新しく開発中のプロジェクト、カラカルパク語版ウィキペディアの紹介

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カラカルパク語は約90万人の人々が話しており、ほとんどはウズベキスタン北西部のカラカルパクスタン自治共和国で使われています。これはテュルク語系の言語で、キプチャク語群に属しています。カラカルパク語版ウィキペディアは2008年5月26日に独立して開設され、2022年までの活動は低調でしたが、ウズベク語版ウィキペディアでウィキスティペンディヤ(スティペンディヤはウズベク語で奨学金の意味)のエディタソンが行われたことで、ウズベク語版ウィキペディアが急速に発展しただけでなく、カラカルパク民族やこの言葉を知る人々でプロジェクトに貢献する人々が増え、プロジェクトが活性化してきました。

私は特にアフリカと中央アジアの発展中のコミュニティに興味があり、カラカルパク語版ウィキペディアのイナバットにインタビューして、この興味深いプロジェクトについて学ぶことにしました。カラカルパク語版ウィキペディアは始まったばかりですが発展中のコミュニティであり、それについて知るいい機会となりました。

聞き手による補足は斜体にしてあります。

では、古典的質問から始めましょう。簡単に自己紹介をお願いします。

私はイナバットという名前の、22歳のウィキペディアンで、カラカルパク語版ウィキペディアを表わすKaawikiを主に編集しています。ウィキペディアで一番関心があるのは、Kaawikiにテンプレートを作成することです。

それは素晴らしい。あなたはどのようにウィキペディアに、そしてカラカルパク語版に出会ったのですか

一年程前、青少年庁が主催したウズベキスタンで最初のウィキスティペンディヤ・キャンプが、ボストンリク(ウズベキスタン東部の都市で、青少年庁が青少年のためのキャンプを運営し、ウィキペディアキャンプも行われている)で行われ、参加しました。それまでウィキペディアに関心は無く、どうやって書くかも知らなかったし、百科事典の記事とは何かも知りませんでした。最初のキャンプで、幸運なことに、私のグループの指導者としてNodir Ataevがやってきて、私の国籍を知ると(私はカラカルパク人です)、彼は私に「Kaawikiの開発をやってみないか?」と尋ねました。私はびっくりして、「本当ですか?私たちの母国語のウィキペディアがあるんですか?」と答えました。私はキャンプでたくさんの友達に会い、今でも親しくしています。

聞き手のコメント: とても興味深いです。私は彼を知っているし、彼は優れたウィキペディアンで、ウィキスティペンディヤの有効性のためにいくつかアイデアを彼に伝えました。それにはカラカルパクへのさらなる投資も含まれています。

そのコミュニティの規模はどのくらいですか?一般的に、カラカルパク語版ウィキペディアはどういう状況ですか?あなたが参加してから改善されましたか?コミュニティのダイナミクスはどんな?成長していますか、安定していますか?

現在、2-3人が貢献しています。今まではそうでなかったんです。私がKaawikiに参加するまでは、記事数は2,000以下でしたが、今では3,000以上の記事があります。そして、テンプレートのほとんどは私が作りました。私はKaawikiをもっとカラフルにしたいし、テンプレートや画像もたくさんいれたいです。ダイナミクスでいえば、すこし成長していますが、[構造]は安定していません。それに、Kaawikiにはまだ「テンプレート:インフォボックス」がなく、多くの人たちはどうしていいかわからないのです。

あなたはカラカルパク語版ウィキペディアを将来どうしたいですか?たとえば5年後に?

私はカラカルパク語版ウィキペディアの記事が、質の面でも量の面でも発展してほしいです。そして今、私たちはそれをやろうとしています。5年後にカラカルパク語版ウィキペディアがどうなっているかわかりませんが、記事数はもちろん増えるとして、質はどうでしょうか。

あなたはその他の活動もしていますか?

ひとつやりました。第2回ウィキスティペンディヤ・キャンプのニュースが発表されたので、私はキャンプに参加したいと思っていたカラカラパクの人々(学生)に、ウィキペディアの記事の書き方を指導してみました。

彼らはたくさん学び、私は10人程のカラカルパク人をキャンプに連れて行きました。ウズベキスタンの管理者はそれを知り(私はこのカラカルパク人たちにどうするか知らせました)、ウィキペディアの知識をシェアするためのラップトップを10人の若いカラカルパク人に提供してくれました。彼らは最近は記事をあまり書いていませんが。

すばらしい、おめでとうございます!あなたはコミュニティの他の人に呼び掛けてユーザーグループを立ち上げたらキーパーソンになるでしょう。カラカルパク語版ウィキペディアとウィキヴァースを運営するユーザーグループを作り、プログラムを協働で進めることができますよ。ヌクス市や他の所で。ウズベキスタンのウィキペディアンはそれを支援してくれるでしょう。

それは嬉しいですね!もう一つ付け加えると、私はNodir Ataevが第1回キャンプの最後に修了証を渡してくれた時の言葉を覚えています。彼は、長い目で見て、カラカルパク語版ウィキペディアの発展のために私たちが多くのことを協働していくだろう、と言いました。 

Nodir Ataev、Jamshid Nurqul、Kagansky、Mirzoulughbekといった素晴らしい人々と共に作業できるのはとても嬉しいです。

カラカルパク語版ウィキペディアは、低調な活動だったのが活気を取り戻したとてもいい例なので、将来に大きな期待が持てます。個人的には、この地域の若者の潜在力、地域のウィキペディアンどおしの協力、そしてウズベキスタン全体でのウィキペディアの潜在力を考えると、私は来年がウズベク語版ウィキペディアだけでなく、カラカルパク語版ウィキペディアも急速に発展する年になると期待しています。

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