやりとり」に関するセンサーが少々鈍くなります。「人間には感情がある」という当たり前の事実をきちんと意識して、お互いにとって気分の良い人間関係を構築するよう気をつけたいところです。
3. タスクの発見というタスク
気をつけていることの3つ目は、やや毛色が異なりますが「タスクの発見自体が、ひとつのタスクとなりうる」ということです。上記にて、ウィキメディア・プロジェクトには「淡々とこなせるタスクは大小問わずいくらでもあります」と紹介しましたが、これらのタスクを発見するには、それなりにスキルが必要となります。具体的には、ウィキメディア・プロジェクトの方針等の理解、現時点で未整備な箇所を予想する能力、そして改善方法を予想する能力などが要求されます。
私はそこそこ経験値を積んだので、タスクの発見にはほとんど苦労しなくなりましたが、昔は多少時間がかかりました。また、レクチャー等の経験を通して、ほとんどの初心者の方にとっても、タスクの発見は大きな壁の1つだということがわかりました。このような状況を考慮せず「ウィキメディア・プロジェクトは淡々とこなせるタスクが沢山あるからやってみなよ」と言うのはやや不親切かなと思うので、自分がウィキメディア・プロジェクトの講師などを務める際は、具体的に取り組めそうなタスクなどを提示するようにしています。また、可能な限り、その発展形などを示すようにしています。
まとめ
退屈と興奮が嫌いで、人の役に立ちたいと思っている私が、余暇活動の一環でウィキメディア・プロジェクトに携わっている理由などをまとめました。本稿が何かしらのお役に立てば幸いです。
なお、言うまでもないことかと存じますが、「ウィキメディア・プロジェクトを編集するとワクワクする」という方や、「何もしない時間が大好き!」という方を否定するものではありませんので、念のためお断りしておきます。
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